日本記念日協会の記念日を見ると今日3月3日の記念日に「耳かきの日」があった。
由来をみると“耳の衛生について、知識の普及や聴覚障害の予防・治療などへの理解を深めることを目的に3と3で「耳」と読む語呂合わせから制定された「耳の日」。その日をなじみ深い耳用品の「耳かきの日」にもと制定したのは、神奈川県横浜市に本社を置く耳かき具のトップメーカーの株式会社レーベン販売(以下参考の※1参照)。耳かき具をつうじて、耳の衛生の大切さをアピールするのが目的。”なのだとか・・・。
しかし、このブログを書くに当たり、何か良い情報がないかと、同社HPへアクセスしてみたが、HPには、同社取扱の「ののじ耳かきシリーズ」の商品の紹介をしているだけで、捜し方が悪いのかも知らないが、特に、“耳の衛生の大切さ”等に関する情報ページなどは見られなかった。要するに、最近多くなったCM代わりの記念日登録なのだろうが、3月3日の行事「雛祭り」(ここ参照)のことも「ここ参照)のことも既にこのブログで書いてしまったので、ブログ用のネタを提供してもらったと思って今日はこの「耳かき」をテーマーに書くことにしよう。ただ、「耳の日」には、各地でいろいろな行事をしているようだが、そのことは、日本耳鼻咽喉科学会 HP(以下参考の※2参照)の「耳の日」地方部会行事を参照されたい。
人の耳は外観として目立つ耳介を俗に「耳」と呼ぶ場合も少なくないが、外耳、中耳(鼓室) 、内耳までの全体が耳である。その外耳が音を集めて、鼓膜へと導くのだが、耳介の中央部に存在し、外界に向いている開口部から鼓膜までの部分が外耳道とよばれているところである(以下参考の※3:「ビジュアル生理学ー耳の構造と伝導路」参照)。
耳掻き(耳かき、みみかき、英: Ear pick)とは、普通は、この耳の穴つまり外耳道に溜まった耳垢(みみあか・じこう)を取り除く、つまり、耳掃除(耳垢取り、耳掘りなどともいわれる)をする行為をいうが、人は耳垢を取り除くためだけではなく、何らかの理由で耳の穴(外耳道)が痒くなったときなど、概ね細い指である小指で掻こうとするが、そうした指が入るのは耳たぶ(耳介)の奥までであり、穴の奥にまで指が入ることはないため、その際に先端部がさじと呼ばれるへら状になった細長い棒状の道具を使うがこの耳掃除用の道具も耳掻きという。
日本における一般的かつ伝統的な道具としての耳掻きは竹や木を素材にしたものが多いが、竹製の耳掻きは、適度な硬さと弾力性があるため、素材としては最も耳掃除に適しているようだ。木の耳掻ききの場合は、ツゲ製のものが多い。
この耳掻きは、全国各地の観光土産として必ずといってよいほど売られているが、竹や木の耳掻きは素材自体に装飾性がないため、先に小さな人形やこけしといった飾りのついたものがほとんどであるが、この飾りは非常に多種多様である。冒頭の画像は、母親が愛用していたものの一つ竹製の耳掻きであるが今は私が愛用している。
だが、現在利用されている耳かきの中で最も実用的でポピュラーなものといえば、やはり、さじの反対側(竹の柄の先)に、フワフワとした綿帽子のような毛のついた形のものであるが、この毛の部分を梵天(凡天、ぼんてん)といい、梵天の語の由来は、古代インドの神のブラフマー(仏教では守護神の一神である梵天)であるが、最も有力な説は、修験者が着用する梵天袈裟(ぼんてんげさ)からとされる。梵天には普通水鳥の毛が使われているが、この部分は、耳かきの仕上げに、耳に差し込んで軽く拭うなどして用いられる。
料理などの際に調味料を合わせるとき、「耳掻き一杯程度」などとして「ほんの少し」の分量の目安としての比喩的表現にも使われることもあるように、日本では、何処の家庭にも必ず1本はあるといわれるくらい馴染みの深い耳掻きであるが、これほど外耳道から耳垢を取り出す行為である耳掻きが広く普及しているのは、日本、中国、韓国など、ごく限られた地域だけの習慣のようである。
日本における記録に残っている最初の耳掻きは、簪(かんざし)に由来するものであるという。これの端をへら状にしたものが出始めたのが耳掻きの始まりのようであり、以下参考に記載の※4:「耳かきの世界 - 滋賀県立大学 人間文化学部」には、「耳かき付かんざしの起源を記したと思われる記述が、『嬉遊笑覧』巻一下・容儀に見られ、そこには、“高橋図南老人は御厨子所預若狭守紀宗直といふ人なり、若かりしほど北野に開帳ありしに或商人の高橋家に立入しに図南それに教えて、釵(さい。釵子参照)に耳かき造りそえなばはやるべしといはれける、故にやがて作り出しつるに果たしてよく售ぬ(※うぬのうは売れるの売と書くが、喜ばれるの意味もある?)、それより世に普く(あまねく=広く。一般に。)はやりたりといふことを、屋代輪池翁その家にて親しく聞れたりとぞと書かれている。これによると、耳かき付かんざしを発明したのは高橋図南(高橋宗直。以下参考に記載の※5参照)老人という人物である。"・・・とあるから「耳かき付かんざし」が発明されたのは享保年間(1716年から1735年)ということになる。
上図は、大判錦絵「大願成就有卦滝縞・耳洗い」歌川国芳筆の部分である。かって帝人(株)が浮世絵のカレンダーをシリーズで出していたときの物を保管していたものである。制作年代は弘化期(1844-1847)のものとある。画には、「耳洗ふ 雪消の水のおしろいに かたき岩をも 砕く瀧しま」 (老松)の狂歌も書かれている。
中国古代、箕山(きざん)の陰士であった許由(きょゆう)の人格がすぐれていたことを聞いた尭(ぎょう)が、天下を譲ろうとした。許由はそうした話を聞いただけで、自分の耳が汚れたといって、頴川の水でその耳を洗ったという。その清節ぶりが題材として取り上げられ、漢画の作が多くある。本図はその許由の故事(「晋書」向秀伝)を当世美女風俗で描いたものであるが、上半身、裸となって耳を洗う女性の色気十分な姿が、作画の主目的として取り上げた作品である。
簪(かんざし)のことは、以下参考の※6:「かんざし屋 山口:かんざしの歴史と種類」に詳しく書かれており、これを参考に書くと、江戸時代の簪(かんざし)の種類を大きく分けると、耳かき簪、松葉簪、玉簪、平打簪、花簪、変わり簪などの種類があり、これらは現代でも古典的なかんざしとして通常目にすることのできるような形状のものであり、特徴としては、頭の部分に耳掻きがつき、胴の部分から2つに分かれて、2本の足が形成されている。
上図の耳を洗っている美女がしているのは、耳掻きのついたかんざしに玉を1つ挿してあるだけの最もポピュラーな「玉簪」であろう。
上図は、大判錦絵「歌撰恋の部・物思恋」喜多川歌麿の筆であり、同じく帝人の浮世絵シリーズのカレンダーから上半身の図柄の内の顔の部分のみをコピーしたものである。軽く指をまげて頬杖をつき、恋の行く末を案じる中年増(ちゅうどしま)の画である。
余談だが、年増とは、娘盛りを過ぎた女性をいい、今の時代なら、一般に30歳代半ばから40歳前後までの女性をいうが、江戸時代には20歳前後を年増、20歳を過ぎて28、9歳ぐらいまでを中年増、それより上を大年増といったようだ。歌麿は王朝時代の和歌集の恋の部になぞらえて、題名とし、恋に悩む女性を5種描いているが、本図はその1図である。最近は、30過ぎ、いや40前ぐらいまで、独身で頑張っている女性も多くいるが、江戸時代ならもう完全な大年増と言うことになり、もう、恋の悩みさえ感じなくなっているのだろうね~(^0^)。
日本におけるかんざしの原点は、縄文時代にまで遡るという。古代日本では、先の尖った一本の細い棒に、呪力が宿るものと信じられていたそうで、髪に一本の細い棒を挿すことにより、魔を払うことができると考えたのだとか・・。これが髪串であり、のちのかんざしとして発達したものだろうという。
この髪串をさらに何本も束ねて櫛のように用いたものが櫛の原型といえるが、縄文時代早期(約7000年前)のものとみられる木製櫛が佐賀市東名遺跡から出土しているが、出土品を見ると、その形は縦長でしかも歯の部分が特に長く、髪を梳くための櫛というより、束ねた髪を止めるヘアー・ピンの用途もあったようだ(以下参考の※7、※8参照)。
その後、奈良時代に入り中国から様々な文化とともに髪飾りも伝わってきた。当初は日本へ伝来したものの、その後垂髪が主流である平安期の国風様式に押されて廃れてしまったためこのころ「かんざし」と呼べば髪飾り一般を指す名称で、飾り櫛や笄(こうがい)のこともさしていた。
笄は結髪の根に挿すもので、一本しか使わず、髪型によっては省かれることもある。本来は髷の根を固定する実用的な道具であったが、江戸後期の複雑な結髪になると用途は後退し、ほぼ装飾品と同じとなる。その現れが「中割れ笄」という笄で、中心でふたつに分解できるようになっており、結髪を八分がた作り終えてから仕上げに挿すための、完全な装飾品である。棒状に変化したものを「延べ棒」と呼ぶこともある。
笄を使うことが成人女性として扱われることも多く、笄で結い始める時の儀式である「笄礼」(けいれい)を成人式のように扱うことがある。よく言われるところの「冠婚葬祭」の「冠」は、成人式を指し、かつては15歳の元服に由来し、冠を頂く(社会的な役職や参政権を得る)の意味を持つ。男子は、冠を被り、女子は、頭に簪をさした。このため「笄」には成人とした15歳という意味もある。
日本においては、日本髪に欠かせない「櫛」「簪」「笄」の三点セットのうち、笄は櫛に継ぐ由来の古さを誇っている。上掲の浮世絵2枚ともに、櫛・簪・笄の3点セットで髪を飾っているのが判る。
当初かんざしについていた耳かきは実用のもので、いつもはかんざしとして髪に挿しておき、耳が掻きたくなったらいつでも抜いて使えるたのである。実用と装飾を兼ねた実に優れものであったが、その後耳かき部分はデザインとして残され、飾り玉には様々なものが用いられるようになった。
どうも、私の好きな浮世絵の話が入ったもので、少々、かんざしの話がくどくなってしまったが、もとの耳掻の話にもどろう。
これほどに、日常的に耳掻きを使っていたわけだが、耳掃除は外耳道に溜まった耳垢を取り除くためだけではなく、耳の中を掃除すると気持ちが良くなるからすることも多いようだ。特に耳垢を取り除いた後、今はポピュラーな竹製の耳掻きについているふわふわとした柔らかい梵天でそれを払うときの感触は特に良い。
この梵天、普通水鳥の毛が使われているが、昔はウサギの毛も使っていたこともあるようだ、太宰治の短編「懶惰の歌留多」には以下のような記述がある。
「がらっと机の引き出しをあけ、くしゃくしゃ引き出しの中を掻(か)きまわして、おもむろに、一箇の耳かきを取り出し、大げさに顔をしかめ、耳の掃除をはじめる。その竹の耳かきの一端には、ふさふさした兎の白い毛が附いていて、男は、その毛で自分の耳の中をくすぐり、目を細める。耳の掃除が終る」(以下参考の※9:「青空文庫」参照)・・・と。
耳の中の掃除をするとどうして、気持ちが良いのだろう?特に、自分でするのではなく、人にして貰うのでは、床屋のサービスでしてくれるときがあるが、そんなのよりも、特に女性の膝枕などでしてもらうと、もううっとりするほど心地良い気持ちになる。私なども新婚当時は、天気も良く日差しの明るい日などによく女房が、膝枕でしてくれていたことを思い出したが、そういえば、最近は、久しく膝枕ではしてもらっていないな~。
こんな耳掃除をする商売「耳垢取」が既に江戸時代にはあったという。以下参考に記載の国立国会図書館公開の※10:「近代デジタルライブラリー:『大和荘子蝶胥笄(やまとそうしちょうちょうのかんざし)』〔滝沢馬琴著〕」には、耳の垢取を生業とする娘あげが、武士玉倉白内に思いを寄せる話や、耳垢取長官が女郎の色香に迷い糟糠の妻(そうこうのつま。以下参考の※:11参照)を裏切り死に追いやったことなどが書かれている。
以下の画は、同『大和荘子蝶胥笄』に描かれている“みみのあか取屋”と娘あげはの画(画は歌川国貞っとおもうのだが・・・)である。
又、落語でも耳垢取屋が出てくる話があるようだが、その中では、使う耳かきに松・竹・梅の三つのランクがあり、松は金の耳かき、竹は象牙や銀の耳かき、梅は釘の頭というものだそうであり、服装は唐人姿の方が多かったらしく、元禄末・正徳の頃まであった商売のようである(詳しくは以下参考の※4:「耳かきの世界」参照)。
こんな「耳垢取」は、今の時代では、通常は理容室(床屋)等の付帯サービスとして行われるが、客の要望によっては耳掻きのみを行う理容室も存在するが、理容室とは別に、2005(平成17)年に厚生労働省が医師法第17条、歯科医師法第17条及び保健師助産師看護師法第31条の解釈についての通知(以下参考の※12参照)によって、耳垢の除去が医療行為として該当しなくなった事から、東京、大阪、名古屋などの大都市圏を中心に耳掻き専門の店舗が増えているようである。
超小型のカメラで自分の耳の中を見ながら耳掻きをしてくれる店もあれば、若い女性の膝枕をによる耳かきを売り物にする店も出来ているようであるが、私などが、このような店があるのを知ったのは、2009(平成21)年8月に発生した新橋ストーカー殺人事件であった。
この事件は、被害者の職業から「耳かき店員殺害事件」とも称されているが、被害者の女性は東京都秋葉原の耳かき専門店で働く、いわゆる耳かき嬢であった。勤務していた店舗でナンバー1の人気嬢だそうであり、多い時は1ヶ月に65万円の収入を得ていたという。
一方、被疑者の男は2008(平成20)年2月からこの耳かき専門店に通い始め、この女性従業員を指名し続けて店に通う頻度が上がり、最終的に同店で少なくとも200万円以上を費やしたのだとか・・・・。
風俗営業に近いような耳掻き専門店が出来るというのは、単に耳の垢をとってもらうだけではなく、耳掻きをしてもらうことによって、それだけの快感を感じるからでもあろう。
よくドンファンなどが、女性を口説くのに、耳たぶに触れたり、耳に息を吹きかけたり、耳元で囁やいたりするだけで女性は刺戟感じらしいと聞いている。つまり、耳はそれ程、性的快感を得やすい部分、つまり、性感帯でもあるのだろう。
江戸時代から耳のあか取りの専門業者がいたほどに耳かき好きな日本人。私もそうで、よく耳掻きを奥の方まで突っ込んで、気が済むまで綺麗にとろうとするが、これは、良くないのだそうだ。
耳垢は、汚いもののように、耳糞(みみくそ)などとも言われているが、これは外耳道の入り口近くに、空気中の埃、皮膚の残骸などがたまったものと、外耳道の耳垢腺というところから出る分泌物が混ざったものであって、個人差はあるものの普通、少しずつ入り口のほうに移動してくるものだそうである。従って、耳掃除は綿棒などを使って見える範囲のものを無理せずにとるだけにしておく方が良いのだそうだ。
耳の中をあまりいじると、耳垢を奥に押し込んだり、外耳道を傷つけたりすることになり、下手をすると、鼓膜を傷つけることにもなりかねないようだから、これからは気をつけなければいけないと思う。わからないときには耳鼻咽喉科に相談した方が良さそうだね。
参考:
※1:株式会社LEBENレーベン販売
http://nisiyoko.com/
※2:日本耳鼻咽喉科学会 HP
http://www.jibika.or.jp/
※3:ビジュアル生理学ー耳の構造と伝導路
http://bunseiri.michikusa.jp/cyokaku.htm
※4:耳かきの世界 - 滋賀県立大学 人間文化学部
http://www.shc.usp.ac.jp/takahashi/mimikakinosekai.html
※5:高橋図南 とは - コトバンクたかはし-むねなお
http://kotobank.jp/word/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%AE%97%E7%9B%B4?dic=nihonjinmei
※6:かんざし屋 山口:かんざしの歴史と種類
http://kanzasi.co.jp/cgi-bin/kanzasi/sitemaker.cgi?mode=page&page=page4&category=2
※7:国内最古の木製くし出土 佐賀市の東名遺跡
http://www.47news.jp/CN/200610/CN2006101801000634.html
※8:主な展示作品 東名遺跡 編カゴ出土状況 東名遺跡第1貝塚全景(PDF)
http://www.pref.fukuoka.lg.jp/uploaded/life/41/41381_2828599_misc.pdf
※9:青空文庫:太宰治「懶惰の歌留多」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/279_15089.html
※10:近代デジタルライブラリー:大和荘子蝶胥笄 〔滝沢馬琴著〕
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/879691
※11:糟糠の妻
http://www.d1.dion.ne.jp/~kalinka/china/yomoyama/culture/soukou.htm
※12:医政局長 (2005年7月26日). “医師法第17条、歯科医師法第17条及び保健師助産師看護師法第31条の解釈について(通知) (PDF)”.
http://wwwhourei.mhlw.go.jp/hourei/doc/tsuchi/171108-e.pdf
今日のことあれこれと・・・3月3日「耳の日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/d/20070303
耳掻き - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%B3%E6%8E%BB%E3%81%8D
裁判員裁判 西新橋「耳かき店員」ストーカー殺人事件
http://www.geocities.jp/masakari5910/citizen_judge_death_penalty01.html
髪飾り 玉簪 うのはら(ウノハラ)
http://www.unohara.jp/shopping/index.php?type=2
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html
由来をみると“耳の衛生について、知識の普及や聴覚障害の予防・治療などへの理解を深めることを目的に3と3で「耳」と読む語呂合わせから制定された「耳の日」。その日をなじみ深い耳用品の「耳かきの日」にもと制定したのは、神奈川県横浜市に本社を置く耳かき具のトップメーカーの株式会社レーベン販売(以下参考の※1参照)。耳かき具をつうじて、耳の衛生の大切さをアピールするのが目的。”なのだとか・・・。
しかし、このブログを書くに当たり、何か良い情報がないかと、同社HPへアクセスしてみたが、HPには、同社取扱の「ののじ耳かきシリーズ」の商品の紹介をしているだけで、捜し方が悪いのかも知らないが、特に、“耳の衛生の大切さ”等に関する情報ページなどは見られなかった。要するに、最近多くなったCM代わりの記念日登録なのだろうが、3月3日の行事「雛祭り」(ここ参照)のことも「ここ参照)のことも既にこのブログで書いてしまったので、ブログ用のネタを提供してもらったと思って今日はこの「耳かき」をテーマーに書くことにしよう。ただ、「耳の日」には、各地でいろいろな行事をしているようだが、そのことは、日本耳鼻咽喉科学会 HP(以下参考の※2参照)の「耳の日」地方部会行事を参照されたい。
人の耳は外観として目立つ耳介を俗に「耳」と呼ぶ場合も少なくないが、外耳、中耳(鼓室) 、内耳までの全体が耳である。その外耳が音を集めて、鼓膜へと導くのだが、耳介の中央部に存在し、外界に向いている開口部から鼓膜までの部分が外耳道とよばれているところである(以下参考の※3:「ビジュアル生理学ー耳の構造と伝導路」参照)。
耳掻き(耳かき、みみかき、英: Ear pick)とは、普通は、この耳の穴つまり外耳道に溜まった耳垢(みみあか・じこう)を取り除く、つまり、耳掃除(耳垢取り、耳掘りなどともいわれる)をする行為をいうが、人は耳垢を取り除くためだけではなく、何らかの理由で耳の穴(外耳道)が痒くなったときなど、概ね細い指である小指で掻こうとするが、そうした指が入るのは耳たぶ(耳介)の奥までであり、穴の奥にまで指が入ることはないため、その際に先端部がさじと呼ばれるへら状になった細長い棒状の道具を使うがこの耳掃除用の道具も耳掻きという。
日本における一般的かつ伝統的な道具としての耳掻きは竹や木を素材にしたものが多いが、竹製の耳掻きは、適度な硬さと弾力性があるため、素材としては最も耳掃除に適しているようだ。木の耳掻ききの場合は、ツゲ製のものが多い。
この耳掻きは、全国各地の観光土産として必ずといってよいほど売られているが、竹や木の耳掻きは素材自体に装飾性がないため、先に小さな人形やこけしといった飾りのついたものがほとんどであるが、この飾りは非常に多種多様である。冒頭の画像は、母親が愛用していたものの一つ竹製の耳掻きであるが今は私が愛用している。
だが、現在利用されている耳かきの中で最も実用的でポピュラーなものといえば、やはり、さじの反対側(竹の柄の先)に、フワフワとした綿帽子のような毛のついた形のものであるが、この毛の部分を梵天(凡天、ぼんてん)といい、梵天の語の由来は、古代インドの神のブラフマー(仏教では守護神の一神である梵天)であるが、最も有力な説は、修験者が着用する梵天袈裟(ぼんてんげさ)からとされる。梵天には普通水鳥の毛が使われているが、この部分は、耳かきの仕上げに、耳に差し込んで軽く拭うなどして用いられる。
料理などの際に調味料を合わせるとき、「耳掻き一杯程度」などとして「ほんの少し」の分量の目安としての比喩的表現にも使われることもあるように、日本では、何処の家庭にも必ず1本はあるといわれるくらい馴染みの深い耳掻きであるが、これほど外耳道から耳垢を取り出す行為である耳掻きが広く普及しているのは、日本、中国、韓国など、ごく限られた地域だけの習慣のようである。
日本における記録に残っている最初の耳掻きは、簪(かんざし)に由来するものであるという。これの端をへら状にしたものが出始めたのが耳掻きの始まりのようであり、以下参考に記載の※4:「耳かきの世界 - 滋賀県立大学 人間文化学部」には、「耳かき付かんざしの起源を記したと思われる記述が、『嬉遊笑覧』巻一下・容儀に見られ、そこには、“高橋図南老人は御厨子所預若狭守紀宗直といふ人なり、若かりしほど北野に開帳ありしに或商人の高橋家に立入しに図南それに教えて、釵(さい。釵子参照)に耳かき造りそえなばはやるべしといはれける、故にやがて作り出しつるに果たしてよく售ぬ(※うぬのうは売れるの売と書くが、喜ばれるの意味もある?)、それより世に普く(あまねく=広く。一般に。)はやりたりといふことを、屋代輪池翁その家にて親しく聞れたりとぞと書かれている。これによると、耳かき付かんざしを発明したのは高橋図南(高橋宗直。以下参考に記載の※5参照)老人という人物である。"・・・とあるから「耳かき付かんざし」が発明されたのは享保年間(1716年から1735年)ということになる。
上図は、大判錦絵「大願成就有卦滝縞・耳洗い」歌川国芳筆の部分である。かって帝人(株)が浮世絵のカレンダーをシリーズで出していたときの物を保管していたものである。制作年代は弘化期(1844-1847)のものとある。画には、「耳洗ふ 雪消の水のおしろいに かたき岩をも 砕く瀧しま」 (老松)の狂歌も書かれている。
中国古代、箕山(きざん)の陰士であった許由(きょゆう)の人格がすぐれていたことを聞いた尭(ぎょう)が、天下を譲ろうとした。許由はそうした話を聞いただけで、自分の耳が汚れたといって、頴川の水でその耳を洗ったという。その清節ぶりが題材として取り上げられ、漢画の作が多くある。本図はその許由の故事(「晋書」向秀伝)を当世美女風俗で描いたものであるが、上半身、裸となって耳を洗う女性の色気十分な姿が、作画の主目的として取り上げた作品である。
簪(かんざし)のことは、以下参考の※6:「かんざし屋 山口:かんざしの歴史と種類」に詳しく書かれており、これを参考に書くと、江戸時代の簪(かんざし)の種類を大きく分けると、耳かき簪、松葉簪、玉簪、平打簪、花簪、変わり簪などの種類があり、これらは現代でも古典的なかんざしとして通常目にすることのできるような形状のものであり、特徴としては、頭の部分に耳掻きがつき、胴の部分から2つに分かれて、2本の足が形成されている。
上図の耳を洗っている美女がしているのは、耳掻きのついたかんざしに玉を1つ挿してあるだけの最もポピュラーな「玉簪」であろう。
上図は、大判錦絵「歌撰恋の部・物思恋」喜多川歌麿の筆であり、同じく帝人の浮世絵シリーズのカレンダーから上半身の図柄の内の顔の部分のみをコピーしたものである。軽く指をまげて頬杖をつき、恋の行く末を案じる中年増(ちゅうどしま)の画である。
余談だが、年増とは、娘盛りを過ぎた女性をいい、今の時代なら、一般に30歳代半ばから40歳前後までの女性をいうが、江戸時代には20歳前後を年増、20歳を過ぎて28、9歳ぐらいまでを中年増、それより上を大年増といったようだ。歌麿は王朝時代の和歌集の恋の部になぞらえて、題名とし、恋に悩む女性を5種描いているが、本図はその1図である。最近は、30過ぎ、いや40前ぐらいまで、独身で頑張っている女性も多くいるが、江戸時代ならもう完全な大年増と言うことになり、もう、恋の悩みさえ感じなくなっているのだろうね~(^0^)。
日本におけるかんざしの原点は、縄文時代にまで遡るという。古代日本では、先の尖った一本の細い棒に、呪力が宿るものと信じられていたそうで、髪に一本の細い棒を挿すことにより、魔を払うことができると考えたのだとか・・。これが髪串であり、のちのかんざしとして発達したものだろうという。
この髪串をさらに何本も束ねて櫛のように用いたものが櫛の原型といえるが、縄文時代早期(約7000年前)のものとみられる木製櫛が佐賀市東名遺跡から出土しているが、出土品を見ると、その形は縦長でしかも歯の部分が特に長く、髪を梳くための櫛というより、束ねた髪を止めるヘアー・ピンの用途もあったようだ(以下参考の※7、※8参照)。
その後、奈良時代に入り中国から様々な文化とともに髪飾りも伝わってきた。当初は日本へ伝来したものの、その後垂髪が主流である平安期の国風様式に押されて廃れてしまったためこのころ「かんざし」と呼べば髪飾り一般を指す名称で、飾り櫛や笄(こうがい)のこともさしていた。
笄は結髪の根に挿すもので、一本しか使わず、髪型によっては省かれることもある。本来は髷の根を固定する実用的な道具であったが、江戸後期の複雑な結髪になると用途は後退し、ほぼ装飾品と同じとなる。その現れが「中割れ笄」という笄で、中心でふたつに分解できるようになっており、結髪を八分がた作り終えてから仕上げに挿すための、完全な装飾品である。棒状に変化したものを「延べ棒」と呼ぶこともある。
笄を使うことが成人女性として扱われることも多く、笄で結い始める時の儀式である「笄礼」(けいれい)を成人式のように扱うことがある。よく言われるところの「冠婚葬祭」の「冠」は、成人式を指し、かつては15歳の元服に由来し、冠を頂く(社会的な役職や参政権を得る)の意味を持つ。男子は、冠を被り、女子は、頭に簪をさした。このため「笄」には成人とした15歳という意味もある。
日本においては、日本髪に欠かせない「櫛」「簪」「笄」の三点セットのうち、笄は櫛に継ぐ由来の古さを誇っている。上掲の浮世絵2枚ともに、櫛・簪・笄の3点セットで髪を飾っているのが判る。
当初かんざしについていた耳かきは実用のもので、いつもはかんざしとして髪に挿しておき、耳が掻きたくなったらいつでも抜いて使えるたのである。実用と装飾を兼ねた実に優れものであったが、その後耳かき部分はデザインとして残され、飾り玉には様々なものが用いられるようになった。
どうも、私の好きな浮世絵の話が入ったもので、少々、かんざしの話がくどくなってしまったが、もとの耳掻の話にもどろう。
これほどに、日常的に耳掻きを使っていたわけだが、耳掃除は外耳道に溜まった耳垢を取り除くためだけではなく、耳の中を掃除すると気持ちが良くなるからすることも多いようだ。特に耳垢を取り除いた後、今はポピュラーな竹製の耳掻きについているふわふわとした柔らかい梵天でそれを払うときの感触は特に良い。
この梵天、普通水鳥の毛が使われているが、昔はウサギの毛も使っていたこともあるようだ、太宰治の短編「懶惰の歌留多」には以下のような記述がある。
「がらっと机の引き出しをあけ、くしゃくしゃ引き出しの中を掻(か)きまわして、おもむろに、一箇の耳かきを取り出し、大げさに顔をしかめ、耳の掃除をはじめる。その竹の耳かきの一端には、ふさふさした兎の白い毛が附いていて、男は、その毛で自分の耳の中をくすぐり、目を細める。耳の掃除が終る」(以下参考の※9:「青空文庫」参照)・・・と。
耳の中の掃除をするとどうして、気持ちが良いのだろう?特に、自分でするのではなく、人にして貰うのでは、床屋のサービスでしてくれるときがあるが、そんなのよりも、特に女性の膝枕などでしてもらうと、もううっとりするほど心地良い気持ちになる。私なども新婚当時は、天気も良く日差しの明るい日などによく女房が、膝枕でしてくれていたことを思い出したが、そういえば、最近は、久しく膝枕ではしてもらっていないな~。
こんな耳掃除をする商売「耳垢取」が既に江戸時代にはあったという。以下参考に記載の国立国会図書館公開の※10:「近代デジタルライブラリー:『大和荘子蝶胥笄(やまとそうしちょうちょうのかんざし)』〔滝沢馬琴著〕」には、耳の垢取を生業とする娘あげが、武士玉倉白内に思いを寄せる話や、耳垢取長官が女郎の色香に迷い糟糠の妻(そうこうのつま。以下参考の※:11参照)を裏切り死に追いやったことなどが書かれている。
以下の画は、同『大和荘子蝶胥笄』に描かれている“みみのあか取屋”と娘あげはの画(画は歌川国貞っとおもうのだが・・・)である。
又、落語でも耳垢取屋が出てくる話があるようだが、その中では、使う耳かきに松・竹・梅の三つのランクがあり、松は金の耳かき、竹は象牙や銀の耳かき、梅は釘の頭というものだそうであり、服装は唐人姿の方が多かったらしく、元禄末・正徳の頃まであった商売のようである(詳しくは以下参考の※4:「耳かきの世界」参照)。
こんな「耳垢取」は、今の時代では、通常は理容室(床屋)等の付帯サービスとして行われるが、客の要望によっては耳掻きのみを行う理容室も存在するが、理容室とは別に、2005(平成17)年に厚生労働省が医師法第17条、歯科医師法第17条及び保健師助産師看護師法第31条の解釈についての通知(以下参考の※12参照)によって、耳垢の除去が医療行為として該当しなくなった事から、東京、大阪、名古屋などの大都市圏を中心に耳掻き専門の店舗が増えているようである。
超小型のカメラで自分の耳の中を見ながら耳掻きをしてくれる店もあれば、若い女性の膝枕をによる耳かきを売り物にする店も出来ているようであるが、私などが、このような店があるのを知ったのは、2009(平成21)年8月に発生した新橋ストーカー殺人事件であった。
この事件は、被害者の職業から「耳かき店員殺害事件」とも称されているが、被害者の女性は東京都秋葉原の耳かき専門店で働く、いわゆる耳かき嬢であった。勤務していた店舗でナンバー1の人気嬢だそうであり、多い時は1ヶ月に65万円の収入を得ていたという。
一方、被疑者の男は2008(平成20)年2月からこの耳かき専門店に通い始め、この女性従業員を指名し続けて店に通う頻度が上がり、最終的に同店で少なくとも200万円以上を費やしたのだとか・・・・。
風俗営業に近いような耳掻き専門店が出来るというのは、単に耳の垢をとってもらうだけではなく、耳掻きをしてもらうことによって、それだけの快感を感じるからでもあろう。
よくドンファンなどが、女性を口説くのに、耳たぶに触れたり、耳に息を吹きかけたり、耳元で囁やいたりするだけで女性は刺戟感じらしいと聞いている。つまり、耳はそれ程、性的快感を得やすい部分、つまり、性感帯でもあるのだろう。
江戸時代から耳のあか取りの専門業者がいたほどに耳かき好きな日本人。私もそうで、よく耳掻きを奥の方まで突っ込んで、気が済むまで綺麗にとろうとするが、これは、良くないのだそうだ。
耳垢は、汚いもののように、耳糞(みみくそ)などとも言われているが、これは外耳道の入り口近くに、空気中の埃、皮膚の残骸などがたまったものと、外耳道の耳垢腺というところから出る分泌物が混ざったものであって、個人差はあるものの普通、少しずつ入り口のほうに移動してくるものだそうである。従って、耳掃除は綿棒などを使って見える範囲のものを無理せずにとるだけにしておく方が良いのだそうだ。
耳の中をあまりいじると、耳垢を奥に押し込んだり、外耳道を傷つけたりすることになり、下手をすると、鼓膜を傷つけることにもなりかねないようだから、これからは気をつけなければいけないと思う。わからないときには耳鼻咽喉科に相談した方が良さそうだね。
参考:
※1:株式会社LEBENレーベン販売
http://nisiyoko.com/
※2:日本耳鼻咽喉科学会 HP
http://www.jibika.or.jp/
※3:ビジュアル生理学ー耳の構造と伝導路
http://bunseiri.michikusa.jp/cyokaku.htm
※4:耳かきの世界 - 滋賀県立大学 人間文化学部
http://www.shc.usp.ac.jp/takahashi/mimikakinosekai.html
※5:高橋図南 とは - コトバンクたかはし-むねなお
http://kotobank.jp/word/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%AE%97%E7%9B%B4?dic=nihonjinmei
※6:かんざし屋 山口:かんざしの歴史と種類
http://kanzasi.co.jp/cgi-bin/kanzasi/sitemaker.cgi?mode=page&page=page4&category=2
※7:国内最古の木製くし出土 佐賀市の東名遺跡
http://www.47news.jp/CN/200610/CN2006101801000634.html
※8:主な展示作品 東名遺跡 編カゴ出土状況 東名遺跡第1貝塚全景(PDF)
http://www.pref.fukuoka.lg.jp/uploaded/life/41/41381_2828599_misc.pdf
※9:青空文庫:太宰治「懶惰の歌留多」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/279_15089.html
※10:近代デジタルライブラリー:大和荘子蝶胥笄 〔滝沢馬琴著〕
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/879691
※11:糟糠の妻
http://www.d1.dion.ne.jp/~kalinka/china/yomoyama/culture/soukou.htm
※12:医政局長 (2005年7月26日). “医師法第17条、歯科医師法第17条及び保健師助産師看護師法第31条の解釈について(通知) (PDF)”.
http://wwwhourei.mhlw.go.jp/hourei/doc/tsuchi/171108-e.pdf
今日のことあれこれと・・・3月3日「耳の日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/d/20070303
耳掻き - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%B3%E6%8E%BB%E3%81%8D
裁判員裁判 西新橋「耳かき店員」ストーカー殺人事件
http://www.geocities.jp/masakari5910/citizen_judge_death_penalty01.html
髪飾り 玉簪 うのはら(ウノハラ)
http://www.unohara.jp/shopping/index.php?type=2
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html