真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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「従軍慰安婦」五つの問題点(藤岡信勝)に対する異論⑦

2020年10月09日 | 国際・政治

 藤岡信勝氏が「国民の油断 歴史教科書が危ない」(PHP文庫)で、「従軍慰安婦」五つの問題点として書いた文章の”補強”として、下記の”強制連行の事実はあったのか”と題する文章を書いています。いろいろな問題があると思います。受け入れ難いです。

教科書の著者たちは、一体どういう事実をもとにしてこれを書いたのでしょうか。教科書の表現はさまざまなバリエーションがあって、「連行した」と書いているものも、「随行させた」と書いてあるのもあります。しかし、いずれにせよ強制性を示す表現になっていて、その点ではほとんど共通しています。
 あとは慰安婦たちの証言なのですが、この慰安婦たちが証言した部分についても、事実の食い違いが無数に指摘されています。
 虚偽の証言をすると偽証罪が成立するという条件の下での証言は、ただの一つも存在しません。
 しかも証言している人が同時に、当時の貯金を返せという裁判を別個にまた提訴しています。この期間にこれだけ働いて、貯金したという額を計算すると、当時の日本の大学卒業者の初任給に直して十倍の額をもらっています。その金額から戦地の慰安所というのがいかに実入りのいい仕事だったかがわかります。強制連行しなくても応募者はたくさんいたという話も納得できるのです。
 以上のことから、軍が強制連行を組織的に指示して行ったことはありえません。事実によって否定されているのです。
 私たち自由主義史観研究会のメンバーが中心になって発行している『近現代史の授業改革』(明治図書)という雑誌に、川崎にお住いの大師堂経慰さんという年配の方から、長文の投稿をいただきました。その方は戦前、朝鮮で生まれ、朝鮮総督府の役人をされていました。
 その方は「もし朝鮮で強制連行ということがあったとすれば、目撃者がたくさんいたはずだ。そして、こんどはあそこの娘が引っ張られた、こんどはこっちの娘がさらわれたという形で住民の間に動揺が起こり、暴動が起こったであろう。そういうことは、一切なかったし、聞いたこともない」と述べています。
 ということは、つまり、そういう事実はなかったのです。1945年、日本から解放された後、五十年間にわたって韓国は反日教育をやってきました。植民地統治下で、日本がいかにひどいことをやったかについて、ありとあらゆる事柄を並べて反日教育を続けてきたのです。朝鮮人の女性を強制連行し、人さらいをして連れていったということになれば、これは最も有力な反日教育の材料になるでしょう。1991年に問題になる以前に、なぜ四十七年間、正式に問題にしなかったのでしょうか。
 日本政府も強制連行の事実があったというのなら、なぜ現地に行って調べないのでしょうか。政府の調査なるものは、日本のあちこちの役所の古い文書をひっかき回しただけでなのです。韓国政府も、もし強制連行があったというのであれば、ぼう大な数の証人を見つけ出せるはずなのですが、ただの一人もいないのです。
 つまり、これは砂上の楼閣なのです。日本の運動家が朝鮮の女性に、裁判をして勝てばお金をもらえる、とたきつけて、元売春婦の人たちを利用したというのがことの真相だと思っています。

 まず、”事実の食い違いが無数に指摘されています。”というのですが、具体的な指摘はありません。証言がまったくの嘘であると断定できるような”食い違い”があるのであれば、示してほしいと思います。
 私は、誤解や記憶違いは誰にでもありうることで、たとえ細部の証言に矛盾が含まれていたとしても、証言全体を完全な嘘であると断定することはできないのではないかと思います。
 また、”偽証罪が成立するという条件の下での証言は、ただの一つも存在しません”ということで、元「従軍慰安婦」の証言をすべて否定できるものではないと思います。”偽証罪が成立するという条件の下での証言”しか受け入れないというような極論は、国際社会では通用しないと思います。

 次に、”この期間にこれだけ働いて、貯金したという額を計算すると、当時の日本の大学卒業者の初任給に直して十倍の額をもらっています。その金額から戦地の慰安所というのがいかに実入りのいい仕事だったかがわかります。強制連行しなくても応募者はたくさんいたという話も納得できるのです。”というのも、事実に反するのではないかと思います。そんな大金を受け取っていた元「従軍慰安婦」の実例が、現実にあるのでしょうか。こうした話には、具体例が示されるべきだと思います。
 私は、お金はまったく受け取らなかったとか、すべて強制的に貯金させられ、結局受け取れなかったとか、軍票で受け取ったが敗戦後、紙くずになったという証言は証言集などで目にしています。でも、藤岡氏がいわれるような”大学卒業者の初任給に直して十倍の額”を受け取ったという話は耳にしたり、目にしたことがありません。

 『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』〔(財)女性のためのアジア平和国民基金編〕のなかに、和歌山県知事が内務省警保局長に当てた「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件」という文書があります。慰安婦集めをしている人物に誘拐の容疑があるので、取り締まりを開始したというのです。
 慰安所設置を始めた当初でさえ、日本国内で、誘拐まがいの慰安婦集めがなされていたというのに、戦争の拡大によって、比較にならないくらい多数の部隊が海外に派遣され、多くの年若い慰安婦を必要するようになった大戦末期、朝鮮や台湾に”強制連行しなくても応募者はたくさんいた”という具体的根拠はあるのでしょうか。具体的根拠を示さず、こうした断定をするのは、なぜでしょうか。
 

 また同書には、群馬県知事が内務大臣や陸軍大臣に宛てた「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」という文書もあります。そこには、大内という人物が”上海軍特務機関ノ依頼ナリト称シ上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於テ酌婦稼業(醜業)ヲ為ス酌婦(慰安婦)三千人ヲ必要ナリト称シ、芸娼妓酌婦紹介業の反町方ヲ訪レ、酌婦募集方ヲ依頼シタルモ、本件ハ果シテ軍ノ依頼アルヤ否ヤ不明且公序良俗ニ反スルカ如キ募集ヲ公々然ト吹聴スルカ如キハ皇軍ノ威信ヲ失墜スルモ甚シキモノト認メ、厳重取締方所轄前橋警察署長に対シ指揮致置候條此段及申(通)報候也”とあります。公然と慰安婦の募集をするのは、公序良俗に反し、皇軍の威信を失墜するので、取り締まりを命じたという通報文書です。だから、慰安婦に関しては、募集も応募も、大っぴらにはできなかったと思います。”強制連行しなくても応募者はたくさんいたという話”は、いたはずだという藤岡氏の想像なのではないでしょうか。何万もの慰安婦を、甘言や強圧なしに集めることができたとは思えません。”強制連行しなくても応募者はたくさんいた”というのであれば、その状況を、具体例をあげて示すべきだと思います。

 さらに、大師堂経慰さんという年配の方の”もし朝鮮で強制連行ということがあったとすれば、目撃者がたくさんいたはずだ。そして、こんどはあそこの娘が引っ張られた、こんどはこっちの娘がさらわれたという形で住民の間に動揺が起こり、暴動が起こったであろう。そういうことは、一切なかったし、聞いたこともない”という投稿に関してですが、当時の日本政府や軍の慰安所設置・運営政策に対する無理解があると思います。すでに取り上げた陸軍省兵務局兵務課起案の”軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件”という文書に、下記のようにあります。
支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為、内地ニ於テ之ガ従業婦等ヲ募集スルニ当リ、故ラ(コトサラ)ニ軍部諒解等ノ名義ヲ利用シ、為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ、且(カ)ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞(オソレ)アルモノ、或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ、或ハ募集ニ任ズル者ノ人選適切ヲ欠キ、為ニ募集方法誘拐ニ類シ、警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等、注意ヲ要スルモノ少ナカラザルニ就テハ、将来是等(コレラ)ノ募集ニ当タリテハ、派遣軍ニ於テ統制シ、之ニ任ズル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ、其ノ実施ニ当リテハ、関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連繋(レンケイ)ヲ密ニシ、以テ軍ノ威信保持上、並ニ社会問題上、遺漏ナキ様配慮相成度(アイナリタク)、依命(メイニヨリ)通牒ス。
 注目すべきは、慰安婦の”募集ニ当タリテハ、派遣軍ニ於テ統制シ、之ニ任ズル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ”、住民の間に動揺が起こったり、暴動が起こったりしないように ”関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連繋(レンケイ)ヲ密ニシ、以テ軍ノ威信保持上、並ニ社会問題上、遺漏ナキ様配慮相成度(アイナリタシ)”と指示していることです。だから、人が見ている前で、強制連行をするようなバカなことをするはずがないのです。また、多くの元「従軍慰安婦」が”騙された”と証言していることも踏まえるべきだと思います。
 大師堂経慰さんという年配の方の長文の投稿によって、”そういう事実はなかったのです。”などと簡単に結論づけることができないことは明らかだと思います。

 次に、”1991年に問題になる以前に、なぜ四十七年間、正式に問題にしなかったのでしょうか。”ということですが、「従軍慰安婦」であったということを、簡単に名乗り出ることのできる状況になかったことを知るべきだと思います。名乗り出れば、再び深刻な差別を受ける恐れが強かった当時の社会状況を無視してはならないと思います。日本兵の「慰安婦」であったということが、一般的にどのように受け止められる状況にあったのかということに対する無理解があるのではないでしょうか。

 私は逆に、補償問題の根本的解決のために、日韓条約締結の際に、なぜこの問題を日本側が取り上げなかったのかと思います。
 国連人権委員会特別報告者のマクドゥーガルは、その報告書の附属文書で、元「従軍慰安婦」の損害賠償請求権は、戦争終結後に日本政府が諸外国と締結した平和条約の締結や1965年の日韓協定第により、完全かつ最終的に解決されたと主張しているが、それは以下の点で成立しないとして、”条約が作成された時点では、強かん収容所(レイプ・キャンプ)の設置への日本の直接関与は隠されていた。これは、日本が責任を免れるためにこれらの条約を援用しようとしても、正義衡平法の原則から許されない”と指摘しています。受けとめる必要があるのではないかと思います。

 また、藤岡氏は”日本政府も強制連行の事実があったというのなら、なぜ現地に行って調べないのでしょうか。政府の調査なるものは、日本のあちこちの役所の古い文書をひっかき回しただけでなのです。”というのですが、この指摘も、事実に反するのではないかと思います。
 1993年(平成5年)8月4日、内閣官房内閣外政審議会室が公表した文書の『いわゆる従軍慰安婦問題について』の中に、下記のようにあります。政府の調査が”日本のあちこちの役所の古い文書をひっかき回しただけ”でないことがわかります。ソウルにも行っているし、沖縄において、現地調査を行ったとも記されています。

このような状況の下、政府は、平成3年12月より関係資料の調査を進めるかたわら、元軍人等関係者から幅広い聞き取り調査を行うとともに、去る7月26日から30日までの5日間、韓国ソウルにおいて、太平洋戦争犠牲者遺族会の協力も得て元従軍慰安婦の人たちから当時の状況を詳細に聴取した。また、調査の過程において、米国に担当官を派遣し、米国の公文書につき調査した他、沖縄においても、現地調査を行った。調査の具体的態様は以下の通りであり、調査の結果発見された資料の概要は別添えの通りである。

 関係者からの聞き取りは、元「従軍慰安婦」のみでなく、元軍人、元朝鮮総督府関係者、元慰安所経営者、慰安所付近の居住者、歴史研究家等なども含まれているのです。そして、参考とした国内外文書及び出版物として、韓国政府が作成した調査報告書、韓国挺身隊問題対策協議会、太平洋戦争犠牲者遺族会など関係団体が作成した元慰安婦の証言集等をあげ、日本における出版物も”そのほぼすべてを渉猟した”といいます。
 藤岡氏には、きちんと客観的事実をとらえて議論してほしいと思います。

 終戦後の1948年、スマラン慰安所事件に関するバタビア臨時軍法会議では、11人が強制連行強制売春(婦女子強制売淫)、強姦で有罪とされ、岡田慶治陸軍少佐が死刑を宣告されたといいます。また、事件で中心的役割をはたしたされる大久保朝雄陸軍大佐が、軍法会議終了前に自殺している事実も見逃すことができないと思います。

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