かって、100万ドルの夜景と言われていた神戸の夜景は今の物価に換算して1000万ドルの夜景とも呼ばれ、函館・長崎とともに日本三大夜景の1つに数えられているが、メリケン波止場(現在のメリケンパーク)一帯の夜景を彩る光の中に、世界でも珍しい「ホテルの屋上に立つ公式灯台」からの小さく光る赤と緑の閃光が見える。それが神戸市中央区波止場町にある「神戸メリケンパークオリエンタルホテル灯台」である。公式の灯台とは海上保安庁から認可を受けた「航路標識」であり海図にも記載されている灯台のこと。管理事務所は、第五管区海上保安部 神戸航路標識路事務所となっている。「神戸メリケンパークオリエンタルホテル灯台」が点灯を開始したのは、2005(平成17 )年7月7日午後7時7分のこと。屋上で灯台の光っている光景は以下の動画で見ることができる。
YouTube - 神戸メリケンパークオリエンタルホテル灯台
http://www.youtube.com/watch?v=FZOsnnBH0ts
この灯台、元は中央区京町(旧居留地25番)にあった「オリエンタルホテル」の屋上に1964(昭和39)年に設置されていたもの(正式名称:神戸オリエンタルホテル屋上灯台)。その後、この灯台の明かりが神戸港へ入出港する船の道案内をしていたが、周囲の建物が増加し、海上から見えにくくなったため中突堤に新しく建設された「神戸メリケンパークオリエンタルホテル」へ移転された。尚、京町のオリエンタルホテルは1995(平成7)年の阪神淡路大震災で建物が甚大な被害を被り、営業を停止した。
冒頭の画像左が「神戸メリケンパークオリエンタルホテル灯台」である。その隣左から2枚目が京町の「オリエンタルホテル」の屋上灯台であるが、比較すればわかるように形が異なる。
この灯台の移転にあたっては、1872(明治5)年に、神戸の和田岬に建てられ、現在は役目を終えて須磨海岸に保存されている和田岬灯台の形を模して設計されたものだという(以下参考に記載の「神戸海上保安部 航路標識の知識 簡易標識・許可標識について」参照)
神戸メリケンパークオリエンタルホテルの船をかたどった外観は特徴的で、青いイルミネーションに輝く姿は、神戸港の夜景を彩る一つとして有名。建物1-2階にはC.I.Q(税関、出入国管理、動植物検疫等)施設を備えた中突堤旅客ターミナルがある。灯台は、最上部14階レストランフロア南側バルコニーに立っている。レストランでは、絶景の景色を見ながら世界に誇る「神戸牛」や、明石の新鮮な海の幸などを堪能することができる。
「オリエンタルホテル」は、100年以上に亘って神戸を代表する顔であった。
1858(安政5)年の日米修好通商条約など欧米5ヶ国との条約により、開港場に居留地を設置することが決められたが、江戸幕府は天皇の居住する京都また当時の日本の経済的中心地であった大阪の近い兵庫開港を延ばしに延ばしていたが条約締結から10年を経過した1868(慶応3)年1月1日に開港した。しかし、神戸事件が発生したことから、開港場や外国人居留地は当時の兵庫市街地から3.5kmも東に離れた神戸村に造成されることとなった。そして、居留地建設に当たっては、1870(明治3)年、初代兵庫県知事伊藤博文と協議したイギリス人土木技師J.W.ハートが行なった。場所は、南は港、東は生田川(現:フラワーロード)、西は鯉川(現:鯉川筋)、北は西国街道(現:花時計線)に囲まれた約25万平方キロの荒れた砂地であったが、設計は先に開港された横浜・長崎などを参考に非常に洗練されたグランドデザインで当時の日本人を驚かせた。そして整然とした道路街路は126に分けられ、その区画割り番号によって居留地の商館は1番館~126番館と呼ばれた。
神戸で最初に「オリエンタルホテル」が創業したのは、旧外国人居留地79番(現:日本ビルヂング)であり、1870(明治3)年には、すでに開業をしていたといわれている。当時ホテルの持ち主はオランダ人のG・ファン・デア・フリース(G. van der Vlies & Co.)という人(商会)であったそうだ。
その後、1882(明治15)年に、隣地の80番にフランス人のルイ・ベギューが「居留地ホテル」を建造。このホテルの食堂の料理が評判を呼び、大繁盛したという。彼は、80番へホテル建設する前に、1886(明治19)年頃から122番でフランス料理店「レストラン・フランセーズ」(Restaurant Française)を開いて人気を得ていたようだ。その後、81番から6番へと旧居留地内を移転した。79番でのホテルの営業者とルイ・ベギューとの関係などはよく判らないが、少なくとも81番の頃には居留地ホテルは、「オリエンタルホテル」と改名され、神戸を代表するホテルとしての地位を築いていたようだ。
当時のオリエンタルホテルは、在神外国人の社交やハイカラ好みの神戸っ子との交流の場として、華やかな西洋文化が集まる「ハイカラの殿堂」だったようだ。バーでは葉巻をくゆらせ、ブランデーを片手に談笑する外国人たち、ビリヤードや卓球に興じるハイカラ神戸っ子。レストランでは東洋の果ての地でサービスされるビフテキ、サラダ、ケーキの美味しさに驚嘆している外国船客。
建物もさることながら、特に、その食時の素晴らしさは、来日の際宿泊もしたというイギリスの詩人ラドヤード・キップリングが褒め称えたとの記録もあり、世の港町の中でも、とりわけ美味しい食時の出来ると評判だったようだ。
そして、オリエンタルホテルの歴史の中でも、注目されたのが1907(明治40)年、海岸通り6番に移転建築されたホテルだろう。
冒頭掲示の右端画像は、コレクションの絵葉書であるが、少し汚れているが珍しい画像なので購入したものだが、海岸通り、つまり、6番に建設中の「オリエンタルホテル」である。建築中の建物にオリエンタルホテルの名前が見える。1903(明治36)年に来日し、神戸・山手の旧トーマス邸(国の重要文化財。現在の風見鶏の館。)などの建築で知られているドイツの新興建築家・ゲオルグ・デ・ラランデが、海に面した海岸通に、居留地では始めてのエレベーター付きの4階建てホテルを建築し世間の人を驚かせている(絵で見るひょうご100年より)。又、建設後の綺麗な画像(絵葉書)は以下のHPで詳しい解説付きで見られる。
Old Photos of Japan
http://oldphotosjapan.com/ja/location/%E7%A5%9E%E6%88%B8
その後、このホテルは神戸港へ入港してくる船の目印ともなった。
1916(大正5)年、大手海運会社東洋汽船(i以下参考に記載の「※東洋汽船」参照)浅野総一郎に買いとられここに、初めて、今までの居留地におけるホテル経営が、外国人の手から日本人に移った。その後改装なども行なわれながら、繁栄していたようだが、おりからの造船不況により、1926(大正15)年には経営は東洋汽船の手から神戸在住の実業家グループが融資し設置した㈱オリエンタルホテルへ移り、ホテルチェーンの形態に生まれ変わるが、6番のホテルは1945(昭和20)年6月の神戸大空襲にて焼失した。その時、戦争末期に川崎病院(川崎造船所【現在の川崎重工】の企業立病院として開設されたもの)分院として使用されていたトアロード北のトアホテル(戦時中:東亜ホテルと表記、現:神戸クラブ地)は山手地区にあったため戦災を免れたことから、ホテルに再建をしてはと川崎重工から依頼され、そこに移るが、再建中にGHQに接収された。そして、GHQによる接収中の1950(昭和25)年にホテルは焼失している。現役時代のトアホテルはオリエンタルホテルとともに神戸を代表する素晴らしいホテルであった。その素晴らしいホテルの画像は以下で見られる。
トアホテル絵葉書コレクション
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/daruigt/tor_hotel.htm
1949(昭和24)年、海岸通の6番地で、ホテルを再建するが、トアホテルが「オリエンタルホテル」の名を使用していたので、海岸通りで再建されたホテルは「ニューオリエンタルホテル」としたが、先にも書いた「オリエンタルホテル」の名を使用していた「トアホテル」が焼失したことによって、名前を元の「オリエンタルホテル」に戻す。冒頭の画像右から2枚目は大きな画像のものが無いので、コレクションの絵葉書、海上より展望した埠頭の景観からオリエンタルホテルの部分を切り抜き拡大したものである。白い建物の間にある建物がそうである。左の大きな白い建物は、旧大阪商船ビル(現:商船三井ビル)である。以下のホームページでは、もう少し後の頃の海岸通りオリエンタルと旧大阪商船ビルの綺麗な画像(絵葉書)が見られる。
谷崎潤一郎の「細雪」を歩く 神戸編
http://www.tokyo-kurenaidan.com/tanizaki-sasameyuki-5.htm
オリエンタルホテルはこの頃でも多くの知名人を含めて、外国人客が先ず選ぶホテルであり、例えば、1954(昭和29)年には映画の伝説的女優マリリン・モンローと野球の大選手ジョー・ディマジオが新婚旅行を兼ねて日本を訪れた時泊まっている。
1964(昭和39)年海岸通りから町の中心部京町の25番に移転し、この時屋上に日本初の屋上灯台を設置した。神戸港へ入港する船の目印となると共に、神戸市民、観光客に親しまれていた。私も現役時代、ここで開かれた会合に何度か参加したことがある。1987年(昭和62年)からは神戸に本店を置く日本のチェーンストーの代表格であったダイエーが筆頭株主となった。しかし、このホテルはあの阪神淡路大震災で甚大な被害を受け休業せざるを得なくなった。震災時の画像は以下で見れる。その中に、屋上の灯台も見れる。一見たいしたことなさそうだが基礎部分がやられている。
神戸市立博物館:震災と博物館:周辺地域の状況 オリエンタルホテル
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/950117/shuhen_oriental.html
その後、筆頭株主ダイエーが経営不振に陥り、経営権は他に移るが、ホテル経営は引き継がれ、伝統あるオリエンタルホテルの名は、新神戸オリエンタルホテル、神戸メリケンパークオリエンタルホテル、西神オリエンタルホテルに生かされている。
しかし、京町25番のオリエンタルホテルは、震災後10年程経って取り壊されたが、旧オリエンタルホテル跡地に来年・2010(平成22)年春に「ORIENTAL HOTEL」(オリエンタルホテル)として復活することになっている。新ホテルは地上17階、地下3階建て複合ビルの3~17階部分になる予定だとか。復活が楽しみである。以下参照。
神戸新聞|経済|名門オリエンタルホテルが"復活" 神戸・旧居留地
http://www.kobe-np.co.jp/news/keizai/0001709111.shtml
なお、オリエンタルホテルの経歴等は、以下参考に記載の「好きです神戸:神戸調査隊」が詳しそうなので、参考にさせてもらった。
(画像:左から1枚目:現在の「神戸メリケンパークオリエンタルホテルの屋上灯台」2005年一般公開を伝える朝日新聞記事より。2枚目:京町筋沿いの旧居留地街にあった時の「神戸オリエンタルホテル屋上灯台」市民のグラフ「こうべ」No203、19839年年より。3枚目:海上より展望した埠頭の景観からオリエンタルホテルの部分を切り抜き拡大したもの。4枚目:同じくコレクションの絵葉書で、神戸・海岸通りに建設中の「オリエンタルホテル」である。)
参考:
神戸経済新聞:神戸のホテルに立つ公式灯台が14周年-記念で七夕イベント
http://kobe.keizai.biz/headline/274/
神戸港-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%B8%E6%B8%AF
神戸海上保安部 航路標識の知識 簡易標識・許可標識について
http://www.kaiho.mlit.go.jp/05kanku/kobe/anzen-tishiki/kourohyousiki/kyokakanihyousiki/kanikyokahyousiki.htm
セルロイドサロン:神戸港旧居留地の歴史とセルロイド
http://www.celluloidhouse.com/salon21.htm
日本の灯台/兵庫県の灯台
http://www12.ocn.ne.jp/~ke-chan/todai005.html
美し都 神戸から(鳥瞰図を描きましょう♪)・オリエンタルホテル 1964-1995
http://mt-rokko.at.webry.info/200608/article_12.html
神戸市文書館 収蔵資料:新聞
http://www.city.kobe.lg.jp/information/institution/institution/document/shiryou/e_shinbun02.html
好きです神戸:神戸調査隊:
http://homepage2.nifty.com/kobeport/chousatai-top.html
ゲオルグ・デ・ラランデ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%87
ラドヤード・キップリング - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0
※東洋汽船
http://homepage3.nifty.com/jpnships/company/prof_toyokisen.htm
浅野総一郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E9%87%8E%E7%B7%8F%E4%B8%80%E9%83%8E
神戸市立博物館:震災と博物館:周辺地域の状況 オリエンタルホテル
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/950117/shuhen_oriental.html
マリリン・モンロー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%BC
YouTube - 神戸メリケンパークオリエンタルホテル灯台
http://www.youtube.com/watch?v=FZOsnnBH0ts
この灯台、元は中央区京町(旧居留地25番)にあった「オリエンタルホテル」の屋上に1964(昭和39)年に設置されていたもの(正式名称:神戸オリエンタルホテル屋上灯台)。その後、この灯台の明かりが神戸港へ入出港する船の道案内をしていたが、周囲の建物が増加し、海上から見えにくくなったため中突堤に新しく建設された「神戸メリケンパークオリエンタルホテル」へ移転された。尚、京町のオリエンタルホテルは1995(平成7)年の阪神淡路大震災で建物が甚大な被害を被り、営業を停止した。
冒頭の画像左が「神戸メリケンパークオリエンタルホテル灯台」である。その隣左から2枚目が京町の「オリエンタルホテル」の屋上灯台であるが、比較すればわかるように形が異なる。
この灯台の移転にあたっては、1872(明治5)年に、神戸の和田岬に建てられ、現在は役目を終えて須磨海岸に保存されている和田岬灯台の形を模して設計されたものだという(以下参考に記載の「神戸海上保安部 航路標識の知識 簡易標識・許可標識について」参照)
神戸メリケンパークオリエンタルホテルの船をかたどった外観は特徴的で、青いイルミネーションに輝く姿は、神戸港の夜景を彩る一つとして有名。建物1-2階にはC.I.Q(税関、出入国管理、動植物検疫等)施設を備えた中突堤旅客ターミナルがある。灯台は、最上部14階レストランフロア南側バルコニーに立っている。レストランでは、絶景の景色を見ながら世界に誇る「神戸牛」や、明石の新鮮な海の幸などを堪能することができる。
「オリエンタルホテル」は、100年以上に亘って神戸を代表する顔であった。
1858(安政5)年の日米修好通商条約など欧米5ヶ国との条約により、開港場に居留地を設置することが決められたが、江戸幕府は天皇の居住する京都また当時の日本の経済的中心地であった大阪の近い兵庫開港を延ばしに延ばしていたが条約締結から10年を経過した1868(慶応3)年1月1日に開港した。しかし、神戸事件が発生したことから、開港場や外国人居留地は当時の兵庫市街地から3.5kmも東に離れた神戸村に造成されることとなった。そして、居留地建設に当たっては、1870(明治3)年、初代兵庫県知事伊藤博文と協議したイギリス人土木技師J.W.ハートが行なった。場所は、南は港、東は生田川(現:フラワーロード)、西は鯉川(現:鯉川筋)、北は西国街道(現:花時計線)に囲まれた約25万平方キロの荒れた砂地であったが、設計は先に開港された横浜・長崎などを参考に非常に洗練されたグランドデザインで当時の日本人を驚かせた。そして整然とした道路街路は126に分けられ、その区画割り番号によって居留地の商館は1番館~126番館と呼ばれた。
神戸で最初に「オリエンタルホテル」が創業したのは、旧外国人居留地79番(現:日本ビルヂング)であり、1870(明治3)年には、すでに開業をしていたといわれている。当時ホテルの持ち主はオランダ人のG・ファン・デア・フリース(G. van der Vlies & Co.)という人(商会)であったそうだ。
その後、1882(明治15)年に、隣地の80番にフランス人のルイ・ベギューが「居留地ホテル」を建造。このホテルの食堂の料理が評判を呼び、大繁盛したという。彼は、80番へホテル建設する前に、1886(明治19)年頃から122番でフランス料理店「レストラン・フランセーズ」(Restaurant Française)を開いて人気を得ていたようだ。その後、81番から6番へと旧居留地内を移転した。79番でのホテルの営業者とルイ・ベギューとの関係などはよく判らないが、少なくとも81番の頃には居留地ホテルは、「オリエンタルホテル」と改名され、神戸を代表するホテルとしての地位を築いていたようだ。
当時のオリエンタルホテルは、在神外国人の社交やハイカラ好みの神戸っ子との交流の場として、華やかな西洋文化が集まる「ハイカラの殿堂」だったようだ。バーでは葉巻をくゆらせ、ブランデーを片手に談笑する外国人たち、ビリヤードや卓球に興じるハイカラ神戸っ子。レストランでは東洋の果ての地でサービスされるビフテキ、サラダ、ケーキの美味しさに驚嘆している外国船客。
建物もさることながら、特に、その食時の素晴らしさは、来日の際宿泊もしたというイギリスの詩人ラドヤード・キップリングが褒め称えたとの記録もあり、世の港町の中でも、とりわけ美味しい食時の出来ると評判だったようだ。
そして、オリエンタルホテルの歴史の中でも、注目されたのが1907(明治40)年、海岸通り6番に移転建築されたホテルだろう。
冒頭掲示の右端画像は、コレクションの絵葉書であるが、少し汚れているが珍しい画像なので購入したものだが、海岸通り、つまり、6番に建設中の「オリエンタルホテル」である。建築中の建物にオリエンタルホテルの名前が見える。1903(明治36)年に来日し、神戸・山手の旧トーマス邸(国の重要文化財。現在の風見鶏の館。)などの建築で知られているドイツの新興建築家・ゲオルグ・デ・ラランデが、海に面した海岸通に、居留地では始めてのエレベーター付きの4階建てホテルを建築し世間の人を驚かせている(絵で見るひょうご100年より)。又、建設後の綺麗な画像(絵葉書)は以下のHPで詳しい解説付きで見られる。
Old Photos of Japan
http://oldphotosjapan.com/ja/location/%E7%A5%9E%E6%88%B8
その後、このホテルは神戸港へ入港してくる船の目印ともなった。
1916(大正5)年、大手海運会社東洋汽船(i以下参考に記載の「※東洋汽船」参照)浅野総一郎に買いとられここに、初めて、今までの居留地におけるホテル経営が、外国人の手から日本人に移った。その後改装なども行なわれながら、繁栄していたようだが、おりからの造船不況により、1926(大正15)年には経営は東洋汽船の手から神戸在住の実業家グループが融資し設置した㈱オリエンタルホテルへ移り、ホテルチェーンの形態に生まれ変わるが、6番のホテルは1945(昭和20)年6月の神戸大空襲にて焼失した。その時、戦争末期に川崎病院(川崎造船所【現在の川崎重工】の企業立病院として開設されたもの)分院として使用されていたトアロード北のトアホテル(戦時中:東亜ホテルと表記、現:神戸クラブ地)は山手地区にあったため戦災を免れたことから、ホテルに再建をしてはと川崎重工から依頼され、そこに移るが、再建中にGHQに接収された。そして、GHQによる接収中の1950(昭和25)年にホテルは焼失している。現役時代のトアホテルはオリエンタルホテルとともに神戸を代表する素晴らしいホテルであった。その素晴らしいホテルの画像は以下で見られる。
トアホテル絵葉書コレクション
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/daruigt/tor_hotel.htm
1949(昭和24)年、海岸通の6番地で、ホテルを再建するが、トアホテルが「オリエンタルホテル」の名を使用していたので、海岸通りで再建されたホテルは「ニューオリエンタルホテル」としたが、先にも書いた「オリエンタルホテル」の名を使用していた「トアホテル」が焼失したことによって、名前を元の「オリエンタルホテル」に戻す。冒頭の画像右から2枚目は大きな画像のものが無いので、コレクションの絵葉書、海上より展望した埠頭の景観からオリエンタルホテルの部分を切り抜き拡大したものである。白い建物の間にある建物がそうである。左の大きな白い建物は、旧大阪商船ビル(現:商船三井ビル)である。以下のホームページでは、もう少し後の頃の海岸通りオリエンタルと旧大阪商船ビルの綺麗な画像(絵葉書)が見られる。
谷崎潤一郎の「細雪」を歩く 神戸編
http://www.tokyo-kurenaidan.com/tanizaki-sasameyuki-5.htm
オリエンタルホテルはこの頃でも多くの知名人を含めて、外国人客が先ず選ぶホテルであり、例えば、1954(昭和29)年には映画の伝説的女優マリリン・モンローと野球の大選手ジョー・ディマジオが新婚旅行を兼ねて日本を訪れた時泊まっている。
1964(昭和39)年海岸通りから町の中心部京町の25番に移転し、この時屋上に日本初の屋上灯台を設置した。神戸港へ入港する船の目印となると共に、神戸市民、観光客に親しまれていた。私も現役時代、ここで開かれた会合に何度か参加したことがある。1987年(昭和62年)からは神戸に本店を置く日本のチェーンストーの代表格であったダイエーが筆頭株主となった。しかし、このホテルはあの阪神淡路大震災で甚大な被害を受け休業せざるを得なくなった。震災時の画像は以下で見れる。その中に、屋上の灯台も見れる。一見たいしたことなさそうだが基礎部分がやられている。
神戸市立博物館:震災と博物館:周辺地域の状況 オリエンタルホテル
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/950117/shuhen_oriental.html
その後、筆頭株主ダイエーが経営不振に陥り、経営権は他に移るが、ホテル経営は引き継がれ、伝統あるオリエンタルホテルの名は、新神戸オリエンタルホテル、神戸メリケンパークオリエンタルホテル、西神オリエンタルホテルに生かされている。
しかし、京町25番のオリエンタルホテルは、震災後10年程経って取り壊されたが、旧オリエンタルホテル跡地に来年・2010(平成22)年春に「ORIENTAL HOTEL」(オリエンタルホテル)として復活することになっている。新ホテルは地上17階、地下3階建て複合ビルの3~17階部分になる予定だとか。復活が楽しみである。以下参照。
神戸新聞|経済|名門オリエンタルホテルが"復活" 神戸・旧居留地
http://www.kobe-np.co.jp/news/keizai/0001709111.shtml
なお、オリエンタルホテルの経歴等は、以下参考に記載の「好きです神戸:神戸調査隊」が詳しそうなので、参考にさせてもらった。
(画像:左から1枚目:現在の「神戸メリケンパークオリエンタルホテルの屋上灯台」2005年一般公開を伝える朝日新聞記事より。2枚目:京町筋沿いの旧居留地街にあった時の「神戸オリエンタルホテル屋上灯台」市民のグラフ「こうべ」No203、19839年年より。3枚目:海上より展望した埠頭の景観からオリエンタルホテルの部分を切り抜き拡大したもの。4枚目:同じくコレクションの絵葉書で、神戸・海岸通りに建設中の「オリエンタルホテル」である。)
参考:
神戸経済新聞:神戸のホテルに立つ公式灯台が14周年-記念で七夕イベント
http://kobe.keizai.biz/headline/274/
神戸港-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%B8%E6%B8%AF
神戸海上保安部 航路標識の知識 簡易標識・許可標識について
http://www.kaiho.mlit.go.jp/05kanku/kobe/anzen-tishiki/kourohyousiki/kyokakanihyousiki/kanikyokahyousiki.htm
セルロイドサロン:神戸港旧居留地の歴史とセルロイド
http://www.celluloidhouse.com/salon21.htm
日本の灯台/兵庫県の灯台
http://www12.ocn.ne.jp/~ke-chan/todai005.html
美し都 神戸から(鳥瞰図を描きましょう♪)・オリエンタルホテル 1964-1995
http://mt-rokko.at.webry.info/200608/article_12.html
神戸市文書館 収蔵資料:新聞
http://www.city.kobe.lg.jp/information/institution/institution/document/shiryou/e_shinbun02.html
好きです神戸:神戸調査隊:
http://homepage2.nifty.com/kobeport/chousatai-top.html
ゲオルグ・デ・ラランデ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%87
ラドヤード・キップリング - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0
※東洋汽船
http://homepage3.nifty.com/jpnships/company/prof_toyokisen.htm
浅野総一郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E9%87%8E%E7%B7%8F%E4%B8%80%E9%83%8E
神戸市立博物館:震災と博物館:周辺地域の状況 オリエンタルホテル
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/950117/shuhen_oriental.html
マリリン・モンロー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%BC