この言葉は、ラジオ深夜便の隠居大学から引用した。
1月の天野祐吉の隠居大学に、荻野アンナさんが出演した時の再放送であった。寝ぼけ眼で途中から聞いたので脈絡に欠けるのだが、それでも大変ユニークな内容なのでご紹介する気になった。
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老後の過ごし方に、定住派と放浪派があるという。大半の日本人は定住派で定まった所に居を構え、そこを拠点にして老後を過ごしている。荻野先生のような混血で日本人離れした人は、放浪派に憧れているようで、温泉宿を泊まり歩くなど家を飛び出して、あちこち放浪するのが老後の夢だという。人それぞれ自由に過ごせばいいので、そんな選択もありなのだと納得した。
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荻野先生はまだ55歳くらいなので、老後にはちと早いのだが、今から心配していることが、「時間がいくらあっても足りない。」ということだという。そのことは小生も現実的に直面している困った問題で、何とか解決策がないものかと、毎日頭を悩ましているのである。小生の場合には、あれこれしたいことが沢山ある上に、歳とともに処理能力が低下してくるという、両方からますます時間不足になっているのである。
この解決策は、年齢に応じて、次第にやりたいことしたいことから撤退していくのが、おそらく最も有効な対策になりそうだと予感し始めている昨今である。
荻野先生が、実にうまいことを言った、「死ぬまで生きよう」と。自然に死ぬるまで、肩肘張らず自由奔放にあるがままに生きて行けば良いのである。
小生も親しい人達との挨拶にこの言葉を真似してみたいと思っているのである。