軍隊内部の秩序や規律を維持することが任務の憲兵が、なぜ,、民間人に対して「泣く子も黙る」といわれるほどの権力を持ち得たのか。特に東条が陸軍大臣や首相在任中、憲兵の権限が絶大であったのはなぜなのか。「続・現代史資料(6)軍事警察ー憲兵と軍法会議」(みすず書房)の資料解説に、その「答」ともいえる貴重な証言がある。
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資料解説
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陸軍大臣・宇垣一成の述べた「軍事警察の主眼」「憲兵活動ノ日常ノ執務ノ基礎」の実務を担う憲兵はどう自覚していたか。日中戦争下、歩兵上等兵から憲兵上等兵になり憲兵曹長〔下士官の最上位〕で終戦をむかえた井上源吉氏は次のように記している。
憲兵は1人1人が個々に陸軍大臣に直属し、他兵科とはその制度において一線を画していた。憲兵伍長以上はすべて陸軍司法警察官という身分をもち、独立して捜査権を執行する権限をあたえられていた。したがって、、軍隊としての統制上の階級はあるものの、司法警察官という権限においては、将校下士官を問わずすべて同格ということになっていた。また憲兵は、必要ならば陸軍のみならず海軍にまで捜査権を行使することができた。戦時中は内務省警察や外務省に属する領事警察にいたるまで指揮下に入れ、対戦国の国民にまで警察権を執行した。もちろんこのように絶大な権力をもつ兵力を無制限に増強することは、弾圧政策に利用されたり、あるいは革命の原動力となる危険が潜在していた。そのため昭和12年の前半までは日本全軍の憲兵兵力は999名以内と定員を制限されていたのである。
陸軍大臣に直属した憲兵は、さきに紹介した明治33年の通達のたてまえなどは日中戦争の時代になると完全に吹きとんでいた。さらに、軍隊内ではどうであったか。これを『戦地憲兵』でみてみると──。
昭和13年4月7日、徐州会戦に参加、上海に帰還した百一師団、それは「前線帰りの将兵は、軍規がみだれ気があらく行動が粗暴で、何かにつけて住民とのあいだでいざこざをおこした」が、師団の先陣として帰還した大隊は、「中国人豪商の邸宅を無断で占領し、大隊本部として使用しようとした。」これを「中止されるための使者として」派遣された井上憲兵上等兵と大隊長とのやりとりを紹介する。
応対に出た大隊副官は、私が階級の低い上等兵であるためか、最初から傲慢な態度で、私の申し入れをぜんぜん相手にはしなかった。そこへ出てきた大隊長は、「おいこら憲兵上等兵、なにをくだらんことをいっとるか、この町はもともとわれわれが占領した町だ、われわれがどこを使おうと貴様の指図は受けん。帰って分隊長にいっておけ」とどなった。
私はやむなく最後の切り札である伝家の宝刀を抜くことにした。「気をつけ! 陸軍憲兵上等兵井上源吉はただいまから天皇陛下の命により大島大隊に対しこの家屋の明け渡しを命令する」とやってしまった。彼は「俺は陸軍少佐だぞ。貴様、上等兵のぶんざいで俺に命令するのか」と反論したものの、状況の不利をさとったのか急に態度をあらため「明日、さっそく憲兵隊へあいさつに行く、分隊長によろしくいっておいてくれ」といった。
ここにはいくつかの問題が示されている。上等兵と大隊長・少佐との軍隊の階級差、それに伴う権限の実感は、体験した者には説明の要はないが、表現できないほど大きかった。しいて現在にあてはめれば、官庁の受付氏と局の総務課長との差、それでも精神的抑圧感は決定的に異なる。軍隊で上等兵が大隊長に直接口がきけるのは、当番兵に任命された時ぐらいである。にもかかわらず右のような階級差を超えた行動を憲兵上等兵がとれたのも、憲兵は陸軍大臣に直属していると解釈可能な「陸軍省官制」の規定、さらに大事なのは、憲兵実務の法的根拠である「憲兵令」が勅令で公布されていること、そして大隊長にも、ここから発出する統帥権への絶対服従が矢張り心の中にあったことである。軍隊内における憲兵の権限の強さを、これほど具体的に物語るものはない。と同時に、「天皇陛下の命により」と発言して上等兵が少佐を屈伏させうる憲兵は、板倉憲兵大尉が指摘するように「〔上官への〕絶対服従関係を引用して刑責を免るる事は憲兵たる職責上断じて許されない」のであり、各憲兵は個人、個人が結果責任を負わねばならぬ独立した統帥権の行使者であったのである。したがって、ある状況や雰囲気に、まして条例など法に仮託した免責されえない存在だったことである。
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…軍の秩序を維持し、軍人軍属の非違を糺すため設置された軍事警察は、最終の段階では全く反対の機能をいとなむ場合が少なくなかった。
・・・(以下略)
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参考
「憲兵令 第一条 憲兵ハ陸軍大臣ノ管轄ニ属シ主トシテ軍事警察ヲ掌リ兼テ行政警察、司法警察ヲ掌ル」
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。赤字は特に記憶したい部分です。「・・・」は、段落全体の省略を「……」は、文の一部省略を示します。
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資料解説
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陸軍大臣・宇垣一成の述べた「軍事警察の主眼」「憲兵活動ノ日常ノ執務ノ基礎」の実務を担う憲兵はどう自覚していたか。日中戦争下、歩兵上等兵から憲兵上等兵になり憲兵曹長〔下士官の最上位〕で終戦をむかえた井上源吉氏は次のように記している。
憲兵は1人1人が個々に陸軍大臣に直属し、他兵科とはその制度において一線を画していた。憲兵伍長以上はすべて陸軍司法警察官という身分をもち、独立して捜査権を執行する権限をあたえられていた。したがって、、軍隊としての統制上の階級はあるものの、司法警察官という権限においては、将校下士官を問わずすべて同格ということになっていた。また憲兵は、必要ならば陸軍のみならず海軍にまで捜査権を行使することができた。戦時中は内務省警察や外務省に属する領事警察にいたるまで指揮下に入れ、対戦国の国民にまで警察権を執行した。もちろんこのように絶大な権力をもつ兵力を無制限に増強することは、弾圧政策に利用されたり、あるいは革命の原動力となる危険が潜在していた。そのため昭和12年の前半までは日本全軍の憲兵兵力は999名以内と定員を制限されていたのである。
陸軍大臣に直属した憲兵は、さきに紹介した明治33年の通達のたてまえなどは日中戦争の時代になると完全に吹きとんでいた。さらに、軍隊内ではどうであったか。これを『戦地憲兵』でみてみると──。
昭和13年4月7日、徐州会戦に参加、上海に帰還した百一師団、それは「前線帰りの将兵は、軍規がみだれ気があらく行動が粗暴で、何かにつけて住民とのあいだでいざこざをおこした」が、師団の先陣として帰還した大隊は、「中国人豪商の邸宅を無断で占領し、大隊本部として使用しようとした。」これを「中止されるための使者として」派遣された井上憲兵上等兵と大隊長とのやりとりを紹介する。
応対に出た大隊副官は、私が階級の低い上等兵であるためか、最初から傲慢な態度で、私の申し入れをぜんぜん相手にはしなかった。そこへ出てきた大隊長は、「おいこら憲兵上等兵、なにをくだらんことをいっとるか、この町はもともとわれわれが占領した町だ、われわれがどこを使おうと貴様の指図は受けん。帰って分隊長にいっておけ」とどなった。
私はやむなく最後の切り札である伝家の宝刀を抜くことにした。「気をつけ! 陸軍憲兵上等兵井上源吉はただいまから天皇陛下の命により大島大隊に対しこの家屋の明け渡しを命令する」とやってしまった。彼は「俺は陸軍少佐だぞ。貴様、上等兵のぶんざいで俺に命令するのか」と反論したものの、状況の不利をさとったのか急に態度をあらため「明日、さっそく憲兵隊へあいさつに行く、分隊長によろしくいっておいてくれ」といった。
ここにはいくつかの問題が示されている。上等兵と大隊長・少佐との軍隊の階級差、それに伴う権限の実感は、体験した者には説明の要はないが、表現できないほど大きかった。しいて現在にあてはめれば、官庁の受付氏と局の総務課長との差、それでも精神的抑圧感は決定的に異なる。軍隊で上等兵が大隊長に直接口がきけるのは、当番兵に任命された時ぐらいである。にもかかわらず右のような階級差を超えた行動を憲兵上等兵がとれたのも、憲兵は陸軍大臣に直属していると解釈可能な「陸軍省官制」の規定、さらに大事なのは、憲兵実務の法的根拠である「憲兵令」が勅令で公布されていること、そして大隊長にも、ここから発出する統帥権への絶対服従が矢張り心の中にあったことである。軍隊内における憲兵の権限の強さを、これほど具体的に物語るものはない。と同時に、「天皇陛下の命により」と発言して上等兵が少佐を屈伏させうる憲兵は、板倉憲兵大尉が指摘するように「〔上官への〕絶対服従関係を引用して刑責を免るる事は憲兵たる職責上断じて許されない」のであり、各憲兵は個人、個人が結果責任を負わねばならぬ独立した統帥権の行使者であったのである。したがって、ある状況や雰囲気に、まして条例など法に仮託した免責されえない存在だったことである。
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…軍の秩序を維持し、軍人軍属の非違を糺すため設置された軍事警察は、最終の段階では全く反対の機能をいとなむ場合が少なくなかった。
・・・(以下略)
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参考
「憲兵令 第一条 憲兵ハ陸軍大臣ノ管轄ニ属シ主トシテ軍事警察ヲ掌リ兼テ行政警察、司法警察ヲ掌ル」
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。赤字は特に記憶したい部分です。「・・・」は、段落全体の省略を「……」は、文の一部省略を示します。