真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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松代大本営 三角兵舎 崔小岩の証言

2008年09月02日 | 国際・政治
 「『松代大本営と崔小岩』松代大本営を語り続けて逝ったある朝鮮人の証言」(松代大本営の保存をすすめる会編)によると、崔小岩(チェ・ソアム)さんは、戦後も松代町に住み、朝鮮人の強制労働なしには考えられない松代大本営の巨大地下壕建設工事について語り続ける唯一の証人だったという。彼は、小学校に行くことさえできず、16才で慶尚南道陜川郡伽倻面伊川里を離れた。そして、日本各地の土木工事にたずさわり、松代に移り住んだ作業員であった。文章として残された証言と異なり、彼の語る言葉そのままの証言は、よく理解できない部分も多い。しかし彼の証言からは、再び戦争を繰り返さないために、曖昧な記憶や薄れつつある記憶をたどり、正直に事実を語り伝えようとする姿勢が伝わってくる。また、「私は日本が好きです。妻も日本人、悪いのは軍隊・戦争」という言葉に象徴されるように思い出すのも辛い経験を、人間としての優しさを持って語る、彼の人柄が感じられる。
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          2 食べる物も着る物もない飯場生活

 
三角兵舎の飯場【証言 1991年2月16日】
──飯場の建物もやっぱり違うんですか、松代の方は。それまでの塩釜あたりの飯場とくらべて。
 崔  塩釜みたいとぜんぜん違いますね。私たちは、その他でいってるときなんか、自分たちが家建てますよ。山、行ってね。下から材料上げてもらったり、建てるのみんな自分で建てたり、板、打ちつけるのに自分でやったり、これ自分たちでやったから。
 えらいここみたいに、三角とかはなかったですね。三角のとこ入ったのはここ初めて。


・・・

 雨や雪が部屋まで吹き込む【証言 1976年8月16日】
──飯場の造りなんかは、2種類あったようですね。……三角兵舎っていう。
 崔  そうですね。ちょうどこういうふうになりまして、屋根かけて、たての壁みたいのない。板でぶっつけたり。……雨でも降れば、部屋の中へ雨吹き込んでくるような状態で。


  【証言 1987年8月31日】
 崔  そんでまあ、飯場だってみんなすき間だらけで、その、冬でも、雪でも降ったりするとね、すき間からみんな雪入ってきて、その、布団の先っちょなんかみんな真っ白になって。それだから、夜なんか本当にもう眠られないんです。人間っていうものは、足が冷たけりゃあ眠られないんです。


  【証言 1976年8月16日】
 崔  こういう(三角の)屋根にしちゃって、下なんかベトすれすれにもってきちゃうから。ただ、真ん中通路になっていて、両方に人寝るようになってる。頭合わせてね。真ん中の通路は1メートルあったかな。ないかもしれない。こっちで伸ばせば、足むこうへ届くんだから。


 暖房もないワラ布団生活【証言 1976年8月16日】
──飯場の中、暖房なんかなかったんですか。
 崔  暖房どころじゃない。布団だって、みん、なかワラだよ。ワラでもいいのあればいいけど、破けちゃって、ワラがぼろぼろ出てきちゃって、部屋の中だか、豚の小屋だかわからない。ワラのくずでもって。(掛け布団の)綿だっていまの綿じゃなくて、昔の、黒いような。あんなもの入れたって、1日2日はいいですよ。3日4日かぶれば、みんなはじっこへ寄って玉みたいになっちゃう


 【証言 1987年8月31日】
 崔  飯場、その飯場の中の仕事が、寝泊まりが、これ、いちばんせつなかったですね。だって、敷き布団がワラです。ワラね。そいで、掛け布団……、その、あれ、なんていう綿っつうんですか。あれね、二月に一回は取り替えてくれるの。それ1日はもつんだ。けど、2日目なんかね、布団はみんなワラ、みんなボロボロ、ボロボロ、みんな切れちゃって、あっちでスースー、こっちでスースー。みんなこうやって玉になっちゃって、おなか掛けるとこなんか、布1枚だけ。頭なんて、なんにもねえ。
 そいだから、もう、何ていうんですか、しもやけっていうんですか、なんていうの、この辺でも、かわいらしいのあるじゃないですか。あれはまあ、いちばん飯場の中じゃあせつなかったですね。


 錠前かっちゃう 【証言 1976年8月16日】
 崔  夜寝てれば、野郎ども、たまに入ってきて……。みな仕事くたびれて帰ってくるでしょう。若い者なんか、寒いあったかい言ってらんない。眠いのが先だね。目覚めれば寒いとわかってるけど、本当に眠っちゃえば、寒いかわからない。……それでスーッと回ってくる。私たち知っているから、野郎また来やがったなと思って、寝たふりしてる。回ってきて、行くときは錠前かっちゃう。
──それじゃ便所へも行けない?
 崔  便所に行くときは声かけて。ただ、われわれが行くには、出ていっても……いちばんここへ来て長いから、……徴用で来たんじゃないからね、顔見ればわかるんだけど。今度ほかの徴用で来た若者なんか、夜中にふっと起きて、出ていったもんなら……、なんでもなけりゃいいんだけど、もし運悪く、回っているのに当たれば、そこでひどい目にあうんだ(注─リンチを受ける)。
──徴用の飯場と、棟はすこしずれていたのですか。
 崔  全部一緒に寝かすんですよ。寝かして、寝る人間に責任を持たすわけだ。お前、この人間逃げたら、お前もひどい目にあうぞ、と、こうなってくるわけだ。だからみんな警戒しちゃうわけだ。みんなが見張りみたいになっちゃうわけですよ。だから、逃げたくったって逃げられない。


 夜も見回りされる【証言 1987年8月31日】
 崔  飯場の生活ってものは、われわれ、なんか詳しい生活ってものを、これ知らないんです。知ることできないですよ。何でだってば、朝早くなら朝早く、出てっちまう。ぎりぎりまで帰ってこない。もう飯場なんか入ったって、その夜なら夜、布団なかは入ってっちゃ、その布団なか入ればグー。いまみたいになんかやるとか、何かやるとき、そんな話をやるってことできないですよ。なんしろもう、布団んなか入っちゃうから。おとなしく寝なけりゃ、みんな見回りして歩いてるんだから。
 つまらない話やったもんなら、「ちょっと、お前来い」なんてことになっちゃう。そいで、話しても、それこそ小さい声で、本当に外に聞こえないくらいの話する。
 まあ、堂々ともう朝だってこと、どうやってとか、ある仕事面白くないとか、うーん、なんか、こういう話っつのは、もう絶対だめだね。あとはもう、まあ、内緒の話ってもんは、こりゃ絶対秘密でだめだし。えらい個人的に、ああ、向こうの飯場へ行って、ちょっと休んでくるか、ってなことはなかった。ちょこちょこ歩くってこともいけないんだ。まあ、飯場はちょうど
ブタバコと同じなんですよねえ。

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