真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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陸軍登戸研究所 電波兵器「怪力線」の研究

2008年11月14日 | 国際・政治
 「陸軍登戸研究所の真実」元陸軍登戸研究所所員 伴繁雄(芙蓉書房出版)には著者の浜松高等工業高校の後輩で、昭和10年から終戦まで電波研究に携わった「山田愿蔵の手記」が紹介されている。そのごく一部を抜粋する。
 同書には、このほか、登戸研究所2科6班の植物謀略兵器の研究、「松川仁の手記」や、2科7班の動物謀略兵器の研究、「久葉昇の手記」なども紹介されており、731部隊や100部隊との研究協力や任務分担にも触れている。さらに、秘密インキや秘密通信用紙、自然発火アンプルや缶詰爆弾など破壊・放火謀略器材、憲兵用装備器材など多方面にわたる研究がなされていた事実が明かされている。
 「あとがきにかえて 伴和子」に著者の「平和への思い」が読み取れる。
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第5章 電波兵器の研究

   「山田愿蔵の手記」


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 「く」号は、戦局を一挙に絶対優位に導く極秘兵器、つまり決戦兵器として研究に莫大な予算がつぎ込まれたが、結果は期待に反し、兵器としてはついに実用化を見なかった。戦後、登戸研究所について、いくつかの雑誌記事や書籍が出されたが、「く」号研究については、わずかの記事しかない。ここで、50年前の記憶を頼りに、強く印象に残っていることを主に書き残すこととした。

 ・・・

 昭和11年12月3日付の「陸軍科学研究所第72号」で決定した研究項目は、次のとおりであった。
 
 科く号電波ニ関スル研究/大阪帝国大学教授八木秀次
  科く号放射線ニ関スル研究/大阪帝国大学教授八木秀次 同菊地正士
  科く号衝撃波ニ関スル研究/航空研究所所員 抜山大三
  科ら号ニ関スル研究/京都帝国大学教授鳥養利三郎、同助教授林重憲
  科き号ニ関スル研究/航空研究所所員 抜山大三
 このうち、
「く」号が、殺人光線とも呼ばれた「くわいりき(怪力)線」である。当初、怪力線の研究は電波と、衝撃波、サイクロトロンを使った放射線の三種で進められた。だが、あとの2つは間もなく中止され、強力超短波を使った研究が研究途中の副産物を期待されたこともあり、最終目標として終戦まで継続された。

・・・

 情勢はさらに悪化し、B29が本土に来襲するようになった。昭和20年春から登戸研究所は長野県各地と兵庫県下に分散して疎開移転することになった。
 長野県北安曇郡有明村(現穂高町)の北安曇分室に移った。「く」号研究グループは、80センチ波(375メガヘルツ)、1000キロワットの強力電波で、超低空で飛来するB29のエンジンをストップさせることを目的に研究を急いだ。安曇野の北にある送電線から大電力を得、実戦を兼ねて実際に飛行機に対して効果をみよう、ということだった。もし敵が本土に上陸しても最後まで研究を続ける決意だったのである。直径10メートルの反射鏡も、終戦直前には完成したが、ついに一度も使用することがないまま、敗戦をむかえてしまった。



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