大変な人気の池上彰さん、TVを点けるとあちらでもこちらでも判り易いニュース解説で大活躍していた。同氏は、一切の出演をやめて充電、取材と執筆に専念するということが、13日の新聞に載った。
他人ごとながら、こんなに忙しくては体が持たないのではと心配していた。早めに活動方針を切り替えたのは、大変賢明な選択であると、ほっと一安心している。
この日の読売新聞「編集手帳」に、萩本欽一さん言葉「充電なしに放電が求められる・・・」が引用されていた。売れっ子になると、まさに欽ちゃんの言葉のように放電ばかりになってしまう危険性がきわめて大きくなるのだろう。
小生は、池上彰さんのこの活躍を横目で見て、“このような池上彰ブームという現象は、Nという巨大な組織から飛び出さないとできなかった。”のはなぜかということを考えずにはおられなかった。「はみ出さないと、あるいは飛び出さないと、能力が生かせない」ような組織では困ったことである。
池上彰さんは、民放で大きく開花したが、N内部では不発というべきだったのではないだろうか。Nの組織運用というか、人材の生かし方というか、運営方針というか・・・個人の能力・個性・特質を殺してしまうようなそんなものがあり、これが大きな硬直性や後進性をもたらしているのではないのかと思うのである。Nの内部の人(top)にご一考いただきたい点なのである。
追記;
判り易いニュース解説を、どれほど庶民が必要としているかを証明した現象でもあった。マスコミ関係者は、頭を切り替える必要があると、厳しく認識し報道の在り方を改革してもらいたい。
我々庶民というか平民は、大した専門知識がある訳ではない。伝える側の一方的な論理で専門的な表現に終始してきた結果、多くのニュースが念仏のようになってしまった。読み手に合わすこともまた必要なのだと認識し、報道の在り方も見直してほしいものである。