てんとう虫の歳時記 2

主に狭山丘陵の野鳥、昆虫、植物などを写真を中心に綴ります。

ヒオドシチョウ

2018年03月29日 20時28分18秒 | 日記

 

 

 

 

気温が25度cを超えて半袖で歩いた。

越冬明けのヒオドシチョウが縄張りを張っていた。

私の肩や帽子に止まったり、ミヤマセセリを追い払ったりと忙しい。

歩いて来た若いカップルの女性の手にも止まった。

「プロキャプチャー」を使って飛び出しを狙ったが失敗。

これから、まもなくエノキの木に産卵をする。

 

 

 


2018 奄美探訪記 田中一村の世界 ③

2018年03月29日 19時22分14秒 | 日記

   

 夏はパンツ一本で創作活動をしていたという。

食事は野菜と豆腐を食べていたという。

 

1955年、 九州・四国・紀州をスケッチ旅行して回る。
1957年、第42回院展に出品するが落選、1955年の西日本へのスケッチ旅行が転機となり、奄美への移住を決意する。
1958年、第43回院展に出品するが落選中央画壇への絶望を深め、奄美大島に渡る。
1958年、奄美大島に渡り大島紬の染色工で生計を立て絵を描き始める。だが、奄美に渡った後も中央画壇には認められぬまま、無名に近い存在で個展も実現しなかった。
1977年、死去。69歳没。墓所は満福寺。没後に南日本新聞NHKの『日曜美術館』の紹介でその独特の画風が注目を集め、全国巡回展が開催され、一躍脚光を浴びる。南を目指したことから、日本のゴーギャンなどと呼ばれることもある[1]
2001年鹿児島県は奄美大島北部・笠利町(現・奄美市)の旧空港跡地にある「奄美パーク」の一角に「田中一村記念美術館」をオープンした(館長・宮崎緑)。
2008年、生誕100年にあたり奈良県高市郡明日香村奈良県立万葉文化館[1](館長・中西進)で「生誕100年記念特別展 田中一村展-原初へのまなざし-」が開催された。

 

 

               

           花と鳥   昭和40年代                                       奄美の杜   昭和37年

 

                    

       崖の上のアカショウビン     昭和40年代                              奄美の杜       昭和40年代