真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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近衛の上奏「戦争終結の御勇断を…」と天皇の拒否

2011年08月03日 | 国際・政治
 下記は、近衛が昭和20年2月14日に拝謁し、天皇に戦争終結の「御勇断」を迫った上奏の全文である。「細川日記」細川護貞=著(中公文庫)の3月4日の記述の中にある。天皇がこれを受け入れ、戦争終結を決断していれば、300万人を超える戦争犠牲者が出ることはなかった。3月10日の東京大空襲をはじめとする多くの都市無差別爆撃も、沖縄戦も、広島・長崎の原爆投下も、シベリア抑留も、満州に於ける民間人の犠牲も、戦地に於ける大勢の日本兵の餓死や病死もなかったのではないかと悔やまれるのである。

 天皇が、この上奏を斥けたのは「もう一度戦果をあげてからでないと…」という理由によってであったが、もう一度戦果をあげてから交渉に臨もうとする考え方は、当初、近衛周辺にもあったようである。ただ、戦争終結を進言した近衛も、「国体護持の立場よりすれば…」と言っていることから分かるように、日本国民の犠牲を考慮して進言したのではなかったのであり、そのことはしっかり理解しておく必要があると思う。国民の犠牲ではなく、「国体護持」が問題だったのである。
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昭和20年3月

3月4日
 昨3日、湯河原に公(近衛)を訪問。例のモロトフと佐藤と会見の電報を手交。内容は我より中立条約延期の意志を確めたるに対し、モロトフは逃げを打ちて明答せず、単に現状の維持を確約するのみ。又太平洋問題調査会の報告には、我皇室に対し極端なる論を為せるもの多くありたり。公は是を一読し、「どうも段々悪化して来た」と嘆ぜられたり。相客もありたるを以て匆々辞去。
 去る28日公より託せられたる上奏案を此処に写す。是は高松宮殿下の御覧に供する為なり。

   昭和20年2月14日拝謁上奏
 敗戦(この敗戦の言葉は言上の時危機と改められたりと)は遺憾ながら最早必至なりと存候。
 敗戦は我国体の一大瑕瑾たるべきも、英米の輿論は今日迄の所国体の変更とまでは進み居らず(勿論一部には過激論あり、又将来いかに変化するやは測知し難し)。随つて敗戦だけならば、国体上はさまで憂ふる要なしと存候。

 国体護持の立前より最も憂ふべきは、敗戦よりも敗戦に伴うて起ることあるべき共産革命に候。
 つらつら思ふに、我国内外の状勢は、今や共産革命に向かって急速度に進行しつつありと存候。
 即ち国外に於てはソ連の異常なる進出に御座候。我国民はソ連の意図を的確に把握し居らず、かの1935年人民戦線戦術、即ち二段革命戦術採用以来、殊に最近コミンテルン解散以来、赤化の危険を軽視する傾向顕著なるが、これは皮相安易なる見方と存候。

 ソ連が、窮極に於て世界赤化政策を捨てざる事は、最近欧州諸国に対する露骨なる策動により、明瞭となりつつある次第に御座候。ソ連は欧州に於て、其周辺諸国にはソビエト的政権を、爾余の諸国には少なくも親ソ容共政権を樹立せんとて、着々其工作を進め、現に大部分成功を見つつある現状に有之候。


 ユーゴーのチトー政権は、其の最典型的なる具体表現に御座候。波蘭(ポーランド)に対しては、予めソ連内に準備せる波蘭愛国者聯盟を中心に新政権を樹立し、在英亡命政権を問題とせず押し切り候。羅馬尼(ルマニア)、勃牙利(ブルガリア)、芬蘭(フィンランド)に対する休戦条件を見るに、内政不干渉の原則に立ちつつも、ヒトラー支持団体の解散を要求し、実際上ソビィエット政権に非ざれば存在し得ざる如く強要致し候。イランに対しては石油利権の要求に応ぜざるの故を以て、内閣総辞職を強要いたし候。

 瑞西(スイス)がソ連との国交開始を提議せるに対し、ソ連は瑞西政府を以て親枢軸的なりとて一蹴し、之が為外相の辞職を余儀なくせしめ候。
 米英占領下の仏蘭西(フランス)、白耳義(ベルギー)、和蘭(オランダ)に於ては、対独戦に利用せる武装蜂起団と政府との間に深刻なる闘争続けられ、是等諸国は何れも政治的危機に見舞われつつあり。而して是等武装団を指導しつつあるものは、主として共産系に御座候。

 独乙に対しては波蘭に於けると同じく、已に準備せる自由独乙委員会を中心に新政権を樹立せんとする意図あるべく、これは英米に取り、今は頭痛の種なりと存ぜられ候。
 ソ連はかくの如く欧州諸国に対し、表面は内政不干渉の立場を取るも、事実に於ては極度の内政干渉をなし、国内政治を親ソ的方向に引きずらんと致し居り候。ソ連の此の意図は、東亜に対しても亦同様にして、現に延安にはモスコウより来れる岡野(野坂参三)を中心に、日本開放聯盟組織せられ、朝鮮独立同盟、朝鮮義勇軍、台湾先鋒隊と連携、日本に呼びかけ居り候。


 かくの如き形勢より推して考ふるに、ソ連はやがて日本の内政にも干渉し来る危険十分ありと存ぜられ候。(即ち、共産党公認、共産主義者入閣──ドゴール政府、バドリオ政府に要求せし如く──治安維持法及び防共協定の廃止等々)
 翻って国内を見るに、共産革命達成のあらゆる条件日々具備せられ行く観有之候。即ち生活の窮乏、労働者発言権の増大、英米に対する敵愾心昂揚の反面たる親ソ気分、軍部内一味の革新運動、之に便乗する所謂新官僚の運動及び之を背後より操る左翼分子の暗躍等々に御座候。

 右の内特に憂慮すべきは、軍部内一味の革新運動に有之候。少壮軍人の多数は、我国体と共産主義は両立するものなりと信じ居るものの如く、軍部内革新論の基調も亦ここにありと存候。皇族方の中にも此の主張に耳傾けらるる方ありと仄聞いたし候

 職業軍人の大部分は、中以下の家庭の出身者にして、其多くは共産的主張を受け入れ易き境遇にあり、只彼等は軍隊教育に於て、国体観念丈は徹底的に叩き込まれ居るを以て、共産分子は国体と共産主義の両立論を以て彼等を引きずらんとしつつあるものに御座候。
 抑も満州事変、支那事変を起こし、之を拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは、是等軍部一味の意識的計画なりし事、今や明瞭なりと存候。満州事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名な事実に御座候。支那事変当時も、「事変は永引くがよろし、事変解決せば国内革新は出来なくなる」と公言せしは、此の一味の中心人物に御座候。
 是等軍部内一味の者の革新論の狙ひは、必ずしも共産革命に非ずとするも、これを取り巻く、一部官僚及び民間有志(これを右翼と云ふも可、左翼と云ふも可なり。所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義なり)は、意識的に共産革命に迄引きずらんとする意図を包蔵し居り、無知単純なる軍人、之に躍らされたりと見て大過なしと存候。


 此の事は過去十年間、軍部、官僚、右翼、左翼の多方面に亙り交友を有せし不肖が、最近静かに反省して到達したる結論にして、此の結論の鏡にかけて過去十年間の動きを照し見るとき、そこに思ひ当る節々頗る多きを感ずる次第に御座候。不肖は,、此の間二度まで組閣の大命を拝したるが、国内の相剋摩擦を避けんが為、出来るだけ是等革新論者の主張を探り入れて、挙国一体の実を挙げんと焦慮せる結果、彼等の背後に潜める意図を十分看取する能はざりしは、全く不明の致す所にして、何とも申訳無之、深く責任を感ずる次第に御座候。

 昨今戦局の危急を告ぐると共に、一億玉砕を叫ぶ声次第に勢いを加へつつありと存候。かかる主張をなす者は所謂右翼者流なるも、背後より之を扇動しつつあるは、之によりて国内を混乱に陥れ、遂に革命の目的を達せんとする共産分子なりと睨み居り候。
 一方に於て、徹底的英米撃滅を唱ふる反面、親ソ的空気は次第に濃厚になりつつある様に御座候。軍部の一部には、いかなる犠牲を払ひてもソ連と手を握るべしとさへ論ずる者あり、又延安との提携を考へ居る者もありとの事に御座候。


 以上の如く国の内外を通じ共産革命に進むべきあらゆる好条件が、日一日と成長致しつつあり、今後戦局益々不利ともならば、此の形勢は急速に進展可致と存候。
 戦局の前途に付き、何等か一縷でも打開の望みありと云ふならば格別なれど、敗戦必至の前提の下に論ずれば、勝利の見込なき戦争を之以上継続する事は、全く共産党の手に乗るものと存候。随って、国体護持の立場よりすれば、一日も速かに戦争終結の方途を講ずべきものなりと確信仕候。


 戦争終結に対する最大の障害は、満州事変以来、今日の事態にまで時局を推進し来りし軍部内のかの一味の存在なりと存候。彼等は已に戦争遂行の自信を失ひ居るも、今迄の面目上、飽くまで抵抗可致者と存ぜられ候。もし此の一味を一掃せずして、早急に戦争終結の手を打つ時は、右翼、左翼の民間有志此の一味と饗応して、国内に大混乱を惹起し、所期の目的を達成致し難き恐れ有之候。従って戦争を終結せんとすれば、先ず其の前提として、此の一味の一掃が肝要に御座候。此の一味さへ一掃さるれば、便乗の官僚並びに右翼、左翼の民間分子も声を潜むべく候。蓋し彼等は未だ大なる勢力を結成し居らず、軍部を利用して野望を達せんとするものに外ならざるが故に、其の本を絶てば枝葉は自ら枯るるものと存候。

 尚これは少々希望的観測かは知れず候へ共、もし是等一味が一掃せらるる時は、軍部の相貌は一変し、英米及び重慶の空気或は緩和するに非ざるか。元来英米及び重慶の目標は日本軍閥打倒にありと申し居るも、軍部の性格が変わり、その政策が改まらば、彼等としても戦争継続に付き考慮する様になりはせずやと思はれ候。それは兎も角として、此の一味を一掃し、軍部の立て直しを実行する事は、共産革命より日本を救ふ前提先決条件なれば、非常の御勇断をこそ望ましく奉存候。   以上  (公自筆和紙8枚)


 右上奏の時3点の御質問ありたることは、2月16日に記したるも念の為。一つは「梅津は、米国は我皇室を抹殺する意図なりと云ひ居るも、自分は疑問に思ふ」と仰せられ、二つは「陸海軍共敵を台湾沖に誘導するを得ば是に大損害を与へ得るを以て、其の後終結に向ふもよしと思ふ」由仰せられ、此の点極めて淡々と軍の上奏を御聴被遊様拝察したりと公の談なり。又木戸内府も「軍があんなことを申し上げるから困る」と云ひ居られし由。三には、軍の粛正につき、杉山は戦争を終結する時は、軍内部が動揺するから、自分が元帥になりて押さへると申し上げたる由にて、公は、元帥の肩書きでは押さへられまいと申し上げ、内府も笑ひたる由。而して「誰を以て粛軍するがよいかはわからぬ」と仰せあり、「三笠宮は阿南と云ふが」と仰せありたりと。公は是に対し、小畑、石原、宇垣等がある由、答へられたりと

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