(序文)
発足以来、長年に亘り様々な活動やイベント企画運営を、全国各地で数多く行なってきました。
その歩み・発展過程は活動内容などによって、以下の5つの時期に区分する事ができます。
1. 黎明期 ・・・・・ 1991年 ~ 1994年
2. イベント活性期 ・・ 1995年 ~ 2000年
3. 脱皮始動期 ・・・・ 2001年 ~ 2004年
4. 試行錯誤期 ・・・・ 2005年 ~ 2009年
5. Web展開期 ・・・・ 2010年 ~
以上の5つの時期別に活動内容の変化を説明致しますので、どういう過程を踏んで活動を成熟させて現在に至っているかを判断する参考にしてもらえれば幸いです。
* * *
黎明期 (1991年~1994年)
地球上の生物に例えるならば、約6億年前、2回目の全球凍結の後に多細胞生物が一気に増えた「エディアカラ紀」から「カンブリア紀」といえる。
ナンバー付きのオンロードバイクのイベントといえば、単なる講習会か競技会しか無かった当時、初めてジムカーナ専門の『ジムカーナレッスン』を開催した事や、『ジムカーナパーティ』という誰でも気軽に楽しめるイベントを初年度から企画開催した事など、全く画期的なイベントを生みだした。
しかも、最も画期的だった点は、参加者自らがイベントの企画と運営を行なう『全員スタッフ全員参加制』というスタイルを確立させた事です。
それによってメーカー主催の画一的なイベントとは異なり、目的やニーズに合わせてイベント内容を発展させ、イベント開催数や開催会場を一気に増やす事につながった。
そして、このGRAの活動の成功によって、全国各地に同様の運営形態を採用した運営団体が数多く誕生し、自然に連携をとってお互いが活動するようになり、1995年から始まる『ジムカーナグランプリ』開催の基盤となる。
他には、ホンダ社との協力関係も深め、タイアップでのイベント企画開催も多く行なう。
【関連・新規用語など】 全員スタッフ全員参加制、 ジムカーナレッスン、 特別練習会、 ジムカーナパーティ、 ベーシックジムカーナ、 タイム指数
イベント活性期 (1995年~2000年)
この時期は、生物史で言えば「ジュラ紀」から「白亜紀」、恐竜がその栄華を誇った時期に例えられる。
哺乳類や爬虫類と等しく住み分けていた恐竜が、ほんのちょっとした“きっかけ”で繁栄へと突き進んだように、1995年の大事件が“きっかけ”となり一気に「イベント活性期」が訪れる。
1995年1月に発生した「阪神淡路大震災」により、当時のGRA事務局(代表宅)が全壊の被害を受け、代表自身の生活・勤務に大きな被害と影響を与える。
生活環境などを以前と同様に回復させる事はできず、代表個人の競技者としての活躍や目標は断念せざるを得なくなったが、その分だけGRAの活動に全精力を注ぎ込んでいく“きっかけ”となり、イベントの種類や開催数、参加者数が一気に増える時期となった。
全国を転戦する『ジムカーナグランプリ』では、文字通り沖縄から北海道までを転戦するようになった他、女性専用イベント
「速さ」や「楽しさ」だけを求める参加者ライダーの増加は、GRA活動そのものを行き詰まらせるという問題点を顕在化させ、次の展開(脱皮活動期)へと時代が変わった。
( 順調に進んでいた活動が天災によって大きな転換期を迎え、それをきっかけにしてイベント開催活動が一気に盛んになった時期です。
1995年1月に発生した「阪神淡路大震災」の影響により、代表宅(GRA事務局)が全壊の非がを受け、代表自身の生活や勤務にも大きな影響・被害を与える。
そのため代表個人の競技者としての活動目標は断念せざるを得なくなるが、その分だけGRAの活動へは影響を与えないように残った力を注ぐ。
1995年に開始した、全国を転戦するシリーズ戦『ジムカーナグランプリ』を始めとして、『セッティング講習会』、女性ライダー対象の『レディースジムカーナ』などイベント活動が一気に増えて、1997年~1999年当時には年間40回を超えるイベント開催を行なうまでになる。
が、イベント開催だけでは達成が難しい課題が顕在化して次の展開へとつながる )
【開催・新規用語など】 ジムカーナグランプリ 奨学飴制度 事務局全壊被害&移転 セッティング講習会 レディースジムカーナ
脱皮始動期 (2001年~2004年)
恐竜全盛期が終わり小型哺乳類繁栄の時代を迎えたのは約6500万年前の隕石衝突が原因と言われているが、[イベント活性期]に幕を引き新しい時代を迎えるには隕石のそれと同じ位の衝撃が必要となった。
6年の間に合計230回を超えるイベント開催数と当日参加人数が約12,000人と、数多くのライダーにスキルアップと楽しみの場を提供してきたが、GRA発足当初から目標にしていた社会的な“意識”や“心”の育成は充分にできていなかった。
“速さ”や“楽しさ”を求める“参加者ライダー”は多く育成できたが、運営活動の脆さや労苦への配慮心や、楽しめる環境を自ら守り育てる意識を充分に育てられなかった事に気付き、活動の方向性を改めていくために『第1期・脱皮計画』を始める事になった。
イベント開催の度に長時間のミーティングを重ねるなど、手探り状態で“意識”や“心”の育成活動を精力的に行なうが、真面目に参加してきた参加者にとっては目的が充分に理解できず、やがて参加する人数も減っていく。
イベント活動も充実させるために一層の工夫を重ねていくが、イベント開催活動を従来程度に維持しながらの“方向転換”は決して容易でないという結論に至り、その経験を活かして更なる“脱皮”を行なう『試行錯誤期』へと歩を進める事になる。
従来通りのイベント形式では目的を達成できない事てい充分に達成できていない課題とそれに伴う弊害が顕在化したため、『脱皮計画』により活動健全化に向けた転換を開始する。
( 様々なイベント開催活動によって運転技術の向上などは達成できるが、社会の中でより良いオートバイライフ環境を守り育てる心を持つライダーの育成を目指し、様々な機会を捉えてミーティングを重ねる )
【開催・新規用語など】 第1期・脱皮計画、 草ジムカーナ、 “わいわい”レッスン、
試行錯誤期 (2005年~2009年)
住みなれた森から草原へと環境を変えた事が、猿人から原人への進化へとつながったのと同様に、慣れ親しんだイベントの運営形式を止めて意識向上を求めての試行錯誤の時期となった。
“進化”を目指したように、イベントの企画運営活動の中で、オートバイライフ環境を守り育てる心や意識を育成する事は決して容易なチャレンジではない。
ために、イベント開催数や参加人数の減少を覚悟しつつ、転換の第2段階『第2期・脱皮計画』を開始させる。
オートバイを操作する事がメインとなるイベントの中で、『心や意識の育成』の目的を達成するために様々な企画を試みる事を重ね、『心や意識の育成』に有効な手法やプログラムを確立させる。
例えば、“わがまま発揮制度”といって参加者一人一人が要望を主張し合ってスケジュールやプログラム、走行コースまでも当日のその場で決めていく方式では、参加者自身が何をしたいのか主張する必要があるため、目的意識を口に出して周りを説得する能力が求められ、同時に他の者の存在や考えに無関心でいられない状況を生み、一般的なイベントでは得られない社会意識を育む実績を残す。
【開催・新規用語など】 第2期・脱皮計画、 NPO法人格取得 わがまま発揮制度、 挨拶タイム、 寄付金制度、 GRAツアー
Web展開期 (2010年~ )
イベント開催の企画開催や運営は、比較的に容易に出来る事で、参加する人のニーズに合わせていれば運営資金にも困らず残せていけるもの。しかし、より大切な心や意識の育成を目指すならば、参加者から“お客様意識”を取り除く作業が必要となり、お客様意識の大多数を相手にする際には相応の技術が必要になる。
その上、イベント開催だけに偏った活動だけでは特定の地域の特定の人のみしか対象にできないという大きな縛りがある。
それらの制約から抜け出すために、Webサイト活動を通じて “心” “技” “体” “バイク”をバランス良く磨く大切さを説き、社会の中でオートバイライフ環境を育成していく大切さを世に問う活動へと踏み出します。
そして、全国からGRA活動に関心や興味を持つ方を募り、出張イベントの開催や一緒に活動を行なう方を育成する活動を行ないます。
発足以来、長年に亘り様々な活動やイベント企画運営を、全国各地で数多く行なってきました。
その歩み・発展過程は活動内容などによって、以下の5つの時期に区分する事ができます。
1. 黎明期 ・・・・・ 1991年 ~ 1994年
2. イベント活性期 ・・ 1995年 ~ 2000年
3. 脱皮始動期 ・・・・ 2001年 ~ 2004年
4. 試行錯誤期 ・・・・ 2005年 ~ 2009年
5. Web展開期 ・・・・ 2010年 ~
以上の5つの時期別に活動内容の変化を説明致しますので、どういう過程を踏んで活動を成熟させて現在に至っているかを判断する参考にしてもらえれば幸いです。
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黎明期 (1991年~1994年)
地球上の生物に例えるならば、約6億年前、2回目の全球凍結の後に多細胞生物が一気に増えた「エディアカラ紀」から「カンブリア紀」といえる。
ナンバー付きのオンロードバイクのイベントといえば、単なる講習会か競技会しか無かった当時、初めてジムカーナ専門の『ジムカーナレッスン』を開催した事や、『ジムカーナパーティ』という誰でも気軽に楽しめるイベントを初年度から企画開催した事など、全く画期的なイベントを生みだした。
しかも、最も画期的だった点は、参加者自らがイベントの企画と運営を行なう『全員スタッフ全員参加制』というスタイルを確立させた事です。
それによってメーカー主催の画一的なイベントとは異なり、目的やニーズに合わせてイベント内容を発展させ、イベント開催数や開催会場を一気に増やす事につながった。
そして、このGRAの活動の成功によって、全国各地に同様の運営形態を採用した運営団体が数多く誕生し、自然に連携をとってお互いが活動するようになり、1995年から始まる『ジムカーナグランプリ』開催の基盤となる。
他には、ホンダ社との協力関係も深め、タイアップでのイベント企画開催も多く行なう。
【関連・新規用語など】 全員スタッフ全員参加制、 ジムカーナレッスン、 特別練習会、 ジムカーナパーティ、 ベーシックジムカーナ、 タイム指数
イベント活性期 (1995年~2000年)
この時期は、生物史で言えば「ジュラ紀」から「白亜紀」、恐竜がその栄華を誇った時期に例えられる。
哺乳類や爬虫類と等しく住み分けていた恐竜が、ほんのちょっとした“きっかけ”で繁栄へと突き進んだように、1995年の大事件が“きっかけ”となり一気に「イベント活性期」が訪れる。
1995年1月に発生した「阪神淡路大震災」により、当時のGRA事務局(代表宅)が全壊の被害を受け、代表自身の生活・勤務に大きな被害と影響を与える。
生活環境などを以前と同様に回復させる事はできず、代表個人の競技者としての活躍や目標は断念せざるを得なくなったが、その分だけGRAの活動に全精力を注ぎ込んでいく“きっかけ”となり、イベントの種類や開催数、参加者数が一気に増える時期となった。
全国を転戦する『ジムカーナグランプリ』では、文字通り沖縄から北海道までを転戦するようになった他、女性専用イベント
「速さ」や「楽しさ」だけを求める参加者ライダーの増加は、GRA活動そのものを行き詰まらせるという問題点を顕在化させ、次の展開(脱皮活動期)へと時代が変わった。
( 順調に進んでいた活動が天災によって大きな転換期を迎え、それをきっかけにしてイベント開催活動が一気に盛んになった時期です。
1995年1月に発生した「阪神淡路大震災」の影響により、代表宅(GRA事務局)が全壊の非がを受け、代表自身の生活や勤務にも大きな影響・被害を与える。
そのため代表個人の競技者としての活動目標は断念せざるを得なくなるが、その分だけGRAの活動へは影響を与えないように残った力を注ぐ。
1995年に開始した、全国を転戦するシリーズ戦『ジムカーナグランプリ』を始めとして、『セッティング講習会』、女性ライダー対象の『レディースジムカーナ』などイベント活動が一気に増えて、1997年~1999年当時には年間40回を超えるイベント開催を行なうまでになる。
が、イベント開催だけでは達成が難しい課題が顕在化して次の展開へとつながる )
【開催・新規用語など】 ジムカーナグランプリ 奨学飴制度 事務局全壊被害&移転 セッティング講習会 レディースジムカーナ
脱皮始動期 (2001年~2004年)
恐竜全盛期が終わり小型哺乳類繁栄の時代を迎えたのは約6500万年前の隕石衝突が原因と言われているが、[イベント活性期]に幕を引き新しい時代を迎えるには隕石のそれと同じ位の衝撃が必要となった。
6年の間に合計230回を超えるイベント開催数と当日参加人数が約12,000人と、数多くのライダーにスキルアップと楽しみの場を提供してきたが、GRA発足当初から目標にしていた社会的な“意識”や“心”の育成は充分にできていなかった。
“速さ”や“楽しさ”を求める“参加者ライダー”は多く育成できたが、運営活動の脆さや労苦への配慮心や、楽しめる環境を自ら守り育てる意識を充分に育てられなかった事に気付き、活動の方向性を改めていくために『第1期・脱皮計画』を始める事になった。
イベント開催の度に長時間のミーティングを重ねるなど、手探り状態で“意識”や“心”の育成活動を精力的に行なうが、真面目に参加してきた参加者にとっては目的が充分に理解できず、やがて参加する人数も減っていく。
イベント活動も充実させるために一層の工夫を重ねていくが、イベント開催活動を従来程度に維持しながらの“方向転換”は決して容易でないという結論に至り、その経験を活かして更なる“脱皮”を行なう『試行錯誤期』へと歩を進める事になる。
従来通りのイベント形式では目的を達成できない事てい充分に達成できていない課題とそれに伴う弊害が顕在化したため、『脱皮計画』により活動健全化に向けた転換を開始する。
( 様々なイベント開催活動によって運転技術の向上などは達成できるが、社会の中でより良いオートバイライフ環境を守り育てる心を持つライダーの育成を目指し、様々な機会を捉えてミーティングを重ねる )
【開催・新規用語など】 第1期・脱皮計画、 草ジムカーナ、 “わいわい”レッスン、
試行錯誤期 (2005年~2009年)
住みなれた森から草原へと環境を変えた事が、猿人から原人への進化へとつながったのと同様に、慣れ親しんだイベントの運営形式を止めて意識向上を求めての試行錯誤の時期となった。
“進化”を目指したように、イベントの企画運営活動の中で、オートバイライフ環境を守り育てる心や意識を育成する事は決して容易なチャレンジではない。
ために、イベント開催数や参加人数の減少を覚悟しつつ、転換の第2段階『第2期・脱皮計画』を開始させる。
オートバイを操作する事がメインとなるイベントの中で、『心や意識の育成』の目的を達成するために様々な企画を試みる事を重ね、『心や意識の育成』に有効な手法やプログラムを確立させる。
例えば、“わがまま発揮制度”といって参加者一人一人が要望を主張し合ってスケジュールやプログラム、走行コースまでも当日のその場で決めていく方式では、参加者自身が何をしたいのか主張する必要があるため、目的意識を口に出して周りを説得する能力が求められ、同時に他の者の存在や考えに無関心でいられない状況を生み、一般的なイベントでは得られない社会意識を育む実績を残す。
【開催・新規用語など】 第2期・脱皮計画、 NPO法人格取得 わがまま発揮制度、 挨拶タイム、 寄付金制度、 GRAツアー
Web展開期 (2010年~ )
イベント開催の企画開催や運営は、比較的に容易に出来る事で、参加する人のニーズに合わせていれば運営資金にも困らず残せていけるもの。しかし、より大切な心や意識の育成を目指すならば、参加者から“お客様意識”を取り除く作業が必要となり、お客様意識の大多数を相手にする際には相応の技術が必要になる。
その上、イベント開催だけに偏った活動だけでは特定の地域の特定の人のみしか対象にできないという大きな縛りがある。
それらの制約から抜け出すために、Webサイト活動を通じて “心” “技” “体” “バイク”をバランス良く磨く大切さを説き、社会の中でオートバイライフ環境を育成していく大切さを世に問う活動へと踏み出します。
そして、全国からGRA活動に関心や興味を持つ方を募り、出張イベントの開催や一緒に活動を行なう方を育成する活動を行ないます。
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