真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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東条英機 独裁体制と陸軍機密費

2011年08月02日 | 国際・政治
  「細川日記」(中公文庫)の著者は細川護貞であるが、細川護貞が当時の戦局等の諸情報を集めるために要職にある多くの人物に接触し、それを日記に書き留めたのには訳がある。首相となった東条英機が、独裁体制を敷いて情報を統制したため、戦局についての正確な報告が天皇に伝わらない、と危機感を抱いた近衛文麿前首相が、天皇の弟・高松宮を通して天皇に情報を伝えようと考え、秘書官であった細川護貞に、各方面から情報を収集して高松宮に報告する任務を与えたからである。近衛文麿が細川護貞に与えた任務によって、この「細川日記」が生まれたといえる。したがって、随所で東条を論難しているが、その中からいくつかを抜粋する。

 それらは、戦局の悪化に対する責任追及や見通しの甘い作戦指導にたいする批判に止まらない。敵対者を召集して激戦地に赴任させたり、予備役に編入して活躍の機会を奪ったりしたこと、また、憲兵や特高警察を重用し、敵対者に圧力を加えたりしたこと、さらには、莫大な軍事機密費を利用しての関係者への物品供与等々であるが、下記は、それらに触れている部分である。「細川日記」細川護貞=著 (中公文庫)からの抜粋である。
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昭和19年2月7日

 午後4時、富田氏訪問。例の報告を受く。

 ・・・
 尚将軍(酒井中将)の話によれば、マーシャルは既に殆ど陥落、ブーゲンビル島は、3月迄の食糧を残すのみにて、玉砕すべきや否や協議中、ニューギニア亦2師全滅、更に救援の1師危し。ラバウルは補給の道なし。北千島には連日敵機飛来し投弾す。いづれ3月ともなれば上陸されん。又小笠原も本州も殆ど防備なければ、万一来ることあらば上陸されん。将軍は、最早万策尽きたと云はれたりと。富田氏は伊藤氏の話を引き、米国人は日本人を獣と見るを以て、或は毒ガスを使用するかも知れず、又天皇制を破壊するかも知れずと。富田氏と雑談し、昨年8月氏と軽井沢に於て話し合いたることが、はからずも今日現実に出来したるは、誠に残念なり。是と云ふも東条の責任なり。唯今日是を替へる方法も困難、且よしんばクーデターを為すも、御上(天皇)の御信任ある限り、クーデターは成功せざるかも知れず、現実の問題として、もう少し事態が悪化せざる限り、東条を退くるは不可能なるやも知れずと語り合へり。酒井中将は、かく迄なりたる上は、国体を維持するだけで充分なりとも云はれたりと。誠に悲しむべき事態なり。而も此の実情を、天聴に達する道なし。御上の聡明を蔽ひ奉り、国家をして滅亡の淵に立たしむ、彼等東条の輩、軍部は車裂きにするも尚足らざる也。
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昭和19年2月16日

 午後高松宮邸伺候。
 殿下の御帰邸御遅かりし由にて、十数分控室に御待ち申し上ぐ。今日言上申し上げたることは、2月7日の酒井中将の報告と、軍部内に於ける皇動派と統制派との、歴史的背景に就いて申し上げ、若し今日政変を為すとせば、皇道派を起用せらるる以外に道なきことを申し上ぐ。又第3には、万一此の戦が不利となりたる場合につき、殿下の御考慮を願ひ上げ、特に我国皇室の御維持については、特に御考慮願ひ度き由言上したり。殊に此の第3の問題につきては、今日迄の敵国の言論は、我皇室に言及し居る者は極めて少なきも、而しその故に安心するは早計にして、兎も角凡ゆる場合につき研究するを必要と考ふる由申し上ぐ。

 殿下は、「自分は今日の事態を以て、未だ絶望はし居らざるも、所謂絶対国防圏(小笠原よりトラック島を経て、ニューギニア西部の亀の頭の如き個所に到る線)を侵される場合は、負けと断ずるをはばからず。然れども此の如き認識は、東条を初め首脳部には、少なくも現在はなく、従つて海軍(恐らく課長級)としては、此の認識を持たしむる様努力し居る次第なり。又その時期については、マーシャルで敵は我方の手の中を見たらうから、3月の初めから4月にかけてのことだと思ふ。殊に千島並びに北海道に対しては、上陸作戦に出るであらう」との仰せなりき。余は、「古より、勝敗は兵家の常と申す諺も有之、勿論勝つことは望ましきことの第1なれど、勝つべき道が失はれたる場合は、一刻も早く、余力の充分ある中に鋒を収むるが宜敷様考へます。国家の生命の如きは永遠なるものにて、僅々一度の敗北の為、冷静なる判断を失ひて、国家を亡絶せしむるに到るが如きは、大なる誤りかとも考へます。然し乍ら今日一般には、日本本土をアッツ、キスカの如く焦土として、玉砕すべしとの議論横行致し居りまするも、夫は我国民の覚悟としては当然なること乍ら、指導者としては、永遠のことを考ふべきものと存じます」と申し上げたるに対し、殿下は、「玉砕と云ふ如きは、云ふ可くして実行不可能なり。足腰立たざるまで戦ふ如きは愚の骨頂にて、若し万一絶対国防圏を突破せらるることあらば、速かに休戦する、即ち成るべくよい負け方を考へねばならぬ」と仰せあり。東条初め戦争責任者は、恐らく最後迄政権に取りつき、責任を回避せんと努力すべく、その為かかる場合に於ても、非常に不利なる立場に立到るべきは明かにて、何卒此の絶対国防圏の考を国民にまで徹底せしめ、政府のズルズルベッタリの責任回避策を封ずる様致し度く存じます」と言上、殿下も、「自分も夫れをやりたいと思ってゐる」との御言葉あり、尚、「若し万一、皇室に累を及す如きことあれば、皇族の1人が、御上の御身替わりになればよいと思ふ」と仰せあり、粛然居住ひを正したる次第なりき。余は更に話題を転じ、「然し乍ら、此のまま敗北致すは誠に口惜しく、未だ今日に於ても、回復の希望なきにしも非ずと存じます。唯夫れには、東条内閣にては、不可能と存じますが」と申し上げたるに、前回と同様の御議論あり。「一体誰が出ればよいのか。又時期が間に合はんではないか」等の御言葉あり。又更に、「抑も国民が此の重大なる秋に当つて、自覚が足らん様に思ふがどうか」と御下問あり。余は、「夫は恐れ乍ら誤れる御観察と存じます。国民は事態を全く存じて居りません。仰せの如く此の非常の秋に当つて、呑気なるは事実でございますが、夫は知らざるが故に呑気なるわけにて、知らしむれば必ず粉骨砕身、御奉公申すと存じます。御仰せの通り、東条初め事態を楽観致し居る有様なるを以て、況や国民が楽観致すは当然と存じます」と奉答す。又辞去せんとして、マーシャル方面に御奮戦の音羽侯爵の御安否伺いたるに、「全く消息が絶えて居るからわからぬが、何万人と云ふ国民が死んで居る時に、皇族の1人が戦死されたることは、御本人及び御遺族に対しては御気の毒だが、善いことだと思ふ」と仰せありたり。誠に今日の御話には、恐れ多きことのみ多かりき。9時退下
 
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昭和19年3月13日

 午後5時、華族会館にて近衛公と面談。今夕7時高松宮邸へ伺候すべきにより、意見をたゝく。別して意見なし。
 7時、高松宮邸伺候、直に拝謁。例の酒井中将の報告を申し上げ、万一我が国が最悪の情勢に陥入りたる場合、如何なる方法によりて、此れより脱出すべきかにつき、先づ宮殿下を内閣の首班に奉戴せんとする説あり、又臣下の者を以てせんとするものあり、何れも一長一短あれど、要は軍部殊に陸軍にして、若し万一中途半端なる方策をとる場合は、効果は却つて逆となることもあるべきこと。而して今日の軍指導者に対する不信は、国の内外を問わざるを以て、全然別派を以て代置せざるべからず。而して別派とは所謂皇道派にして、人物としては、柳川、小畑あること。然れども此の皇道派に対しては、恐れ乍ら、従来とも御上の御覚え宜しからざる様、洩れ承り居るも、此の点拝聞するを得ば幸ひなること。又然らば所謂最悪の事態とは如何なる時期かと云へば、酒井氏によれば、既に今日その時期にして、一日も早く政治的解決を為すべきを云ふも、前回拝謁の時の御言葉には、トラックの線破れたる時との仰せなりしも、先般の敵の攻撃は如何なる程度に解釈すべきか。更に今日がその時期とせば、東条内閣を打倒せざるべからざるずも、東条自身は勿論、四囲の情勢は、是が更迭とは凡そ隔りたるものあり。従つて
政界の事情に通ずるものは、殆ど皆非合法のテロ以外に方法なしと申し居れり。唯一つ御上より御言葉を給はれば、最も円滑に更迭を為し得ること明瞭なれど、かかる政界の情勢を言上すべき方法なきこと、等を言上す
 ・・・(以下略)
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昭和19年5月10日

 ・・・
 又、「是は友人から聞きました話でございますが、上海辺りでは支那人が日本人と交際しますのは、結局、『お前は日本人らしくないから附き合ふのだ』と云ふことを申すと云ふことでありますが、この日本人らしいと云ふ考へ方は、無理なことを言つたり、乱暴をしたり、要するに国際社会に於て為す可からざる粗野なことをすると云ふ考へ方であつて、大陸に渡つた多くの軍人、殊に憲兵や民間人の中にもさうした者は非常に多く、従つて外人の目には、夫れが日本人であると思はれて居ると思はねばなりません。謂はば日本人全体の教養と申しますか、常識と申しますか、さう云つたものが欠けて居ると云ふことが、我国運の現状に大きな影響があつたと存じます」と言上せるも、殿下(高松宮)は、「憲兵は全く困つたものだ。最近は数も多くなるし、将校が逆に脅迫されると云ふ様なこともあつて、軍隊指揮の上からも重大な問題だ。夫れから徴兵と云ふことが、個人に対して懲罰と同様に行はれると云ふことで、是は重大なことだと思ふ」と仰せありたり。余は粛軍と云ふことを申し上げたる手前、柳川、小畑等の抱懐する方向と人事と、又その難易の度につきて言上、又柳川、小畑、酒井各将軍の性格等についても言上、殊に柳川中将が斯くなる上は唯ひたすら己を虚しうし、御上の仰せを畏むのみだと申して居りました、と言上す。殿下は「自分も全くさうだと思ふ」と仰せあり。ノートを御取り遊ばさる。かくて10時前退下。
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昭和19年9月11日

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 又氏(富田氏)は某支那浪人の仲介により、田中隆吉中将より面会を再三申し込まれ、去る31日面会されたる所、田中氏は、彼が東条に4ヶ条の忠告を──東条とは満州に於て下僚たることありしを以て、東条の性格を知悉しあり、即ち衆人の面前にては、東条はすぐ威丈高になる癖ある男なれば、個人的に密かに面会したりと──発したるに東条は全然意見を異にすることを述べ、更に考え置く様にとのことなりしも、彼の考ふるには東条と云ふ男は反対の意見の男を、必ず殺す男なれば、自らの身辺も危しと思ひ急に早発性狂気の真似をなし、千葉病院に入院、少尉の軍医にその診断書を書かしめ、遂に予備役編入せられたり。然るに今にして考ふるに、戦争は最早負けなり。而して近々陸海軍自らが手を挙げる時期となるを以て、其時近公は出でゝ時局を収拾せらるる必要あり。然れども今公が和平を云々することは、身辺危険なるを以て、出来るだけ強硬論を主張せらるべしと。誠実の意面上に顕れたりと。11時より3時迄会見し、帰途平塚駅にて将校演習より帰途の十数名の将校が、酒気を帯びたるに会し、中の知り合いを叱して、此の時局もわきまへず、白昼より酒を呑むとは何事だと大声一喝し、「自分の如きは早くやめてよかった。今に軍服等着られなくなる時がきますよ」と云ひたりと。又田中氏は次の陸相として、板垣氏を推し居たりと。
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昭和19年10月1日

 5時、海軍懇談会あり、矢牧大佐、伏下大佐、中山中佐、佐々、湯川、矢部氏等出席。中山中佐は、飛機の生産が昨年暮れより低下し居り、予定のカーブは2月頃より急に上昇すべかりしも、凡ゆる方面の努力に不拘、生産低下するは不思議なりと云ひ居れり。其他雑談にて9時散会。

 尚余は旅行中にて知らざりしも、松前重義氏は東条の為一兵卒として招集せられ、去る7月東条内閣退陣後2日に発令、熊本に入営せりと。初め星野書記官長は電気局長に向ひ、松前を辞めさせる方法なきやと云ひたるも、局長は是なしと答へたるを以て遂に招集したるなりと。海軍の計算によれば、斯くの如く
一東条の私怨を晴らさんが為、無理なる招集をしたる者72人に及べりと。正に神聖なる応召は、文字通り東条の私怨を晴らさんが為の道具となりたり。

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昭和19年10月15日

 去る13日午後4時、富田氏を訪ね、前日公に尋ねたる元老設置の件を話し、何とかして東条を重臣と為さざるよう努力せらるることを依頼す。

 5時半、寺田甚吉氏邸に近衛公、野村大将、酒井中将、富田氏と共に招かれ、食後種々の談話あり、公は対ソ接近の危険を説き、重光も同意見なるも、東郷はむしろ親ソ論者なりと云はれたる所、野村大将は、戦後は何れにせよ赤化せざるを得ざるを以て、親ソも亦一つの政策なりと云ひ、「今日我が邦ぐらゐ共産主義の徹底せる国家なし」とて笑はれたり。尤も此の調子は、事皇室のこととは離れての意味なる様思はれたり。

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 14日午前9時、吉田茂氏の永田町の邸に行く。此日松野鶴平氏の招きにて、近衛公、鳩山氏、吉田氏等と共に深川に海の猟に行く。風強き為海産組合長佐野某宅にて雑談、帰途吉田邸に公、鳩山氏と立寄り雑談の際、白根宮内次官は東条礼讃を為し居る由鳩山に語り、一体に宮内省奥向に東条礼讃あるは、附け届けが極めて巧妙なりし為なりとの話出で、例へば秩父、高松両殿下に自動車を秘かに献上し、枢密顧問官には会毎に食物、衣服等の御土産あり、中に各顧問官夫々のイニシアル入りの万年筆等も交りありたりと。又牧野伯の所には、常に今も尚贈り物ある由。鳩山氏は東条の持てる金は16億円なりと云ひたる所、公は、夫れは支那に於てさう云ひ居れり、主として阿片の密売による利益なりと。共謀者の名前迄あげられたり。余も何かの会合で、10億の政治資金を持てりと聞けり。過日の海軍懇談会の折も、昨今の東条の金遣ひの荒きことを矢牧大佐語られたり。或いは多少の誇張もあらんも、多額の金を持参し居るならん。夜金子家を問うての雑談中、故伯の病革る頃、日々百人前の寿司と、おびただしき菓子、薬品等を、東条より届けたりと。鳩山氏は、「斯の如き有様なれば東条復活の危険多し」と云はれたり。
  
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