昨・2008年7月8日大阪道頓堀の飲食店「くいだおれ」が閉店した。
冒頭の画像は閉店の噴出しが掲げられた「くいだおれ太郎」と、笑顔で手を振る柿木道子会長である(4月9日撮影朝日新聞記事より)
一緒に楽しい時間を過ごせました」「大阪・道頓堀の顔として60年近い歴史をもつ飲食店「くいだいれ」の柿木道子会長(創業者山田六郎の次女)は、昨・2008(平成20)年4月9日、7月閉店を正式に発表した記者会見でピエロを模した電気仕掛けの看板人形「くいだおれ太郎」との歩みを振り返りそう述べた。
創業者の「支店をだすな」「家族で経営せよ」「看板人形を大事にせよ」の遺言を守ってきたが若者向けの店が立ち並ぶようになった道頓堀の変化についてゆけなかった。・・・閉店理由に家族経営の限界をあげている。
神戸育ちの私が大阪の会社に初めて就職をしたのは昭和30年代初めのことである。飲み食い大好き人間の私は、当時会社の気の合う仲間とは梅田駅周辺のキタよりも物価も安くて賑わっていたミナミの道頓堀界隈で殆ど飲み食いしていたが、この店には、仲間に連れられて2度ほど行ったことがある。
しかし、一体この店でその時何を食べたのか・・・今、思い出してみてもよく思い出せない。兎に角、なんでもある店だな~と感じたことしか記憶に無い。
この道頓堀界隈へ初めて行ったとき、夜など広告看板やネオンの度派手さに驚いたものだが、この店の「くいだおれ人形」(当時は「くいだおれ太郎」などとは呼ばず普通にこう呼んでいた)も、ただ面白いとは思ったがそれ以上特に何の思いも無い。
「くいだおれ」の店が閉店になると発表されて以降のマスコミや大阪人の「くいだおれ人形」フィーバーには、少々辟易とした感じすらあった。
私にとって、店の前のチンドン屋の格好をした「くいだおれ人形」は、グリコのネオン広告やかに道楽の看板同様、単なる面白いが、ちょっと派手な広告人形で、それは大阪・ミナミの一風景でしかなかったし、この食堂にしても、当時から、ただなんでもある比較的安い店という認識しかなかったから、2度ほど仲間に誘われて行っただけでその後、自分からは行ったことが無い。
昨年4月に閉店を発表してから後、大勢の観光客らが押し寄せ人形と記念撮影をしたり、報道陣がわんさと押しかけ、各地のイベント会場へおしゃべりな会長と共に食い倒れ人形が登場するなど、大フィーバー。閉店発表後のこの店の看板人形の利用の仕方などは、流石、大阪人らしいというべきか・・・。
柿木会長の饒舌や看板人形の活用などを見ていると、いかにも大阪人らしさを感じさせるが、何でも並べてれば売れる時代はとうの昔に終わっており、くいだおれ太郎の看板だけで商売ができるわけが無い。会長の達者な口先と人形を利用する能力が本職の商売に生かされていれば店を閉めずに済んだのではないかな~。
この「くいだおれ人形」そのものは面白いので、面白いものなんでも好きな私は、閉店発表されるより大分前に、駅で売っていた同人形を模ったキーホルダーだけは買って持っているよ。
その後、食堂「くいだおれ」跡がどうなったのか良く知らないが、看板人形であるくいだおれ太郎は、一時売却先の検討も取り沙汰されていたが、閉店宣言後は全国各地を行脚し、甲子園では阪神タイガースを応援するなどして、あまりの人気に売却するのが惜しくなったのか、太郎の商標権はそのまま「くいだおれ」が所有し、商標の管理・運営は、同社取締役の柿木央久(創業者の孫)が設立した新会社「太郎カンパニー」が担当するのだとか。・・・つまりくいだおれ太郎は太郎カンパニーの専属タレントとして活動をする事になったらしい。
本業の飲食店では能力が発揮できなかったが、看板人形の人気を利用して、興行師として飯を食っていこうということか・・・。その方がくだおれのの女将でもあった会長には似合っているかもしれないが、しかし、何時まで、タレントとしての人形・太郎の人気が続くのものかね~。
くいだおれの店舗跡や太郎人形の今後のことなど全く関心も心配もしているわけでもないし、今日は、ブログを書くつもりも無かったのだが、丁度閉店して1年目になるので、ちょっと、ひとり言を・・・。
(画像は、閉店の噴出しが掲げられた「くいだおれ太郎」と、笑顔で手を振る柿木道子会長である(4月9日撮影。朝日新聞記事より)
参考:
くいだおれ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8F%E3%81%84%E3%81%A0%E3%81%8A%E3%82%8C
大阪名物くいだおれ
http://www.cui-daore.co.jp/
asahi.com(朝日新聞社):くいだおれ太郎、タレントに転身有料で貸し出し(2008年10月20日)
http://www.asahi.com/showbiz/news_entertainment/OSK200810200062.html
冒頭の画像は閉店の噴出しが掲げられた「くいだおれ太郎」と、笑顔で手を振る柿木道子会長である(4月9日撮影朝日新聞記事より)
一緒に楽しい時間を過ごせました」「大阪・道頓堀の顔として60年近い歴史をもつ飲食店「くいだいれ」の柿木道子会長(創業者山田六郎の次女)は、昨・2008(平成20)年4月9日、7月閉店を正式に発表した記者会見でピエロを模した電気仕掛けの看板人形「くいだおれ太郎」との歩みを振り返りそう述べた。
創業者の「支店をだすな」「家族で経営せよ」「看板人形を大事にせよ」の遺言を守ってきたが若者向けの店が立ち並ぶようになった道頓堀の変化についてゆけなかった。・・・閉店理由に家族経営の限界をあげている。
神戸育ちの私が大阪の会社に初めて就職をしたのは昭和30年代初めのことである。飲み食い大好き人間の私は、当時会社の気の合う仲間とは梅田駅周辺のキタよりも物価も安くて賑わっていたミナミの道頓堀界隈で殆ど飲み食いしていたが、この店には、仲間に連れられて2度ほど行ったことがある。
しかし、一体この店でその時何を食べたのか・・・今、思い出してみてもよく思い出せない。兎に角、なんでもある店だな~と感じたことしか記憶に無い。
この道頓堀界隈へ初めて行ったとき、夜など広告看板やネオンの度派手さに驚いたものだが、この店の「くいだおれ人形」(当時は「くいだおれ太郎」などとは呼ばず普通にこう呼んでいた)も、ただ面白いとは思ったがそれ以上特に何の思いも無い。
「くいだおれ」の店が閉店になると発表されて以降のマスコミや大阪人の「くいだおれ人形」フィーバーには、少々辟易とした感じすらあった。
私にとって、店の前のチンドン屋の格好をした「くいだおれ人形」は、グリコのネオン広告やかに道楽の看板同様、単なる面白いが、ちょっと派手な広告人形で、それは大阪・ミナミの一風景でしかなかったし、この食堂にしても、当時から、ただなんでもある比較的安い店という認識しかなかったから、2度ほど仲間に誘われて行っただけでその後、自分からは行ったことが無い。
昨年4月に閉店を発表してから後、大勢の観光客らが押し寄せ人形と記念撮影をしたり、報道陣がわんさと押しかけ、各地のイベント会場へおしゃべりな会長と共に食い倒れ人形が登場するなど、大フィーバー。閉店発表後のこの店の看板人形の利用の仕方などは、流石、大阪人らしいというべきか・・・。
柿木会長の饒舌や看板人形の活用などを見ていると、いかにも大阪人らしさを感じさせるが、何でも並べてれば売れる時代はとうの昔に終わっており、くいだおれ太郎の看板だけで商売ができるわけが無い。会長の達者な口先と人形を利用する能力が本職の商売に生かされていれば店を閉めずに済んだのではないかな~。
この「くいだおれ人形」そのものは面白いので、面白いものなんでも好きな私は、閉店発表されるより大分前に、駅で売っていた同人形を模ったキーホルダーだけは買って持っているよ。
その後、食堂「くいだおれ」跡がどうなったのか良く知らないが、看板人形であるくいだおれ太郎は、一時売却先の検討も取り沙汰されていたが、閉店宣言後は全国各地を行脚し、甲子園では阪神タイガースを応援するなどして、あまりの人気に売却するのが惜しくなったのか、太郎の商標権はそのまま「くいだおれ」が所有し、商標の管理・運営は、同社取締役の柿木央久(創業者の孫)が設立した新会社「太郎カンパニー」が担当するのだとか。・・・つまりくいだおれ太郎は太郎カンパニーの専属タレントとして活動をする事になったらしい。
本業の飲食店では能力が発揮できなかったが、看板人形の人気を利用して、興行師として飯を食っていこうということか・・・。その方がくだおれのの女将でもあった会長には似合っているかもしれないが、しかし、何時まで、タレントとしての人形・太郎の人気が続くのものかね~。
くいだおれの店舗跡や太郎人形の今後のことなど全く関心も心配もしているわけでもないし、今日は、ブログを書くつもりも無かったのだが、丁度閉店して1年目になるので、ちょっと、ひとり言を・・・。
(画像は、閉店の噴出しが掲げられた「くいだおれ太郎」と、笑顔で手を振る柿木道子会長である(4月9日撮影。朝日新聞記事より)
参考:
くいだおれ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8F%E3%81%84%E3%81%A0%E3%81%8A%E3%82%8C
大阪名物くいだおれ
http://www.cui-daore.co.jp/
asahi.com(朝日新聞社):くいだおれ太郎、タレントに転身有料で貸し出し(2008年10月20日)
http://www.asahi.com/showbiz/news_entertainment/OSK200810200062.html