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帝国人絹疑獄事件で斎藤実内閣総辞職

2009-07-03 | 歴史
帝国人絹疑獄事件とは、昭和初期に起った帝国人造絹絲株式会社(以下帝人と呼ぶ)の株式売買をめぐる大疑獄事件である。斎藤実内閣総辞職の原因となったが、後に起訴された全員が無罪となり、倒閣を目的にしたでっち上げであったと言われている。
帝人は神戸に本店を置いていた戦前の日本の財閥の1つである鈴木商店の系列会社であったが、1927(昭和2)年の昭和金融恐慌で鈴木商店が倒産すると、帝人株が、台湾銀行(以下台銀と略す)の担保になった。
まず、この帝人疑獄事件についての顛末について、正確を記すため、私の蔵書の1つアサヒクロニクル「週刊20世紀」No69での記述をそのまま以下に記す。
”台湾銀行が担保として日銀に入れていた帝国人造絹絲株のうち、10万株が1933(昭和8)年5月、1株125円で財界グループ「番町会」に売買された。その株が同年末には197円に高騰。番町会は好意的に動いてくれた謝礼に、中島久万吉商工相や黒田英雄大蔵次官に株を送り、政治献金をしていた。このことが議会で取り上げられ、検察は1934(昭和9)年4月、台湾銀行、大蔵省などの幹部を逮捕。7月3日、斎藤実内閣は総辞職に追い込まれる。検察は政財界の16人を背任、汚職、偽証などで起訴したが、1937(昭和12)年、正当な株売買として全員無罪となった。司法界の長老・平沼騏一郎を中心とする右翼の策動によって仕組まれた倒閣事件といわれている。”・・・とある。冒頭掲載の写真は、「帝人本社から押収された書類の山」で、同誌に掲載されていたものである。
ここにも書かれているように、この事件の背後には、前年末以来中島商工相、河合良成ら財界グループ「番町会」のメンバーが推進していた政民連携運動を挫折させ、斎藤内閣を倒壊させることをねらった政友会久原房之助派、司法界の長老平沼騏一郎枢密院副議長、軍部、右翼などの策謀であったこと、並びに、その中心人物が、平沼騏一郎だったことはここに書かれている通りであろう。しかし、ここに書かれていることで1つ、疑問があるのは、番町会は”株式の売買に当たり好意的に動いてくれた謝礼に中島久万吉らに政治献金をした”・・・と明記してある点である。この帝人事件には、「番町会」という財界人グループの帝人株買取りを巡る金銭がらみの問題と、この株買取問題を利用して倒閣をしようとする政治的な動きの2つの面が問題としてあったようだが、株の買い取り問題については、どうもその内容がはっきりしない。
帝人は、鈴木商店系の会社であり、鈴木商店が破産により倒産したことにより、鈴木商店所有の帝人株が融資先である台湾銀行の担保となり、その後の未払込資本の払込み・増資等によって、台銀所有の帝人株は帝銀株総数の過半数を制する22万株に及んだことから、台銀は帝人に重役を送って同社の経営の実権を掌握するに至っていたが、その台銀自体もこのことにより休業においこまれ、日銀の特別融資によってようやく危機を脱しており、所有の帝人株22万株は日銀の抵当となっていた。
しかし、帝人は、当時日本最大の人絹会社であり、鈴木商店破産後も堅実な業績をあげ、とくに1932(昭和7)年以降は人絹に対する国内需要も輸出高も激増 し、1938(昭和8)年上半期には、資本に対する利益率は6割にも達していたという。そのようなことから、当然株価は上がっていたため、元鈴木商店の番頭格の金子直吉らが台銀から株を買い戻そうと、その斡旋を財界グループ「番町会」の永野譲らに依頼。この永野が、河合良成・小林中らの協力者を得て株式買受け団を結成。台銀の監督権を持つ大蔵省及び同株式の担保権者である日銀の諒解を得る為には、読売新聞社長正力 松太郎に依頼。これをうけた正力は、かねて親交のあった当時の文相鳩山一郎・黒田英雄大蔵次官らに働きかけ、台銀の島田茂頭取を動かして、11万株を手にすることができた。その後帝人が増資を決定したため、株価は大きく値上がり。
この株の売買について、1934(昭和9)年1月17日から時事新報(社長武藤山治)が「番町会を暴く」との連載記事を掲載、その中で帝人株をめぐる贈収賄疑惑を取り上げた。(この記事は以下参考に記載の「神戸大学 電子図書館システム「番町会」を暴く」で、詳しく見れる。)
この記事に始まり、検察は、背任、汚職、偽証などで政財界の16人を起訴したことから、斎藤実内閣が総辞職へと追い込まれたのであるが、4年後には、株売買は正当であったとして全員無罪にしている。しかし、この帝人事件では、帝人株売買に、関わった番町会のメンバーである財界人の金儲けの実態とそれに結託していた政・官界人が暴露はされたものの、政財界の浄化にはつながらず、斎藤実内閣辞職後、軍部の発言力が強化されていった。以下参考に記載の「古屋哲夫の足跡」の中の“第六六回帝国議会 貴族院・衆議院解説”の中に亭人事件の経緯から帝人株売買の様子まで非常に詳しく書かれているのでそこを見られるとよい。因みに、株式買取で動いた正力は、成功報酬のような形で当時の金で17万円を謝礼として受け取り、この中から、正力は藤田謙一に5万円、鳩山一郎に5万5000円を贈り、残りを念願だった読売新聞の経営資金に使ったという。1934(昭和9)年当時、白米(10キロ)が1円90銭だったというから、今の物価に換算すればどれだけの額になるか判るだろう。
時事新報の武藤は、「番町会」を暴く記事を次々掲載した直後の3月9日、鎌倉(当時大船町)の別邸を出たところで福岡県出身の男に銃撃され死亡している。この殺人事件にも謎が多いようだが、この件に関して書かれたものに以下参考に記載の『読売新聞・歴史検証』の中の(5-4)「帝人事件」から「陰鬱なサムシング」の数々への疑惑の発展などがある。
確かに当時のことである、警察のファッショ的な強引な取調べや、その警察に、確たる証拠がなかったことに対して、批判が集中もし最終的には全員が無罪放免となるのだが、なにか、このような政財界の裏での利権がらみの醜い動きは今の時代でもなくなってはいないような気がする。まるで国民の健康を考えてのようなメタポ検診にしても、また、景気刺激策に便乗したエコ商品購入への補助(単なる税金の還元だが)についても、裏では、不況に喘ぐ財界が動き、支援団体への官僚の天下りもあるらしいなどと聞いている。それに、自民党の郵政問題での元鳩山邦夫総務大臣と日本郵政の西川善文社長との抗争も麻生首相以下自民党内の対応を見ていると、世間で言われているような単なる鳩山氏のパフィーマンスや鳩の反乱丈とは言い切れないもっと大きな利権を巡っての動きがあるように見えるのも今の政治家に信用がないからだろう。
兎に角、一度政権交代をして日本の政・官・財の癒着構造を断ち切らないと、日本の将来は大変なことになるだろうと心配される。
(画像は、、帝人本社から押収された書類の山。アサヒクロニクル「週刊20世紀」No69より)
参考:
帝人事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
神戸大学 電子図書館システム 「番町会」を暴く(掲載新聞紙名 時事新報 )
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/DetailView.jsp?LANG=JA&METAID=00484915
『読売新聞・歴史検証』
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom.html
古屋哲夫の足跡
http://www.furuyatetuo.com/index.htm
古屋哲夫 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%93%B2%E5%A4%AB
番町会-Yahoo!百科事典
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E7%95%AA%E7%94%BA%E4%BC%9A/
帝人事件発覚 / クリック 20世紀
http://www.c20.jp/1934/04teiji.html
番町会事件
http://www010.upp.so-net.ne.jp/ya-fuian/29_framepage.html
八切止夫 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%88%87%E6%AD%A2%E5%A4%AB
日銀特融 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%8A%80%E7%89%B9%E8%9E%8D
鳩山総務相辞任 | kaizinBlog
http://kaizin.jugem.cc/?eid=1023