前稿で取り上げたベルンハイムに基づけば、「日本国紀」は、歴史の最も原初的な「物語風歴史」にあたり、”歴史的知識が科学となる”ずっと前のものであると思います。それは現在では、娯楽の対象としては認められても、社会科学の一分野としての歴史としては、認められないものだと思います。
”その国に生まれたことを誇りに思う。そして自分たちの父祖に対して尊敬の念を持つ。私たちに誇りを持つ。そのような歴史教育”を意図して、日本の歴史的事実を取捨選択し、並べ立てる歴史は、社会科学の一分野としての歴史ではないのです。
かつて日本が、日本人に”自分たちの父祖に対して尊敬の念”を持たせる神話的国体観(皇国史観)によって、戦争に突き進み、滅亡の瀬戸際に立ったことを忘れてはならないと思います。
GHQの膨大な資料の中に、「PWC-115」([PWC=Postwar Programs Committee=戦後計画委員会)の「JAPAN:FREEDOM OF WORSHIP(信仰の自由)」という文書があり、それには、「National Shinto(国家神道)」、「the nationalistic Cult(国家主義カルト)」、「danger to the peace(平和への脅威)」というような文言が並んでいるといいます<「靖国 知られざる占領下の攻防」中村直文・NHK取材班(NHK出版)>。
それで思い出すのが、天皇の「人間宣言」といわれる「官報號外 昭和21年1月1日」の 「詔書」です。その中には、下記のようにありました。
”天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念”
戦前の日本が、こうしたまさに「国家主義カルト」ともいえる観念をもって、世界を相手にするような戦争に突き進み、滅亡の瀬戸際に至ったことは、否定できない事実だと思います。
したがって、「日本の国は、非常に特殊で、一つの”王朝”が、二千年を超えて続いているわけですから。…」などといって、再び、神話に基づく”架空ナル観念”を復活させるような有本氏の考え方はいかがなものかと思います。そうした考え方では、近隣諸国はもちろん、国際社会の信頼を得ることも難しいと思います。また、歴史が、諸外国とのトラブルの原因になったり、トラブルの有利な解決のために利用されるようなことがあってはならないと思います。
「歴史は、現在と過去との対話である」 と言ったのは、歴史家、E・H・カーですが、彼の著書
「歴史とは何か」E・H・カー著:清水幾太郎訳(岩波新書)の「はしがき」で、訳者の清水幾太郎は、
”過去は、過去のゆえに問題となるのではなく、私たちが生きる現在にとっての意味ゆえに問題となるのであり、他方現在というものの意味は、孤立した現在においてではなく、過去との関係を通じてあきらかになるものである。したがって、時々刻刻、現在が未来に食い込むにつれて、過去はその姿を新しくし、その意味を変じて行く。われわれの周囲では、誰も彼も、現代の新しさを語っている。「戦後」「原子力時代」「二十世紀後半」…しかし、遺憾ながら、現代の新しさを雄弁に説く人々の、過去を見る眼が新しくなっていることは極めて稀である。過去を見る眼が新しくならない限り、現代の新しさは本当に掴めないであろう。E・H・カーの歴史哲学は、私たちを遠い過去へ連れ戻すのではなく、過去を語りながら、現在が未来に食い込んで行く、その尖端に私たちを立たせる。…”
と書いています。適確な解説ではないかと思います。私は、歴史を語る人は、「過去を見る眼」が、最新のものであってほしいと思います。
また、同書の「Ⅲ 歴史と科学と道徳」の「歴史は科学であること」の中で、E・H・カーは、
”十八世紀末といえば、世界に関する人間の知識と人間自身の生理的性質に関する人間の知識との双方に対して科学が堂々たる貢献をした時期ですが、この時期に、科学は社会に関する人間の知識をも進め得るものか否か、という問題が提起され始めたのであります。社会科学の見方、また社会科学の一つとしての歴史の見方は、十九世紀を通じて次第に発展して参りました。科学が自然の世界を研究する場合の方法が人間現象の研究に適用されることになりました。この時代の前半はニュートン的伝統が力を振っておりました。自然の世界と同じように、社会もメカニズムと考えられていました。… 次いで、ダーウィンがもう一つの科学的革命を行い、社会科学者たちは生物学からヒントを得て、社会を一つの有機体と考え始めました。けれども、ダーウィン革命の本当の重要性は、ダーウィンが歴史を科学たらしめて、ライエルが既に地質学で始めていた仕事を完成したという点にあったのです。科学はもう静的なもの、無時間的なものを取扱うのではなく、変化および発展の過程を取り扱うものとなりました。科学における進化が歴史における進歩を確かめ且つ補ったのでした。”
と書いています。そういう時代に、再び「歴史は物語である」などというのは、時代錯誤ではないかと思います。
個々の人間社会の歴史的事実の因果関係を考察したり、個々の歴史的事実を進化する諸発展全体のなかで考察したり、また逆に全体の諸発展から個々の事実を考察したりという科学的作業を行うことなしに、下記のような個人的な思いをもって歴史を語ることは、歴史学の基本を無視するものであると、私は思います。したがって、「日本国紀」は、娯楽の対象としては認められても、学校における歴史教育の対象にはなり得ないと思うのです。
下記は、『「日本国紀」の副読本』百田尚樹・有本香(産経セレクト)から、特に問題を感じた部分を、ところどころ抜萃しました。
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序章 なぜいま「日本国記」か
…ケントギルバートさんとの対談”ふとケントさんに「アメリカの歴史教育はどうなっていますか」と聞いたのです。すると、ケントさんが「アメリカの歴史教育は、それを学ぶと、子供たちの誰もがアメリカが好きになります。あめりかに生まれたことを誇りに思う、喜びに思う、そういう歴史教育です」と言われた。
それを聞いたとき、「なんと素晴らしいことか!」と思ったのです。その国に生まれたことを誇りに思う。そして自分たちの父祖に対して尊敬の念を持つ。私たちに誇りを持つ。そのような歴史教育であるべきだと思ったわけです。
しかし、日本にはそんな歴史教育も教科書もない。それがすごく残念だとおもったのですが「そうか、なければ教科書のような本を自分が書いたらいいんだ」と考えたのです。…
第一章 歴史教育とGHQの申し子
局地戦と民族の物語
有本
・・・やはり歴史とは「壮大な民族の物語」です。でも、いまある教科書や歴史の本はそれを物語として捉えていない。教科書は仕方ない部分もあるかもしれませんが、重要な何かが欠けていると思います。
慰安婦問題や南京問題では近隣諸国から日本はたびたび攻撃されますね。その都度、個々の問題に専門家の先生方が反論、反証され、ずいぶん日本も変わってきました。でも、向こうから仕掛けられた局地戦に対応するだけでは、歴史は取り戻せない。日本人の中に、自分たちの物語がないことが致命的ではないかと思うのです。相手は捏造も辞さず、はなから歴史を政治の道具にしようというわけですからね。
第二章 歴史は「物語」である
年表は歴史ではない
百田 私は小説家ですから、今回、歴史ではあっても「物語」を書きたいと思いました。そして通史を書くにあたって、いくつかの歴史教科書を読みました。またそれよりも詳しく書かれたものも読みました。それらの本を読んで気付いたことは、歴史教科書は物語ではなく、歴史の年表の解説本だったということです。
百田 歴史の本を読んでみても、表にこそなっていないけれど、結局、年表なんですよ。何年にこんなことがあった、と細かく書いてあって、また何年にあんなことがあったと書いてある。日本の歴史教育も歴史家もそうなのですが、できるだけそこに主観を交えずに、淡々と事実だけを書こうとするから、余計にそうなるのでしょう。
でも本来は「主観」が大事といいますか、別の言い方をすると、視点が大事なのです。これは誰が書いているのか、誰がこの事実を見ているのか、ということが大事です。
私は小説家ですから、物語はそれがないと書けないことを知っています。これは誰が見ているのか、つまり一人称なのか、三人称なのか、あるいはこれは神の視点なのか、というように、まず視点がどこにあるかがすごく重要なのです。
・・・
学者は怖がって「I(アイ)」を消す
百田 私はしばしばこの物語の中で断定的に書いています。見方に付いて、どこかから文句が出ても闘おうという意志があるからです。私の視点、私の主観で書いているわけで、いくつかの事実を見てこれは私はこう思うという物語なんですね。ところが編集者が、私が断定しているのに「と言われる」なんて直そうとするから、その部分をまた消したりもしました。
百田 『日本国紀』の中には、「私はこう思う」だけではなく、私の感情が随所に入っています。
百田 「怒りを感じる」と書いたところもあります。そういう意味でも前代未聞の歴史の本です。
本来、歴史を物語らなければならないのに、日本の歴史書はいつの間にか「客観がすべて」と、自己をださない、主語がない、そういう学術論文の書き下し的な本ばかりになってしまっているように思います。それだとおもしろくなるわけがない。歴史のダイナミズムを失ってしまっているのです。
繰り返しになりますが、歴史はストーリーです。いまの多くの歴史家はストーリーであることを忘れてしまっています。
通史は小説家の仕事だと思う
百田 日本は「言霊の国」で、言葉を非常に大事にするので、古今、素晴らしい作家が生まれています。ところが通史を書いた小説家はほとんどいないんですね。
百田 …ところが、残念ながら日本の通史を書くのは、学者に限られているのです。さらにひどいのは、これは教科書を見たらわかりますが、著者が十人も二十人もいたりする。なんですか、これ、と。平安時代は誰が書いた、鎌倉時代はこの人が書いた、江戸時代はこの人、とそんなことでは一つの流れにならないですよ。
寄せ集めでは物語にならない
有本 それはもちろん、それぞれの専門分野を分担されて大変なお仕事をされてとは言えるんですが、でも日本の国は、非常に特殊で、一つの”王朝”が、二千年を超えて続いているわけですから。その一つの流れということを考えると、百田さんが言われるように、一人の筆で書く必要があると思いますね。
百田 教科書が、実際どういうふうにしてできているかという細かい作業はしりません。でも、別の言い方をすると、たとえば船を設計してつくるとしますね。そのとき、最初のフォルムを作る人がいなければ駄目なのですよ。マスとは誰それが作った、スクリューはこういう人が作った、というふうにそれぞれ専門家はわかれますが、でも全体の設計図を描いた人がいないと船はできません。
家もそうですよね。外装はあなたに頼む、内装はこの人に頼むというのがあっても、最初は建築士が設計して大きな枠組みを作りますよね。
ところが、どうも日本の歴史書は、そういう大きな一本の流れをドンと誰かが作ったという形跡があまりないんですね。最初から寄せ集めなんです。
ハルキストとナオキスト
・・・
たとえば、村上春樹さんの作品の登場人物を見ていると、「あれ? この人、どこの国の人間?」「どうしたら、こんな考え方ができる人間がうまれるの?」「この主人公は、どんな両親の元で、どういう育てられ方をしたらこんなふうになるの?」と思うでしょう。でも村上さん本人にとっては「いや、それがコスモポリタン」ということなんでしょうが。
いまの日本史には怒りも悲しみも喜びもない
百田 ・・・
モンゴルの元寇がありましたよね。モンゴルは日本に「服従せよ」と言ってきたわけですが、そのとき当時の日本人は「誰が服従するか!」と思ったんですよ。「なんだ、無礼な!」「屈辱的な外交などできるか!」と怒ったんです。その怒りを、私たちが物語を書くときには、伝えなければ駄目なんですよ。
第三章 消された歴史
なぜ敗戦がたった一行なのか
百田 …
「ポツダム宣言を受諾して戦争が終った」という一文からは、民族の屈辱、怒り、悲しみ、絶望が、まったく伝わってきません。
有本 ポツダム宣言受諾に至るまでの苦悩も伝わってきませんね。ひょっとしたら国体が壊されるかもしれないという、とてつもない大きな不安が伝わらない。
自分を奴隷として売った愛国者
百田 知られていない人物も取り上げましたね。たとえば講演などで『日本国記』執筆中に、その内容を話したりしたのですが、びっくりするのが大伴部博麻という人物を、誰も知らないことですよ。「大伴部博麻を知っている人、いますか?」と600人くらいの会場で訊くと、一人か二人が手を挙げるくらいです。こんな凄い人物がこれほど知られていないのかと逆に驚きますね。
・・・
有本 実在をはっきりさせられない、とかいう理由で、体よく消されたんでしょうねえ。
ばらばらの歴史では流れが見えない
百田 …
大東亜戦争に至るまでには、第一次世界大戦からの国際状況やアメリカとの関係を見なければならないし、さらに言えば、日露戦争も大きく影響しています。そして実はペリーの黒船が来る前からの大きな流れがあるのです。大東亜戦争はそういう百年近い単位で見なければ本質が見えてこないのです。
有本 大東亜戦争はその最終局面だったわけですよね。
第五章 日本人はなぜ歴史に学べないのか
『日本国紀』の隠しテーマ
百田 …
なかでも朝鮮半島に関する歴史教科書の記述は本当にひどい。読んでいると「これは韓国の教科書?」と思われるようなものがあります。
韓国を助けるとろくなことにならない
有本 いま見てきたように、日韓関係は古代から一貫した原則があるのです。それは「韓国を助けるとろくなことにならない」ということです。問題はなぜ、日本はこの歴史に学ばないのかということです。
第六章 「負の歴史」を強調する教科書
徴用工と慰安婦問題が
有本 いまだに「一方、朝鮮・台湾の若い女性のなかには、戦地におくられた人たちがいた」と当時の事情を無視して書いている神経もすごい。「戦地に送られた」と書いていますが、「送った」のは誰かをあえてボカしています。しかし、日本軍でも日本政府でもありません。業者ですね。しかし「この女性たちは、日本軍とともに移動させられ、自分の意思で行動することはできなかった」と「日本軍」という単語を書くことで、日本が若い女性を戦地に送ったかのように印象操作しています。
独立マンセー
百田 ご丁寧に「3~4月に独立運動が起こった所」という無数の点を打った地図まで載っている。「三・一独立運動」(1919年3月1日)は単なる暴動なんですよ。韓国では「偉大な独立運動」として3月1日を国民の記念日にしていますが、本当に「独立運動」だったかは大いに疑問です。初期のデモを別にすると、後の暴動は単なる騒擾事件ですよ。逮捕された者たちは首謀者も含め非常に軽い罪でした。
第七章 ベストセラー作家の秘密
歴史の重要性
有本 …亡命政権の人たちと仲よくなったりして、あるものを見つけたのです。
中国がチベットの歴史を書き換えようと、プロパガンダのためにつくった豪華本です。「チベットの歴史をすべて振り変えることのできる事典」という触れ込みの立派な本を中国が出版したわけです。『西蔵歴史檔案薈粹』(A collection of historical archives of Tibet)というタイトルで、大判の箱入り、箔貼りの豪華なハードカバーですよ。光沢厚地の上等な紙に、写真もふんだんに掲載したオールカラーの印刷です。
「チベットは古代から中国の一部だった」と宣伝するための本なので、昔の文献や進物の類を100ほど掲載していた。中国は「チベットは中国の一部」だということを既成事実化するために、この本をあちこちに配っていたのです。
有本 …それに対してチベット亡命政権は「このままでは自分たちの歴史が書き換えられてしまう」と、反論するための本をつくろうとしました。ただし、彼らにはお金がない。そこで、わら半紙みたいな紙に刷って、中国の豪華本に対する反証本を出したのです。それに私は感動しました。その本を日本語に翻訳し、石平さんに推薦の言葉と帯の言葉をかいてもらって日本で出版しました。
そのとき私は、チベット人のしていることを日本人はなぜしないのか、できないのかと思ったのです。当時すでに慰安婦問題があり、国際社会で日本の姿は歪められていました。だけど日本人はそれに唯々諾々としていた。…
だから国を取られてしまったチベット人が、こんなに一生懸命に、自分たちの歴史だけは絶対に渡さないという覚悟で闘っているのに、豊かな日本人が歴史を奪われて平気でいるなんて、私は一体何をしているんだろうと思ったんですね。
民族の歴史を守る
有本 また、去年(平成29年)イスラエルに行ってきたのですが、ここでも違う角度から歴史の重要性を実感しました。国と民族には歴史が何よりも重要なのだということです。
イスラエルは戦後に建てられた新しい国だとも言えますが、ユダヤ人の中には古代まで遡る建国物語がある。チベットとは状況が違うけれど、イスラエルが懸命に守ろうとしているのも民族の歴史なのです。もちろん反発もありますが。
百田 …
イギリスもフランスも、連続性という意味で日本と比べたら歴史が浅いのです。つい最近できたような新しい店みたいなもの。日本は何代もさかのぼれる老舗みたいなものなのです。そのすごさを実は日本人が知らない。
有本 これは単純な日本人礼賛ではありませんし、良き歴史を眺めていい思いをしたいという娯楽ではありません。あえて個人に置き換えると、強い部分も弱い部分も含めて自分を知らない人間は、グローバル化が進む世界で勝ち抜ける人材などになれるわけがないと私は思っています。最近ではグローバル人材を育てるという、よくわからない学部や学科が全国の大学にありますが、自分が日本人であること、自分自身すらよく知らないのに、どうやって世界の人と渡り合うんですかと言いたい。