田舎人の徒然日記

退職後を故郷で暮す1948年式男の書き散らし

生き延びる「レッテル貼り」

2015-09-20 | 日々の暮し

〔庭に咲くセージ。名に自信がない・・・(画像クリックで拡大)

 今回の安保法制の議論に関し日本人の後進性を知った。
 提案された安保法制の賛成派の考えの基礎は、中国が軍事大国となり東・南シナ海などで「力」による現状変更を狙っている、北朝鮮は核開発を行いつつ威嚇外交を行っているなど日本をとりまく国際環境が変化している状況において、これに対応する態勢を整備しなければ日本国の平和、安全は確保できないというものだろう。

 賛成派の中には、今回の安保法制に反対する人々に対して、現状を無視し、憲法9条や平和をお題目のように唱えても平和は確保されず、中国などを利するだけであり、そうした人間は「親中・反日」人間だとのレッテルを貼りつける人がいた。
 人間を情緒的に一気に分別する恐るべき手法だ。

 大日本帝国政府の施策にそぐわぬ者は「非国民」のレッテルを貼られ、特高警察に連れ去られる時代があった。
 「非国民」とのレッテルを貼られれば、それだけで不遇の日々に追い込まれる時代だったのだ。
 安保法制をめぐる様々な意見のなかで、21世紀の今なお「レッテル貼り」手法が生き延びていることに恐怖を感じた。
 「いつか来た道」にならぬよう注意しよう。


〔除草時、救済したのが咲いている(画像クリックで拡大)

 (余談) 小生の思いつき
 尖閣付近の領海侵犯、サンゴ密漁などは自衛権に基づきもっと強く対処すべきではないかということ・・・について。
 尖閣諸島近辺の警戒を自衛艦が行えば、それは相手国からは軍事的行為と判断されるだろう。なにかが起これば一気に軍事問題に発展する。海上保安庁なら警察権の行使であって軍事問題までのエスカレートを避ける途が開ける。サンゴ密漁も警察権により取り締まればいいのではないか。
 要するに自衛権を発動するまでもなく警察力で対処する方が軍事問題にまでエスカレートさせない現実的方法と思うのだが。勿論、常に最悪を想定した個別自衛権の行使力は常に整備しておくことは当然である。

 相手国に口実を与えないことが大事だと・・・。
 日本が集団的自衛権を云々し、アメリカと共同行動をする中では理論上、相手国に戦争の口実を与える可能性が高まるのではないか。国連憲章には「敵国条項」なるものが存在し、今も日本国は「敵国」にされたままという。国連加盟国が戦闘行為に入る場合、国連の承認が必要とされるが、「敵国」とされている国に対しては、国連が判断するまでの間、独自に地域集団的自衛権の行使が可能とされているらしい。ということは、日本がアメリカと一緒に国外で何らかの軍事的行動をした場合、某国がそれを地域同盟国の安全が脅かされたと判断すれば日本に対しては直ちに戦闘行為に入れる国連憲章上の大義名分を得ることになるのではないか。そういう面では日本の安全を守るというよりも危険性を増加させる法制といえるのではないだろうか。

 今回の安全法制は平和のリスクを高めたとは思えない。
 むしろ危険リスクを高めたと思う。

 こうした問題は小生の埒外のことなので、あちこちで見聞きしたことを基にしており、基礎となる事実の検証はしていない。よって、これはあくまでも個人的な思いつきだ。
 安全法制の採決までの経過に対する腹立ちが収まらず勢いでこんなことを記しているが、切りがないので、もう、止めようと思う。