真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

HPは hide20.web.fc2.com
ツイッターは HAYASHISYUNREI

憲兵と東条独裁体制

2011年08月09日 | 国際・政治
 憲兵は、本来、軍人・軍属を対象とし、軍隊内部の非行・問題行動を摘発・監視することによって、軍の秩序や規律を維持するのが任務である。しかしながら、軍の勢力が台頭し、軍が政治権力を振るい始める満州事変前後から、憲兵はその司法警察権を行使して、任務の対象を軍隊外部へ広げていったようである。
 「細川日記」(中公文庫)の著者細川護貞も、その「あとがき」で「…然し、その後、発表された当時の多くの人の日記や記録を見ると、どれもこれも大なり小なりに群盲象を撫でるの類であることを悟った。それもその筈で、これだけ大きな、且つ複雑な事件を、すべて把握していた者は恐らく生きた人間には居なかったであろうと思うようになった。しかも、私などの場合でも、誰が同志で、誰が敵かは、容易に判断しかねたのであった。うかつに話が出来ないというのが当時の実情であった。更に悪いことには、吾々の周辺には常に憲兵の目が光っていた。一歩誤れば、私自身が拘引されることは勿論、累を多くの人々に及ぼさぬとも限らない。このような情勢下では、人の心も正常たらんとしても、知らず知らずの内に歪みを免れないものである。私の考えが偏ったとしても、又、敵視すべからざる人を敵視したとしても、それはそれなりに止むを得なかったと思っている」と書いている。戦時体制が強化されるにつれて、憲兵の任務の範囲や権限が拡大され、組織が強化されるとともに、東条がその政敵や反対者の行動を封殺するため、憲兵を暴力手段として私的に利用した結果であろうと思われる。

 「東条は、関東軍憲兵隊長の時に覚えた憲兵の味が忘れられず、政治問題が起こると、常に憲兵の威力をもって解決しようとする悪癖があった」とか「東条は、憲兵万能の権力主義者であった」などと指摘したのは、元関東軍参謀田中隆吉であるが、東条が陸軍大臣や総理大臣であった時、憲兵が不当に権力を行使し、あたかも思想犯を取り締まる秘密警察のごとき活動を展開した事実をみるとうなずける。ここでは、「細川日記」細川護貞(中公文庫)から、憲兵に関わる記述のいくつかを抜粋する。忘れてはならない先の大戦の一面であると思う。
---------------------------------
5月15日

 去る12日、常田健次郎氏の招きにより、岡崎鶴家にて松下幸之助、木舎幾三郎及び水谷川男
(水谷川忠麿男爵)と会食。その席上水谷川男の話に、東京は再び憲兵政治始まり、既に大達前内相は挙げられ、原田熊雄男(原田熊雄男爵)は4度尋問を受けたりと。是如何なる方面の意図なるか。梅津か阿南か、要するに末期的現象なり。或いは独の降伏によりて、「軍」が神経過敏となりたるか。

 ・・・(以下略)
---------------------------------
5月24日

 去る16日上京。18日午前、富田氏
(第2次・第3次近衛内閣書記官長)を平塚に訪問す。平塚駅より徒歩にて向ふ途中、酒井中将に邂逅、中将も亦富田氏を訪問さるる由同行す。案内を請へば既に先客あり、河相達夫氏なり。4人昼食を共にしつつ種々時局談あり。河相氏は、公の蹶起を促す由を説き、公側近者、殊に小畑、石原、両中将の和解を説き、且つ自信ありと述ぶ。河相氏先づ暇を告げ、酒井氏之に続く。余は残つて吉田茂氏等の事件を聞く。

 憲兵に挙げられたるは、吉田茂、殖田俊吉、馬場恒吾、岩淵辰雄等の諸氏にして、原田男は自邸にて4日間の取調べを受け、且つ家宅捜索を受け、樺山愛輔伯も亦家宅捜索を受けたりと。その主謀は東京憲兵隊の高坂某にして、東条系に属し居り、目的とする所は、是等諸氏を尋問することにより、和平運動の証拠を発見し、ひいて近衛公を陥入れんとしたるものの如く、原田男に対しても近衛公の上奏文の内容をしきりと問ひ訊し、又小畑中将も一二尋問せられたるも、その際も、しきりに上記の内容をさぐらんとせり。然し乍ら、和平運動なるもの存在せず、且つ何等証拠となるべき物品の発見なかりし為、単に吉田茂氏軍誹謗の罪に陥入んとしつつあり。又憲兵隊内部の事情を見るに、高坂某は東条との連係あり、且つ軍の内部にも、一部近衛系を弾圧すべしとの気風あるを以て、自己の利益の為此の挙に出でたるものの如きも、その上層方面に意外の反響を呼びたると、何等実跡なかりし為、却つて窮境にあるものの如し。即ち吉田氏の尋問に対する態度の立派なるを賞揚する等のことあり。

 又近衛公はこのことの起こりて後数日、木戸内大臣を訪問「憲兵がしきりと上奏文の内容を求めつつあるも、如何なる意図を以て斯の如き挙に出るや、余は理解し難きを以て、阿南陸相と会見し、事の理非を問ひ質さん意向なり。余は重臣として、御上の御召しにより、率直に自己の所見を申し上げたるまでにて、その時何の御咎めもなかりしが、今憲兵によりて、その内容を調べらるるいはれなし。かくては重臣としての責を尽す能はざるを以て、此の際位階勲等一切を、拝辞する決心なり」と語りたる所、内府は、直接阿南と会ふ前に、内府が阿南と話をなすべきを以て、一応思ひ止まられたしとなだめられたりと。原田男は病中なればとて、4日間憲兵泊まり込みて取調を為したり。


 ・・・(以下略)
---------------------------------
6月11日

 ・・・
 今日午後、高村警察局長を大阪府庁に訪問、その話に、議会は多少もめ居ること。又大阪の陸軍の司令官は、「此の際食糧が全国的に不足し、且つ本土は戦場となる由、老幼者及び病弱者は皆殺す必要あり、是等と日本とが心中することは出来ぬ」との暴論を為し居たりと。又過日の空襲の際、梅田の憲兵司令は、一老婦人が空襲中窃盗を為したりとの嫌疑を以て此の婦人を駅の黒板下に繋ぎ、黒板にその由を印したりと。又この憲兵は、昨日の日曜に映画館の前に列をつくり居たる者を捉へ、強制労働を為さしめ、而して営業用のパンをパン屋より強制買上げを為し、是等労働を為したる者に分ち与へたりと。その為パン屋は営業不可能となりたる由。何れも非常識なる男なり。
 空襲後の輿論調査は、挙げて軍への不信と怨嗟の声なるも、是亦彼等自らが作りたる結果なり。又大阪にても、和平運動(実は軍誹謗)を取締まる由。
 


 http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。赤字は特に記憶したい部分です。「・・・」は段落全体の省略を「……」は、文の一部省略を示します。  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする