真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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板倉憲兵大尉 組織の根幹に関わる内部告発

2011年10月01日 | 国際・政治
 「続 現代史資料(6)軍事警察ー憲兵と軍法会議ー」に板倉陸軍憲兵大尉の内部告発文書が収録されている。板倉孝憲兵大尉が、在職中に公務上知り得た機密情報を公然と暴露したものである。それも、最高幹部を含む軍司令部や憲兵組織そのものの不法行為(職権乱用や公文書偽造など)を告発しており、注目に値する。
 板倉孝憲兵大尉は宇都宮や豊橋、静岡などで憲兵分隊長を歴任した憲兵将校であったが、満州鉄嶺の憲兵分隊長の時、軍の御用商人に襲われ、正当防衛で相手を銃殺した「鉄嶺事件」が、無罪と認められたにもかかわらず、後にそのことで退職を命ぜられたため、それに大いに憤慨し、軍内部の情報を公然暴露するに至ったと思われる、ということを静岡憲兵分隊長の後任者が明かしている。
 下記は、「地頭に勝てぬ軍法会議の不備」と題して、無実の海軍出身の在郷軍人「白倉基治」を、軍関係者の不正な利益のために、罪に陥れた事実を明らかにして、板倉孝憲兵大尉が、直接陸軍大臣に非常上告を迫った一件の抜粋である。決定的な証拠が複数あり、関係者はみんな白倉基治が無実であることを知っているのに獄中生活を強いた。板倉孝は、軍人の非違を裁く軍法会議で、意図的に無実の人間を有罪にし、獄中生活を強いたことを告発していたのである。
 このほかに、板倉孝は「軍事司法権は下に徹底し 上にはご都合主義」「下士卒は泣く 上官御都合主義の弊」、「将兵忌避は やがて兵役忌避」、「時代思想に直面し やがては皇室に累を及さむ」、「現下軍部 裏面の大勢」「宇垣陸相の苦しい答弁」などと題して、軍や憲兵組織の堕落・不正・腐敗を糾弾している。軍事力を有する組織や、警察権を有し実力を行使できる組織が堕落・腐敗し、組織的に不正を行うようになったときの恐ろしさは、現在に通じるものであるだけに貴重であると思う。
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     地頭に勝てぬ
       軍法会議の不備
                                  陸軍憲兵大尉 板倉 孝
   第1 在郷軍人に関する非常上告事件
 軍法会議法を繙きその関係法条を綜合するに、軍法会議の確定判決後其の判決法律に於て罰せざる所為に対し刑を言渡し、又は相当の刑より重き刑を言い渡したることを発見したる場合は陸軍大臣は検察官をして高等軍法会議に非常上告を為さしむることになって居る。故に大臣としてこれに該当することを知得した以上は、其手続を履行すべき職務上の義務があるのである(法第10条、法第468条)
と云ふことを前提として


  1、判決謄本 
                  山梨県巨摩郡安都玉村字東井出4310番地戸主
                  サガレン州北樺太亜港曙町89番地ノ2居住
                                料理店営業
                              勲八等七級 白倉基治 
                              明治17年2月10日生
右の者に対する詐欺被告事件審理を遂ぐる処
 被告は営業広告刷込亜港案内地図を発行する為め其の広告予約者を募集するものの如く装ひ金銭を騙取せむと企て亜港在住者数十名に対し大正10年4月末日迄に裏面に広告欄を設け広告料を1等より4等までに区別して予約者の住所職業氏名等を掲載し且其の所在を表面に示したる亜港案内地図を発行して配布するに依り広告の予約をせられたしと申し詐り大正9年11月より同10年4月頃迄の間に於て数十回に亘り亜港旭川町畑木商店外29名の在住日本人を欺き広告料名義の下に合計金760円を騙収したるものなり。
 右の事実は被告の供述、亜港憲兵分隊長の被告事件具申書類理事の被告人並証人高林権次郎同伏木松太郎事実参考人佐藤千代に対する各訊問調書に徴し其証憑十分なり、之を法律に照らすに被告が連続して数十回に人を欺罔し財物を騙取したるは刑法246条1項、第55条に該当す仍て判決すること左の如し
 被告ヲ懲役1年ニ処ス
  大正11年2月20日
         サガレン州派遣軍臨時陸軍軍法会議 
                    判士長 陸軍工兵少佐    蠣 原 重 之
                     判士 陸軍歩兵大尉    小河原 浦吉                          判士 陸軍工兵大尉    嶺川 藤 太
                     理事              福 山 道 人
                     録事              佐川雄五郎
 右謄本也

   大正11年8月23日於同庁
                          陸軍録事       佐川 雄五郎
       
 これ即ち高等軍法会議に属する非常上告事件として、本論に引用する軍部代表的の一事例(項を遂ふて第2、第3と類似事件発表)であるが、此の形式的に完備せる判決文の裏面に、斯くの如き聖代の不祥事が潜んで居るとは恐らく何人も考へ及ばざる所であらう。
 併しながら覚醒子の1年有余に亘る調査の結果は、陸軍当局にして反証挙げ得ざる限り
    誤判又は捜査不備に基く過失的のものにあらずして全くの故意に出でたる  偽造行為であることが判明した。
 換言すれば詐欺罪は全然成立して居らぬと云ふことになるのである。その動かし可からざる証拠はいづれ法律論の時に発表するとして、茲に起る疑念は何が為に一在郷軍人に対して、斯くの如き職権乱用が公然と而も高級軍人多数共謀の上に敢行さるるに至ったのかと云ふことであるが、それは次に述ぶる白倉の陳述によって何人も成る程と首肯さるるであらう。


  2 受刑者の告白と境遇
 時は大正12年3月下旬頃である。覚醒子が静岡憲兵隊に在職中(静岡分隊長)のある日、彼は突然隊長に願の筋ありとて受付に刺を通じ哀訴した。その訴ふる所は要するに
 『自分は海軍出身の在郷軍人にして亜港曙町(アレクサンドロフスク)で同地料理屋組合の副会長をして居つたが、当時陸軍官憲から営業上の恨を受け、遂に身に何等の覚へなきに突然憲兵隊に拘引された。
     君は無実の罪だが天命さ、とは憲兵将校の言
 そこで極力其の無実なることを主張したけれども
 取調官 は『今回の行為が罪にならぬことは吾々も充分認めては居るが軍法官部(法務部)からの命令であるから、君には誠に気の毒ではあるけれども憲兵として如何ともすることは出来ぬ』と云ふ丈けで一向要領を得ずして軍法会議に送られた。軍法会議に於ても前同様に極力主張し、最後の判決法廷に於ては泣いて其の冤罪なることを訴へ、証拠を挙げて再調方を哀願したが更に採用されず、予定計画通りと見えてどしどし判決を言ひ渡され収禁場に送られて仕舞ふた。其の際
 収禁所長(憲兵大尉)からは『君には全く気の毒で皆同情せぬものはない位であるが、斯くなるも色々裏面に複雑な事情があったので今となっては天災と断念めるより外にあるまい』と慰められ、其の後間もなく内地への初航便で北海道の刑務所へ護送された。而してその服役間は
  軍人の暴虐と迫害が夢寝の間に往来して無念の涙咽びつつ世を呪うて1年を獄舎に暮らし
 漸く出獄をした様なものの(白倉の入獄中妻は先妻の子を残して情夫と駆け落)身に何等の覚えなくて永い獄中生活を余儀なくされた上に、嘗ては死生を賭して折角賜はつた金瑦勲章までも取り上げられ、あげ句の果は前科者として世間から爪はじきされ、唯一人として相談相手となってくれる者も無く、
  境遇上最もたよりとして居つた妻にまで愛想づかしをされた今日となつては
 何一つ此世に望みはないが、子女の前途を思ふにつけ出来得ることなれば、名誉恢復をして見たいとはかない希望から、僅かばかりであるが、父祖伝来の田畑を金にかへて運動費を作るべく帰国途中、二三陸軍官憲を訪れたが、更に取り合ってくれないので、事茲に至つては陸軍官憲に対して最後の手段に依る復讐あるのみと決心し、再びサガレンに引き返さうと上野駅にて待合せ中、ふと胸に浮んだのは被告事件当時、それとなく耳にして居つた憲兵界に於ける隊長(覚醒子)の噂である。そこで一面識も無いが最後の思ひ出に若しやとの希望を懐いて遙々哀願に及んだ』と云ふのである。
     官舎に伴ひ其無謀を諫む

 さて其陳述中の心証は職務上の体験から大体に於て真相と認め得られたので、官舎に伴い夕食を共にしながら、
 『事件は過去であり、而も服役出獄の今日、一刻を争ふ問題でもあるまい。又事件の性質上普通上告と異り受刑者の立場としては軍刑事手続き上直接の手段方法はない、全く陸軍大臣の政務に属して居るのみならず任地の憲兵将校等事情を知りつつ口を緘して何等職務上の手続きを踏まぬことから考へても、判決確定後約一年を経過の今日
 大臣 をして其の手続きを為さしむるといふことは仲々容易なことではない。此種類似事件は裏面に於てはあまり珍しくもないが、常上告とまで実現をした例はまだ耳にしたことはない位で、其の結果は多くの現役将校を刑余の人たらしめ結局は軍部の耻を社会に曝すことになるので、所管大臣としては反証をつきつけられて余儀ない立場にならぬ限りは、先づ動くまい。仮に手続きに出たとするも
 官憲 と云ふものは、それぞれ弁解の口実に就いて頗る便宜の地位におかれてるから、余程慎重の態度を執らぬと万事を徒労に帰せねばならぬ。故に時期来る迄は軽率なる行為を断じてしてはならぬ』、と説諭を加へ、今日に及んだ次第である。

  3 無罪論
 前示判決文は要するに受刑者が亜港案内地図の発行に当たり、大正10年4月末に配布すると称して大正9年11月から翌10年4月間に亘りて予約募集をしながら、其の契約を履行せずと云ふので詐欺罪名の許に懲役1年に処すと云ふに止まり、其の理由の如きは極めて簡単なものである。従つて其の判決文面に依ると、受刑者は契約履行に関しては何等の着手とも見做すべき行為もせず全くの悪意に出たるもので況や予約地図の如きは影も形もないことになって居る。


 反証物件第1

 然し事実はそうではない。別紙第1号の如き縦2尺5寸横3尺5寸と云ふ立派な而も完全な地図が一千部も判決前に出来上がって居つたのである。この証拠丈でも裁判の
 裏面 に何かいはくがありそうであるとは何人も首肯さるるであらう。

 ・・・(以下略)
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 以下反証物件2、3,4、に基づき、受刑者「白倉基治」は無実であることを事細かに証しつつ、不当判決に至る理由(料理屋二葉亭を巡る問題や偕行社玉突場の傷害事件などによって、白倉基治が軍司令部から恨まれていた事実)も明らかにしている。     
 
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