6/20(金)先人の知恵と工夫の「土木遺産」
菊陽町周辺にはよく出かけるが
いつも素通りの以前から気になっていた
歴史的農業施設「鼻ぐり井手」を見学
菊陽町馬場楠から熊本市の大江渡鹿までの約13kmの
灌漑用水路で現在でも181haの水田を潤しています
説明板には
慶長13年(1608年)に加藤清正により
築造されたと伝えられ
阿蘇火山に源を発する白川は火山灰土壌の堆積がひどく
かんがい用水路の維持管理が悩みの種であった
そこで考案されたのが、この「鼻ぐり」という比類なき特殊技法で
水路に4~5m間隔に壁を作り(岩盤の場合は残し)
その下辺に直径2m強の水流穴(鼻ぐり穴)をくり抜く
すると、水の流れは渦を巻き、土砂の堆積を防ぎ下流に排出
自然の摂理をうまく利用した画期的工法で
水流穴の形が牛の鼻輪を通す穴(鼻ぐり)に
似ていることが由来だとか
当時 、80ヶ所ほどあったと記録されいるようで
江戸時代末期に水理を知らない役人によって
約50ヶ所が破壊されたと伝えられ
現在では24ヶ所を残すのみですが
昔と変わらずその役目を果たしているそうです
土木の神様と呼ばれた加藤清正の偉業が
今も熊本の人々の生活を潤し恩恵を与え続けている
やはり、清正公さんは凄い!
11月には「清正公(せいしょこ)さんの鼻ぐり井手祭」が開催され
ここの水を抜いて歩いて探検するという特別企画
「井手底探検」も行われるそうですよ
ちょっと興味深い。。。
菊陽町周辺にはよく出かけるが
いつも素通りの以前から気になっていた
歴史的農業施設「鼻ぐり井手」を見学
菊陽町馬場楠から熊本市の大江渡鹿までの約13kmの
灌漑用水路で現在でも181haの水田を潤しています
説明板には
慶長13年(1608年)に加藤清正により
築造されたと伝えられ
阿蘇火山に源を発する白川は火山灰土壌の堆積がひどく
かんがい用水路の維持管理が悩みの種であった
そこで考案されたのが、この「鼻ぐり」という比類なき特殊技法で
水路に4~5m間隔に壁を作り(岩盤の場合は残し)
その下辺に直径2m強の水流穴(鼻ぐり穴)をくり抜く
すると、水の流れは渦を巻き、土砂の堆積を防ぎ下流に排出
自然の摂理をうまく利用した画期的工法で
水流穴の形が牛の鼻輪を通す穴(鼻ぐり)に
似ていることが由来だとか
当時 、80ヶ所ほどあったと記録されいるようで
江戸時代末期に水理を知らない役人によって
約50ヶ所が破壊されたと伝えられ
現在では24ヶ所を残すのみですが
昔と変わらずその役目を果たしているそうです
土木の神様と呼ばれた加藤清正の偉業が
今も熊本の人々の生活を潤し恩恵を与え続けている
やはり、清正公さんは凄い!
11月には「清正公(せいしょこ)さんの鼻ぐり井手祭」が開催され
ここの水を抜いて歩いて探検するという特別企画
「井手底探検」も行われるそうですよ
ちょっと興味深い。。。
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