《早坂さんと土本さんのことば》
『居場所を探して 累犯障害者たち』の最初に紹介されていた高村さんの記事を読みながら、二人の人のことばが浮かんできました。
一人は、「障がい者制度改革推進会議」の土本さん。
もう一人は、直接お会いしたことはないですが、「べてるの家」の早坂さん。
「累犯障害者」への対応をめぐる本を読みながら、万引きやさい銭泥棒という犯罪以前に、特殊学級に入れられたことによる子どもの苦しみが頭から離れませんでした。
前回紹介した高村さんは60歳とありました。
特殊学級に入れられたことについては、「いじめられるのも、母が悲しむ姿を見るのも、同じぐらいみじめだった」という一行の記述だけでした。
私は来月で53歳。土本さんは私より3歳年上。早坂さんは4歳年上。
53歳、56歳、57歳、60歳、私たちはほぼ同じ年代に、特殊学級という痛みと恐れを抱いたのでした。
◇
「障がい者制度改革推進会議」の土本さんは、こう書いています。
《自分も小学校3年までは ふつう学級にいっていたのですが、ついていけれないと あとで きかされました。
自分が しょうがっこう4ねんに なったとき なんの せつめい もなく、きょうから こっち といわれ わかれた たてものに いかされた。わけが わからないまま いかされた。
自分たちが うけてきた さべつ わけへだてられた きょういくを
これからの 仲間たちに くりかえす ことがないようにと やってきている。
とうじの とくしゅがっきゅうの先生から『かくまっているから、ちがうとことにある』
ときいたことがありました。
いっしょに べんきょうや あそぶこともしょうがいが あろうが なかろうが いっしょに やっていく ことです。
おたがいのことを しっていくこと
それも きょういく ではないですか。
わけられたら りかいも されない。
べんきょうは おしつけじゃなく もっと いきいき のびのび ゆうゆうとした もので あるべきです。
きょういく にしろ
しゅうろう にしろ
ふくし にしろ
人との かんけいや つきあいかた。
こまった ときに どこに そうだん したら いいのか。
こんなんを かかえている ことを しって、
こまったときに そうだんする人をみつけて いくことを
学校のときに おしえて ほしい。
学校を そつぎょう したら それで おわるのではなく、
つぎに つながることを して ほしい。
そつぎょうご 自分たちは こりつ してしまう こともある。
うったえようにも うったえきれない
という ところが こんなんをかかえている。 》
(http://sun.ap.teacup.com/waninatu/887.html)
◇
「べてるの家」の早坂さんについては、『悩む力』から引用します。
「母親には、勉強できなくて遊んでばかりいたので、火バシで殴られたりしました。中学校に入りG組(特殊学級)に入れられました。
…友達が指で「G」の形を作りバカにしたのですが、我慢するしかありませんでした。」
家庭的な状況もあって勉強が遅れた早坂さんは、特別学級に入れられ「お前はダメだ」という刻印を押されてしまった。
この選別は少年のこころに深い傷を負わせたにちがいない。
その屈辱的な経験が人生「横道にそれる」決定的なきっかけとなった。
学校にも両親にも見放され、深い絶望の淵にいたであろうに、たぶんそれを顔に出すこともことばにすることもできなかった。
じっと我慢するしかなかった。
そんな状態ですごしてきた早坂さんは、中学三年のある日、突然「母さんが死んだような気がして」わけのわからない不安に襲われる。
いま思えば、それが病気の始まりだった。
…精神分裂病という診断だった。
このとき以来、早坂さんは30年で16回、精神科への入退院を繰り返している。
……向谷地さんは早坂さんが自分の思いを外に出すということが大事なのだろうと考えるようになった。
彼の思い、もがきと苦しみは、もしかしたら中学校のときに入れられた特別学級にさかのぼるのかもしれない。
両親は離婚し、自分を引き取った母親はアル中で子どもを顧みないばかりか、「お前は役立たずだ」いいつづける。
そんな境遇で早坂さんはやがて友だちとも引き離されて「特学」に入れられてしまう。
それが「ものすごい劣等感」になって、負けてたまるか、馬鹿にされてたまるかと、自分のさびしかった気持ちをずっと押し殺して生きてきた、その本当の気持ちが表に出ないときに、彼は発作を起こし暴れていたのだと向谷地さんはようやく彼の気持ちの奥底に行きつくのだった。
「それがわかってくるまでに、彼自身がそれをわがこととしてわかってくるまでに15年かかりました。
……潔さんたちがだんだんこころを取りもどしてきて、『自分はさみしかったんだよ』
『自分は、このことがとってもつらかったんだよ』『俺は、こんな苦労をしたんだよな』と、その苦労を語れば語るほど、だんだんとまわりとの関係が回復してきたんですね」
満身創痍の15年だった。
自分を語ること、自分の思いを人に伝えること、そんな簡単なことが早坂さんにはできなかった。そもそも語るべきことがなんなのかを知らなかったし、人に話しかけ自分を聞いてもらうという経験をもたなかった。
そうした人とのふれあいというものをこばみ、押し殺す、強く執拗な思いが彼のこころのなかにあり、抜きさしならぬ形で根付いていたにちがいない。
その思いを少しずつ解きほぐしていったのは、向谷地さんの支えであり早坂さんの苦労であり、ふたりの人間としてのぶつかりあいであった。……
(『悩む力 べてるの家の人びと』斉藤道雄 みすず書房 2002)
◇
誤解のないように確認しておきますが、土本さんも早坂さんも「累犯障害者」ではありません。
土本さんは、ピープルファースト北海道の会長として、また『障がい者制度改革推進会議』の委員として、知的障害者の差別をなくすために活躍しています。
べてるの家関連の本のあちこちに登場する早坂さんは、刑務所ではなく、精神病院へ入退院を繰り返すという苦労を重ねてきました。
「居場所を探して 累犯障害者たち」で、最初に紹介されている3人はいずれも「特殊学級」に在籍したことが書かれています。
でも、それは「累犯障害者」が、子どものころから「障害児」であったことの証明のようにしか使われていないように感じます。
そこからは、特殊学級に入れられてしまうことが、『「ものすごい劣等感」になって、負けてたまるか、馬鹿にされてたまるかと、自分のさびしかった気持ちをずっと押し殺して生きてきた、その本当の気持ちが表に出ないときに、彼は発作を起こし暴れていた』という理解はできません。
『自分を語ること、自分の思いを人に伝えること、そんな簡単なことができなかった。そもそも語るべきことがなんなのかを知らなかったし、人に話しかけ自分を聞いてもらうという経験をもたなかった』子どもの、その後の人生の苦労を理解する道は見えてこないように思います。
障害があるから、「できなかった」のではありません。
土本さんも、早坂さんも、大人になって信頼できる仲間と出会い、自分のことを語っています。
子どものときに、そういう環境が作れないはずはありません。
私たちは、ちいさな子どもに信頼されるようになりたいと思います。
この大人たちも、仲間だと思ってもらえるようになりたいと思います。
ちいさな子どもたちが仲間として、友だちとして出会うことをじゃませずに見守らせてほしいと思います。
子ども同士のあいだに生まれる、まばゆいものがたりを見させてほしいと思います。
子どものことばを、そしてことばにならない表情やしぐさで、私たちに語りかけてもらえるようになりたいと思います。
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