陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

象徴天皇の資質とは

2021-10-25 10:29:06 | Weblog
A宮は、これまで「自分は天皇になるための教育を受けていない」と強調してきたそうな。
しかし、このお人は「天皇になるための教育」とは何なのか、分かって言うておるんですかなぁ? 
兄の天皇はんかて、「自覚」と「心構え」の下で過ごしてきたからこそであって、A宮と違う「特別な教育」があったんですかな?
学習院を含め、学校教育にそんなモンがあるワケがないし、他にそれがあるとすれば、今からでもその「特別な帝王教育」を受けたらええんですわ。

今の象徴天皇制の下では、かっての「帝王教育」、例えば「人を観る力」、「将来を読む力」、「世界の分析力」なんぞは不要でござりますよ。
「不要」が言い過ぎならば、その順番はずっと下やと言い換えまする。
そして圧倒的に必要なものは、「国民との共感力」でござりましょう。
それに必要なものが何なのか、それを自分で考え、実行することですわ。

もっとも、その「特別な帝王教育」を受けたところで、受けるに相応しい資質があるかどうか、それが問題なんやけどね。
今回のM子・コムロ事件の「さばき」が全てを物語っておりまするよ。
ま、オノレに資質が無いのを承知の上で、「教育を受けていない」と言い訳をしとるんのかも知れんけど。。。

とはいえ、次代以降の天皇は、これまでと違うて、別の能力が必要かもね。
国民統合の象徴やのうて、「詐欺師・ペテン師統合の象徴」になるとすれば、これまでの帝王学では通用せんかもよ。

ん? 息子の教育に自信が無い?
いいえ、子供は親の背中を見て育つものでござりますよ。
この親にしてこの子ありですわ。蛙の子ぉは蛙ですわ。

巷で聞く噂では「A宮家では息子を東大に」なんぞと言われておるが、国民は天皇にそんなものを求めておるワケではござりませぬ。
おバカでは困るが、高偏差値や高IQなんぞ、多少の飾りにはなるかも知れんけど、そんなもの「国民統合の象徴」には何の役にもたちませぬ。

今の世、倫理観に裏打ちされた日頃の言動と生活態度が全てでござりましょう。
それに国民が共感するかどうか、ですわ。
仮定の話として、身内や親族となる者には(皇室パワーで)特別の便宜をはかることがあるとすれば、国民はどう感じるでありましょうなぁ。

もし、オノレの背中が頼りないんやったら、相応しい教育係を任命して補完したらどないですかな?
今まで教育係をおかんかったのは、オノレに自信があったんやないの?
ま、所詮は息子たる本人次第でござりまする。

かく言うワタシはアホで、且つ、子育てに失敗した陋巷底辺なもんで、偉そうなことを言う資格なんぞ無いんやけどね。。。 申し訳ござりませぬ。 
ただ、失敗した子育てというても、M子ほど酷うはないですよ。
コメント
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