4/16(日)つつじが丘の開花は・・・
10時 宇城市役所不知火支所集合
宇城市文化課の学芸員Kさんの先導で
14名の参加者は車3台に分乗して出発
葉桜になり一気に夏日の陽気
「皆さん、今日はウォーキングですよ!」
200mくらい歩きますが大丈夫ですか?
不知火海を望む丘陵上に築かれている
市指定史跡 不知火塚原古墳第1号へ
昨年の熊本地震により損壊しているため
古墳内部に入ることはできない
壁画のような天井石装飾文様が描かれているそうですが
解析は困難な状態であり
古墳から当時の生活様式を推測するのも難しいとのこと
この場所は、古くから不知火(死者の魂)の火が一番見える場所
城主にとって悪ガキの頃のホームグランドであったようで
昔のいたずら遊びを回想して懐かしむ
次の目的地「蕉夢庵」に向かいますが
宇土藩5代藩主細川興文(隠居して月翁と号す)
月翁が愛でた庵の周辺9カ所の景勝の地に
月翁の筆跡を刻んだ「九勝(きゅうしょう)之石」があり
その中の一つ「雷鳴園」
岩に激しく当たって流れる谷川の響きを雷鳴に例えたもの
狩猟の際の別荘か庵としていた建物を
隠居後の住居として増改築したものと考えられるのが
蕉夢庵(現宇城市不知火町)
蕉夢庵記による絵図
現在は建物跡の礎石が残るのみで
雑草が伸びて当時の面影は望めない
近くにある「桂原窯」も今日は閉じているようである
「松韻谷」は
松風の音が颯々としている谷を表し
白居易の詩「松韻徒煩聴」によるものとされる
彫られた筆跡を詠んでみましょう
最後は不知火町古屋敷の勝負迫にある「つつじが丘」へ
咲き具合を案じながら不知火海を眼下に
狭い車道を上がると絶景ポイント
「咲いてますよ!」
見頃ではありませんか
良かったですね〜
がねさん一押しの景勝地で
皆さんとつつじを愛でながら美味しいお弁当をいただきました
歴史と自然に恵まれた地域文化に触れ
とても有意義で楽しい研修会となり
がねさんはじめ皆さん
ありがとうございました
自己の生きざまや築いて来た文化を
みつめるという視点で文芸活動を行う
文芸誌「しらぬい会」
皆さまのますますのご活躍を期待して
解散となりました。。。
10時 宇城市役所不知火支所集合
宇城市文化課の学芸員Kさんの先導で
14名の参加者は車3台に分乗して出発
葉桜になり一気に夏日の陽気
「皆さん、今日はウォーキングですよ!」
200mくらい歩きますが大丈夫ですか?
不知火海を望む丘陵上に築かれている
市指定史跡 不知火塚原古墳第1号へ
昨年の熊本地震により損壊しているため
古墳内部に入ることはできない
壁画のような天井石装飾文様が描かれているそうですが
解析は困難な状態であり
古墳から当時の生活様式を推測するのも難しいとのこと
この場所は、古くから不知火(死者の魂)の火が一番見える場所
城主にとって悪ガキの頃のホームグランドであったようで
昔のいたずら遊びを回想して懐かしむ
次の目的地「蕉夢庵」に向かいますが
宇土藩5代藩主細川興文(隠居して月翁と号す)
月翁が愛でた庵の周辺9カ所の景勝の地に
月翁の筆跡を刻んだ「九勝(きゅうしょう)之石」があり
その中の一つ「雷鳴園」
岩に激しく当たって流れる谷川の響きを雷鳴に例えたもの
狩猟の際の別荘か庵としていた建物を
隠居後の住居として増改築したものと考えられるのが
蕉夢庵(現宇城市不知火町)
蕉夢庵記による絵図
現在は建物跡の礎石が残るのみで
雑草が伸びて当時の面影は望めない
近くにある「桂原窯」も今日は閉じているようである
「松韻谷」は
松風の音が颯々としている谷を表し
白居易の詩「松韻徒煩聴」によるものとされる
彫られた筆跡を詠んでみましょう
最後は不知火町古屋敷の勝負迫にある「つつじが丘」へ
咲き具合を案じながら不知火海を眼下に
狭い車道を上がると絶景ポイント
「咲いてますよ!」
見頃ではありませんか
良かったですね〜
がねさん一押しの景勝地で
皆さんとつつじを愛でながら美味しいお弁当をいただきました
歴史と自然に恵まれた地域文化に触れ
とても有意義で楽しい研修会となり
がねさんはじめ皆さん
ありがとうございました
自己の生きざまや築いて来た文化を
みつめるという視点で文芸活動を行う
文芸誌「しらぬい会」
皆さまのますますのご活躍を期待して
解散となりました。。。