今日・7月22日は、文筆家であり江戸風俗研究家の杉浦日向子の2005(平成17)年の忌日である。・・・と言っても、私は、彼女の本を読んだこともないので、彼女のことは、1995(平成7)年から2004(平成16)年にかけて、9年余り、NHK総合テレビ「コメディーお江戸でござる」のレギュラーを勤め、江戸文化の案内役を担当し、お茶の間の人気を集めていたこと。それと、着物・お酒が大好きな人であったらしいということ。気の毒に、下咽頭癌(以下参考の※1:下咽頭癌参照)で、亡くなった時は、まだ46歳の若さだったということぐらいである。
私も江戸時代の文化等には前々より大変興味を持っていたので、冒頭に掲載の画像:右の本「NHKデーター情報部編・ヴィジュアル百科・江戸事情」(全六巻中の第一巻「生活編」)など購入し、何かあるごとにこの本を利用して当時の江戸文化に触れ楽しんでいたので、この放送が始まってからは欠かさず見ていたし、彼女が亡くなったことを非常に残念に思っている1人である。
しかし、彼女の忌日だからといって、彼女のことはNHKの番組を通じてのことしか知らないので、彼女が亡くなった当時の新聞等の報道やWikipediaに書かれていることから簡単に書いておこう。
杉浦日向子(すぎうらひなこ、本名 鈴木 順子)は、1958(昭和33)年11月30日、東京・日本橋の呉服屋に生まれということで、江戸文化には特別な思い入れがあり傾倒していたようだ。もともとアート・ディレクターを志望して日大芸術学部に入学していたが、講義に興味が持てず、2年で中退。家業を手伝いながら、手描きの友禅の勉強をしていたが、やがて、独学で勉強できる「時代考証」に興味を抱き、稲垣史生の正式な「弟子」として、稲垣の川越の自宅に3年間通ったという。そして時代考証を学ぶかたわら、1980(昭和55)年に初めて吉原を題材にして描いた漫画「虚々実々通言室之梅」を雑誌『ガロ』に送ったところ掲載され、漫画家としてデビュー。内容は町人に化けて吉原に登楼した侍が遊女にふられる話のようであるが、この時のマンガそのものは、まだ、線も確りしておらず上出来とはいえないものの、時代考証は確かな作品だったようだ。絵は浮世絵を下地にした独特な画風を得意としており、以来、一貫して江戸風俗を題材にした作品を描き、1984(昭和59)年『合葬』で、日本漫画家協会賞優秀賞、1988(昭和63)年『風流江戸雀』で文藝春秋漫画賞を受賞。庶民の粋な風俗や生活感あふれる日常描写を得意とし、漫画家としての代表作には、葛飾北斎と浮世絵師たちの世界を描いた連作短編集『百日紅』、99話の怪談を描いた『百物語』などがあるが、1993(平成5)年に漫画家引退宣言をし「隠居生活」と称しその後、自らのライフワークである江戸風俗研究家として活動しながら、好きなお酒とそばを楽しんだり、世界各地の船旅に出かけたり、積極的に人生を味わっていたのは、骨髄移植以外に完治する方法のない血液の免疫系の病を患っており、体力的に無理が利かなかったからであることが、死後明らかにされているようだ。
「コメディーお江戸でござる」は、演劇(4幕)、歌、「杉浦日向子のおもしろ江戸ばなし」の3部構成で出来ていた。
演劇は、江戸の町人の暮らしをコミカルに描いた喜劇であり、主役はあくまで町人・商人であり、舞台も商家や長屋が主であった。この演劇では、なんと言ってもご隠居や商家の主人役を演じた座長格の伊東四朗の存在が大きかったな~。それと、番組の当初、賢い利発な小僧や丁稚役を演じていたえなりかずきは、まだ11・2歳の頃であり、本当に利発そうで可愛かった。しかし座長格の伊東が1999(平成11)年3月に降板してから、この劇の面白みは半減した感じがする。
歌謡コーナーは、 演劇にも出演した女性演歌歌手が、自らの持ち歌を披露していた。
「杉浦日向子のおもしろ江戸ばなし」のコーナーでは、舞台での寸劇の後、杉浦が舞台に出てきた場所や職業、物や流行など、江戸の町人文化を時代考証をしながら紹介。このコーナーの進行はその時の座長格の出演者が務めた。
大きな目をクリクリさせながら江戸の生活や文化をわかりやすい言葉で語る杉浦の姿は、親しみやすさの中にも風格すら漂っていたが、この時、すでに、体力的には、かなり、きつかったのだろうね~。何時も着物を着てニコニコ笑顔を絶やさず話していたが、この番組に出る以前のまだ健康面に問題の無いころの彼女の姿を知らないが、この番組での彼女の体の線の細さは、あまりにも痩せていてなにか痛々しい感じがしていた。彼女は、体調の問題から、この番組の最終回とその前の回のみ、作家・江戸文化研究者でもある石川英輔に代理出演してもらっている。
この番組終了後、同年4月から同じ放送枠で、リニューアルされた「コメディー道中でござる」でも石川が引き続き解説を担当した。 しかし、杉浦の噛み砕いた解説と比べ、石川の解説は学術的な解説だったため、視聴者からは「判りにくい」との声も寄せられたといい、1年間放映されたが、2005(平成17)年4月からは土曜特集内で不定期に2006(平成18)年3月まで放送された。また、杉浦は「おもしろ江戸ばなし」の解説を降板した翌・2005(平成17)年の今日亡くなった。
杉浦の語る「江戸」は、どこを指しているのだろうか。以前にネットで呼んだ「らっしゃい東京 インタビュー:杉浦日向子さん」によると、以下のようだった。
“江戸の語源は「入江の戸口」にある土地からきている。江戸の町は現在の山手線の内側の、非常に狭い土地で、港区、千代田区、中央区の三区を中心に、ちょっと周りを広げた位の広さだった。江戸の下町というのは、神田川より南、隅田川より西、江戸城から東、江戸湾から北の細長い一帯(現在の神田、日本橋、銀座、新橋あたり)でしかなかった。なぜ、下町かというと、お城のすぐ近くにある商業地、町人地が、お城の下にある町ということで、「城下(しろした)の町」「下町」なのだ”そうだ。
そんな、江戸時代は、庶民が輝く独特な社会文化をつくりあげていた。今、江戸が注目されているが、それは、単なる懐古趣味からだけではない。江戸時代は、現代以上にリサイクル社会であり、庶民の生活も、精神的にはゆとりのあった時代なのだ。時代劇に出てくるような悪代官や意地悪な大家さんなど芝居や映画の産物で、実際には人情味のある庶民に思いやりのある人達が多かったのだ。そして、庶民の間の絆は強く、弱い者、困って居る者はみんなで助け合う良い社会があった。仕事をしても丸1日仕事をすることは多くは無く、時間的にはゆとりがあり、文学への関心も深く、子供も寺子屋で勉学をさせていた。そんな中で真面目に働けば、結構お金も稼げたようだ。ただ、そんなにお金お金とあくせくしなかっただけ。「宵越しの金は持たない」は江戸っ子の粋だからね~。江戸時代の庶民は、あくせく働くことよりも人生を謳歌していたのだよ。それに、日本人は昔から男尊女卑の国だなんていう人がいるが、そのようなことはなく、ただ、男と女が役割分担していただけで、女性は女性で自分達の生活を謳歌していたことが江戸時代を調べればわかるよ。そのような様子は、以下参考の※2:「江戸の一頁」、3:「インターネットを楽しむ」、※4:「江戸庶民の知恵に学べ」、※5:「江戸時代は、理想的なリサイクル社会だった」など見られる良い。
兎に角今は、金・金・金の世の中。そして、競争社会の中では勝者と敗者がはっきりとわかれ、敗者となったものの行き場がなくなっている。今、世界的に、これまでの仕組みや、やり方が壁に突き当たっている。そのような中で、以前より競争社会から共生社会への転換などが叫ばれており(以下参考の※6:「内閣府政策統括官(共生社会政策担当)のホームページ」参照)、今や、それを現実のものとしてゆかなければいけない時代に来てはいるのであるが、一度、競争社会の中で勝ち組となり、勝ち組としての甘い汁を吸った人達が、このような、呼びかけにどれくらい協力的になるだろうか・・?。
しかし、このまま全てが競争競争で行けば、今の社会はいづれ崩壊するだろう。競争には競争の良さがあるが、やはり、これからは、物質的なものばかり追い求めるのではなく、精神的な面を重視し、一般庶民が日常の生活を相互に助け合いながら、ゆったりとした気分で安心して過ごせる社会を築いてゆかなければいけないのではないか。それには、国民自身が、何を幸せと考えるのか・・・?といったことが、入口になるだろう。その意味で、今、江戸の時代がどんな時代であったかを見直して見るのも良いだろう。
参考:(画像左:1998年春NHK「お江戸でござる」のスタジオでの杉浦日向子さんの写真【2005年9月15日朝日新聞朝刊掲載より】、右:私の蔵書、「NHKデーター情報部編・ヴィジュアル百科・江戸事情」【全六巻中の第一巻「生活編」】)
※1:下咽頭癌
http://www.onh.go.jp/seisaku/cancer/kakusyu/kaintouhtml.html
※2:江戸の一頁
http://e-kankyo.jfast.net/edo/top.htm
※3:インターネットを楽しむ
http://www5e.biglobe.ne.jp/~komichan/index.html
※4:江戸庶民の知恵に学べ
http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/hon/edosyomin.htm
※5:江戸時代は、理想的なリサイクル社会だった
http://www.saisei-yasumoto.com/edo/edo3.html
※6:内閣府政策統括官(共生社会政策担当)のホームページ
http://www8.cao.go.jp/souki/index.html
杉浦日向子 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E6%B5%A6%E6%97%A5%E5%90%91%E5%AD%90
Category:江戸時代 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3
江戸東京博物館ホームページ
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
ビバ!江戸
http://www.viva-edo.com/
江戸戯作黄表紙
http://kibyou.hp.infoseek.co.jp/
キッズgoo/江戸時代 文化
http://kids.goo.ne.jp/search/search.php?MT=%B9%BE%B8%CD%BB%FE%C2%E5+%CA%B8%B2%BD&MG=0&IM=0&SY=2&MD=2&FR=1&GS=1
寺子屋 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E5%AD%90%E5%B1%8B
リサイクル - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AB
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E5%AD%90%E5%B1%8B
共生 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E7%94%9F
松岡正剛の千夜千冊『百物語』杉浦日向子
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1121.html
男尊女卑-Yahoo!百科事典
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E7%94%B7%E5%B0%8A%E5%A5%B3%E5%8D%91/
私も江戸時代の文化等には前々より大変興味を持っていたので、冒頭に掲載の画像:右の本「NHKデーター情報部編・ヴィジュアル百科・江戸事情」(全六巻中の第一巻「生活編」)など購入し、何かあるごとにこの本を利用して当時の江戸文化に触れ楽しんでいたので、この放送が始まってからは欠かさず見ていたし、彼女が亡くなったことを非常に残念に思っている1人である。
しかし、彼女の忌日だからといって、彼女のことはNHKの番組を通じてのことしか知らないので、彼女が亡くなった当時の新聞等の報道やWikipediaに書かれていることから簡単に書いておこう。
杉浦日向子(すぎうらひなこ、本名 鈴木 順子)は、1958(昭和33)年11月30日、東京・日本橋の呉服屋に生まれということで、江戸文化には特別な思い入れがあり傾倒していたようだ。もともとアート・ディレクターを志望して日大芸術学部に入学していたが、講義に興味が持てず、2年で中退。家業を手伝いながら、手描きの友禅の勉強をしていたが、やがて、独学で勉強できる「時代考証」に興味を抱き、稲垣史生の正式な「弟子」として、稲垣の川越の自宅に3年間通ったという。そして時代考証を学ぶかたわら、1980(昭和55)年に初めて吉原を題材にして描いた漫画「虚々実々通言室之梅」を雑誌『ガロ』に送ったところ掲載され、漫画家としてデビュー。内容は町人に化けて吉原に登楼した侍が遊女にふられる話のようであるが、この時のマンガそのものは、まだ、線も確りしておらず上出来とはいえないものの、時代考証は確かな作品だったようだ。絵は浮世絵を下地にした独特な画風を得意としており、以来、一貫して江戸風俗を題材にした作品を描き、1984(昭和59)年『合葬』で、日本漫画家協会賞優秀賞、1988(昭和63)年『風流江戸雀』で文藝春秋漫画賞を受賞。庶民の粋な風俗や生活感あふれる日常描写を得意とし、漫画家としての代表作には、葛飾北斎と浮世絵師たちの世界を描いた連作短編集『百日紅』、99話の怪談を描いた『百物語』などがあるが、1993(平成5)年に漫画家引退宣言をし「隠居生活」と称しその後、自らのライフワークである江戸風俗研究家として活動しながら、好きなお酒とそばを楽しんだり、世界各地の船旅に出かけたり、積極的に人生を味わっていたのは、骨髄移植以外に完治する方法のない血液の免疫系の病を患っており、体力的に無理が利かなかったからであることが、死後明らかにされているようだ。
「コメディーお江戸でござる」は、演劇(4幕)、歌、「杉浦日向子のおもしろ江戸ばなし」の3部構成で出来ていた。
演劇は、江戸の町人の暮らしをコミカルに描いた喜劇であり、主役はあくまで町人・商人であり、舞台も商家や長屋が主であった。この演劇では、なんと言ってもご隠居や商家の主人役を演じた座長格の伊東四朗の存在が大きかったな~。それと、番組の当初、賢い利発な小僧や丁稚役を演じていたえなりかずきは、まだ11・2歳の頃であり、本当に利発そうで可愛かった。しかし座長格の伊東が1999(平成11)年3月に降板してから、この劇の面白みは半減した感じがする。
歌謡コーナーは、 演劇にも出演した女性演歌歌手が、自らの持ち歌を披露していた。
「杉浦日向子のおもしろ江戸ばなし」のコーナーでは、舞台での寸劇の後、杉浦が舞台に出てきた場所や職業、物や流行など、江戸の町人文化を時代考証をしながら紹介。このコーナーの進行はその時の座長格の出演者が務めた。
大きな目をクリクリさせながら江戸の生活や文化をわかりやすい言葉で語る杉浦の姿は、親しみやすさの中にも風格すら漂っていたが、この時、すでに、体力的には、かなり、きつかったのだろうね~。何時も着物を着てニコニコ笑顔を絶やさず話していたが、この番組に出る以前のまだ健康面に問題の無いころの彼女の姿を知らないが、この番組での彼女の体の線の細さは、あまりにも痩せていてなにか痛々しい感じがしていた。彼女は、体調の問題から、この番組の最終回とその前の回のみ、作家・江戸文化研究者でもある石川英輔に代理出演してもらっている。
この番組終了後、同年4月から同じ放送枠で、リニューアルされた「コメディー道中でござる」でも石川が引き続き解説を担当した。 しかし、杉浦の噛み砕いた解説と比べ、石川の解説は学術的な解説だったため、視聴者からは「判りにくい」との声も寄せられたといい、1年間放映されたが、2005(平成17)年4月からは土曜特集内で不定期に2006(平成18)年3月まで放送された。また、杉浦は「おもしろ江戸ばなし」の解説を降板した翌・2005(平成17)年の今日亡くなった。
杉浦の語る「江戸」は、どこを指しているのだろうか。以前にネットで呼んだ「らっしゃい東京 インタビュー:杉浦日向子さん」によると、以下のようだった。
“江戸の語源は「入江の戸口」にある土地からきている。江戸の町は現在の山手線の内側の、非常に狭い土地で、港区、千代田区、中央区の三区を中心に、ちょっと周りを広げた位の広さだった。江戸の下町というのは、神田川より南、隅田川より西、江戸城から東、江戸湾から北の細長い一帯(現在の神田、日本橋、銀座、新橋あたり)でしかなかった。なぜ、下町かというと、お城のすぐ近くにある商業地、町人地が、お城の下にある町ということで、「城下(しろした)の町」「下町」なのだ”そうだ。
そんな、江戸時代は、庶民が輝く独特な社会文化をつくりあげていた。今、江戸が注目されているが、それは、単なる懐古趣味からだけではない。江戸時代は、現代以上にリサイクル社会であり、庶民の生活も、精神的にはゆとりのあった時代なのだ。時代劇に出てくるような悪代官や意地悪な大家さんなど芝居や映画の産物で、実際には人情味のある庶民に思いやりのある人達が多かったのだ。そして、庶民の間の絆は強く、弱い者、困って居る者はみんなで助け合う良い社会があった。仕事をしても丸1日仕事をすることは多くは無く、時間的にはゆとりがあり、文学への関心も深く、子供も寺子屋で勉学をさせていた。そんな中で真面目に働けば、結構お金も稼げたようだ。ただ、そんなにお金お金とあくせくしなかっただけ。「宵越しの金は持たない」は江戸っ子の粋だからね~。江戸時代の庶民は、あくせく働くことよりも人生を謳歌していたのだよ。それに、日本人は昔から男尊女卑の国だなんていう人がいるが、そのようなことはなく、ただ、男と女が役割分担していただけで、女性は女性で自分達の生活を謳歌していたことが江戸時代を調べればわかるよ。そのような様子は、以下参考の※2:「江戸の一頁」、3:「インターネットを楽しむ」、※4:「江戸庶民の知恵に学べ」、※5:「江戸時代は、理想的なリサイクル社会だった」など見られる良い。
兎に角今は、金・金・金の世の中。そして、競争社会の中では勝者と敗者がはっきりとわかれ、敗者となったものの行き場がなくなっている。今、世界的に、これまでの仕組みや、やり方が壁に突き当たっている。そのような中で、以前より競争社会から共生社会への転換などが叫ばれており(以下参考の※6:「内閣府政策統括官(共生社会政策担当)のホームページ」参照)、今や、それを現実のものとしてゆかなければいけない時代に来てはいるのであるが、一度、競争社会の中で勝ち組となり、勝ち組としての甘い汁を吸った人達が、このような、呼びかけにどれくらい協力的になるだろうか・・?。
しかし、このまま全てが競争競争で行けば、今の社会はいづれ崩壊するだろう。競争には競争の良さがあるが、やはり、これからは、物質的なものばかり追い求めるのではなく、精神的な面を重視し、一般庶民が日常の生活を相互に助け合いながら、ゆったりとした気分で安心して過ごせる社会を築いてゆかなければいけないのではないか。それには、国民自身が、何を幸せと考えるのか・・・?といったことが、入口になるだろう。その意味で、今、江戸の時代がどんな時代であったかを見直して見るのも良いだろう。
参考:(画像左:1998年春NHK「お江戸でござる」のスタジオでの杉浦日向子さんの写真【2005年9月15日朝日新聞朝刊掲載より】、右:私の蔵書、「NHKデーター情報部編・ヴィジュアル百科・江戸事情」【全六巻中の第一巻「生活編」】)
※1:下咽頭癌
http://www.onh.go.jp/seisaku/cancer/kakusyu/kaintouhtml.html
※2:江戸の一頁
http://e-kankyo.jfast.net/edo/top.htm
※3:インターネットを楽しむ
http://www5e.biglobe.ne.jp/~komichan/index.html
※4:江戸庶民の知恵に学べ
http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/hon/edosyomin.htm
※5:江戸時代は、理想的なリサイクル社会だった
http://www.saisei-yasumoto.com/edo/edo3.html
※6:内閣府政策統括官(共生社会政策担当)のホームページ
http://www8.cao.go.jp/souki/index.html
杉浦日向子 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E6%B5%A6%E6%97%A5%E5%90%91%E5%AD%90
Category:江戸時代 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3
江戸東京博物館ホームページ
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
ビバ!江戸
http://www.viva-edo.com/
江戸戯作黄表紙
http://kibyou.hp.infoseek.co.jp/
キッズgoo/江戸時代 文化
http://kids.goo.ne.jp/search/search.php?MT=%B9%BE%B8%CD%BB%FE%C2%E5+%CA%B8%B2%BD&MG=0&IM=0&SY=2&MD=2&FR=1&GS=1
寺子屋 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E5%AD%90%E5%B1%8B
リサイクル - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AB
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E5%AD%90%E5%B1%8B
共生 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E7%94%9F
松岡正剛の千夜千冊『百物語』杉浦日向子
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1121.html
男尊女卑-Yahoo!百科事典
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