青森県スポーツ・レクリェーション大会の翌日、福島県の選手団とは別行動で一人旅の続きを続行した。
目的地は本州最果ての地竜飛崎方面。ホテルを8:00に出発して国道260号を陸奥湾に沿ってひたすら北上した。陸奥湾ではうにが解禁になったようで、途中の道の駅「たいらだて」ではうに祭りが開催の準備をしていた。まだ9時で早かったのでうににはありつけなかった。うにのシーズンだから今日の昼食はうに丼で決まりだなと一人ウキウキしながら目的地を目指した。
途中小さな漁村を多く通りましたが、この辺りの漁村は冬は本当にさびしいでしょうね。そんな思いが込み上げてくるような風景が続きました。俺なんか原発事故の影響で荒れ果てた土地に住んでいるけど、まだこの地域よりはましなような気がする。そんなところからも支援を頂いているんだから感謝しなければなりませんね。
途中の高台に灯台があり景色がよさそうなので休憩することにした。
津軽国定公園の高野崎というところだった。きれいに整備されているのはキャンプ場になっているかららしい。
海の水が澄んでいてきれいですね。灯台の先が陸奥湾から津軽海峡への出口になるんですね。灯台の横からは下の岩場へ降りる階段があり岩場に下りて遊ぶことができます。右の方にはこれから向かう竜飛崎が見晴らせます。ここは津軽海峡なんですね。
全然位置関係がわからずただ見ていただけでしたが、地図の表示板を見て納得。近くに見えている陸地は下北半島だったんです。
そこから竜飛崎へはすぐ到着で、まずは情報を得るために「竜飛崎観光案内所 竜飛館」へ。ここは旧「奥谷旅館」といって平成11年に廃業するまで多くの著名人が利用した最果ての旅館だったんですね。入口前には太宰治の「津軽」で書かれている竜飛崎の石碑があります。
館内も自由に無料で見学することができます。太宰治が友人N君と過ごした部屋も再現されています。ここでの一場面が小説「津軽」に書かれているんですね。
今夜はこの本州の北端の宿で、一つ飲み明かさうぢゃないか。
こりゃ、いかん。今夜は、僕は酔ふぞ。いいか。酔ってもいいか。
かまわないとも。僕も今夜は酔ふつもりだ。ま、ゆっくりやらう。 太宰治「津軽」より
この最果ての地で酒は貴重だったらしくおかみさんは酒を手配するのに苦労したようです。今は立派な道路が通っていますが、昔の風景を見ると本当に最果ての地ということが実感できますね。
そこから先は帯島と言って民宿が1件あるだけの島でそこで道路は行き止まりになります。そこから引き換えし途中にある階段国道339号を登ってみることに。階段国道の案内図はあるのだが、家がひしめき合って建っているのでどこを行けばいいのかわからずうろうろしていると赤いラインで案内しているではないか。そこを通って行ってみた。でも本当に細い路地なので家の人と顔を合わせてなんか中を覗いているようで恥ずかしいよね。
細い路地をぐるりと回っていくと階段に行き当たります。途中家の中からおばあさんに「今日は暑くて大変だね」と青森弁で言われた。ここから灯台に通じる道路まで階段が続きます。途中の見晴らしがいいところまで登り挫折して戻ってきた。また同じところでおばあさんに「今日は暑くて大変だね」みたいなことを言われた。なんか素朴でいいですよね。気兼ねなく声を掛け合う。昔はみんなそうだったのかもしれないね。
そこから今度は竜飛崎灯台へ。灯台からは北海道が見えました。ここが津軽海峡なんですね。マグロがうじゃうじゃ泳いでいるのかな?食いてぇ~!!ついに最果ての地竜飛崎に到着しました。
日曜日なのに観光客は少ないですね。車も少ないです。駐車場にある売店に竜飛本マグロの看板が!!店主が以前釣ったことのある大きさだそうです。でもマグロはありませんよ!!
少し下ったところに「津軽海峡冬景色」の歌謡碑がありました。前にあるスイッチを押すと石川さゆりが大音量で「津軽海峡冬景色」を歌います。スイッチを押したはいいがあまりにも声が大きいのでちょっと恥ずかしくなった。今から30数年前この歌を聴きながら本州最北端の地大間岬を目指したのを思い出した。あの頃のカーステレオは8トラックのものだったので繰り返し何十回も聞いたような気がする。高速が北上までしかなかったから後は国道4号線を延々と走ったっけ。朝大間岬についてそこで寝込んだのを思い出した。なんか懐かしいですね。
ごめんなさい。
今日はここまでで身体がビールを要求しているのでやめます。次回Part4で最終回にするよう頑張ります。