陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

オバマとケネディ

2009-10-14 08:59:40 | Weblog
オバマをケネディ(J・F・ケネディ)とダブらせる向きも多い(と思う)。
昨日のブログの補足になるが、

広島・長崎がオリンピック招致に手をあげる点に関し、
> 2)オバマ&米国にプレッシャーをかける

という点。
勿論、これは核廃絶に向けた今後のオバマの行動に対するプレッシャーの意。

ワタシは、別にオバマを嫌っている訳ではなく、
大いに頑張ってもらいたいが、
世の期待感(最近は少し落ち目だけど)が大きいだけに、気になる点がある。

オバマ自身もケネディを標榜しているらしいが、
多数がイメージするケネディ像は、虚像というか、偶像に近いものがある様に感じる。
ワタシは、むしろ弟のロバート・ケネディをかっているのだが、
両名とも、殺された点が虚像を一層膨らませている様に思う。

日本でいえば、例えば、坂本竜馬と同じ。
生きていれば、という期待感が実像以上の人物像を作ってしまう。

自身の意に反したであろうが、ベトナムに深入りしてしまったのはケネディ。
結果として、ベトナムが泥沼状態に陥いる、その道筋を作ってしまった。
もし、殺されずに生きていれば、後世、どういう評価を得たであろうか。
ベトナムで、米国社会がどうにもならない様になってしまった責任者として評価された可能性は大。

オバマも同じ。
アフガン、イラクが泥沼になりつつある。
勿論、元々はオバマ自身が引き起こした訳ではないが、前任者の後始末で、
「平和」を回復すべく「増派」をする。
「正義」の名の下に。
その増派の連続は、結果として更なる泥沼を招く。
ベトナムと全く同じ。
正義は、オバマの、そしてアメリカから見ての正義であって、別の角度から見れば新たな侵略。
そして、オバマの意図とは違う方向に流れてゆく。
これは歴史の悪意。
いや違う、歴史の必然。

何が言いたいかって?
別のたとえをすると、
歴史上の暴君は、殆どが、個人をみれば抜きんでて優秀な人物であったということ。
(例外もいるけど。)
それが、歯車が狂うと暴君になってしまう。
ケネディやオバマを暴君と言っているのではなく、
個人がいかに優秀で、理想に向けて努力をしても、
歴史を味方につけねば、逆に反動になってしまう。

しかし、これは難しい。
歴史の意思は、人には分からないから。
結果でしか分からない。

ワタシが「歴史の意思」なんて言葉を口にすると、
人は笑うでしょうなあ。
ジブンのことも分かっていないプアが、人のことを言えたもんだと。
ワタシも、それを言われると、何も言えなくなりますなあ。

ま、オバマさんよ、
核廃絶に向けて大いに頑張ってくださいましな。
世界に核がなくなり、広島・長崎で平和の祭典が営まれる様に。
これって、かってのパックス・アメリカーナが形を変えて実現するということ?
もう、パックス・アメリカーナはありえないんだけどね。
コメント
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