青森県スポーツ・レクリェーション大会に参加するついでに青森県の旅を思い立って実行することにした。
金曜日の夕方からイベント参加なので、イベント前に青森市周辺を散策して、大会翌日から遠方に行くことにしたが気分しだいの行き当たりばっ旅にすることにした。
金曜日は早朝の4時30分に南相馬を出発。約440km先の青森を目指した。
旅の最初の目的地は、青森ICの近くにある三内丸山遺跡へ。ナビのねえちゃんに案内されるまま進んで10時30分頃到着した。約6時間の走行。高速道路もスイスイで自分のペースで走ることができたので意外と疲れを感じなかった。
三内丸山遺跡は10数年前に一度見学していますが、時間の都合でよく見学できなかったので再度チャレンジすることにした。
以前見学したときには、広い敷地にプレハブ的な建物がありそこに発掘した物を展示してありましたが、今は立派な建物が建設されていました。思わずイメージと違いすぎて通り過ぎてしまいましたよ。
「縄文時遊館」といって館内にはミュージアムやシアター、レストラン、物産館があります。その館内に遺跡への入口があるんですが、俺はどうやら建物の出口方面から入ったらしい。正規の入口のエントランスホールから入れば良かったのに田舎者は困るよ。
館内からこの「時遊トンネル」を抜けて行くとそこには縄文の時代があなたを待っています。てきなことになっています。
待っていたのは暑い日差しでした。南相馬は雨が降っているというのに青森は夏でしたね。でも縄文時代のさわやかな風が吹いていました。
三内丸山遺跡は江戸時代から知られている有名な遺跡だそうです。県総合運動公園の拡張で野球場を建設するのに発掘調査をした時に多くの建物跡や大量の遺物が発見されて、そこが日本考古学史上類を見ないほど大きな集落跡だったことがわかり、急遽野球場建設を取りやめ遺跡を保存することになったそうです。その後に建物の復元や整備を行い平成7年から公開したと言ってました。以前行ったのはその直後くらいだったんですね。
遺跡の最大建物で大型竪穴住居跡です。縄文時代中期のもので長さは32mもあるそうです。この建物は集会所や共同作業所、共同家屋などに使われた説があるそうです。縄文時代によくこんな大きな建物が作れたよな?今でも快適に生活できそうな気がする。
三内丸山遺跡の象徴的な建物で「大型掘立柱建物」です。専門家の見解はいろいろ分かれていて、祭典などの宗教的なものに使われた施設か物見櫓や見張り台、天文や季節の基準などを知るために使われた施設など、いろいろな見方がありいまだになぞだそうです。柱はすべてクリの木で直径1m以上のものが使用されていたそうです。縄文時代に石斧でこれだけの木を切り出すことができたんでしょうかね?すごいパワーなのか?それとも宇宙人の仕業か?
その他にもいろいろな住居が復元されていました。
この遺跡には墓地もありました。縄文時代の墓地は珍しいそうです。子供の墓は集落に近いところに縄文土器に入れて埋葬されていたようです。大人は地面に掘られた墓に埋葬されていました。道を挟んで向かい合うように配置されていましたから墓地として使われていたんでしょうね。
ゆっくり散策しながら縄文時代にタイムスリップするのもいいもんですね。
「縄文時遊館」の中にはミュージアムもあり、遺跡から発掘されたものが展示されていたり、その当時の様子がわかるように模型が作られていました。
縄文シアターでは遺跡を紹介する映像が常時上映されています。俺は見ているうちに涼しくて気持ちいいから思わず眠ってしまった。この日は貸切状態でしたからいびきをかいても大丈夫だったよな!!
村の外には新しい世界が広がっている。
未来に向かって歩き出そう。
最後にいいこと言ってくれるよね。
これだけの施設でなんと入場料無料ですよ!! 維持費がかなりかかるでしょうが、青森県ってなんて太っ腹なんだろう!!
でもなんか最近俺こういうの見るの好きになってきた。なんかオタク化してきたのかな? ちょっと不安!!
今日はここまでで疲れたから次はPart2にします。ごめんなさい。