先日朝日新聞は、ウクライナのゼレンスキー大統領が、”ウクライナは、ロシア占領下にある北方領土を含む、日本の主権と領土の一体性を尊重することを確認した”と述べ、国内の関連文書に署名したこと、そして、各国にも同様の対応を求めたことを報じました。ウクライナ戦争に関わって、ロシアを悪者とし、日本の支持やさらなる支援を期待してのことだろうと思います。
その後、ゼレンスキー大統領の発言に対し、鈴木宗男参院議員が、ブログに
”ウクライナのゼレンスキー氏が7日、「ウクライナはロシアの占領下にある北方領土を含む日本の主権と領土の一体性を尊重することを確認する」と大統領令に署名したと報道されている。単純に考えれば日本を支持する立場のように見えるが、有難迷惑な話である”
と投稿したことをめぐり、ネット上で反発の声が広がったといいます。
でも私は、ゼレンスキー大統領の発言は、「有難迷惑な話」をこえる問題発言であると思います。なぜなら、北方領土の問題の背景には、沖縄返還の問題や日米安保条約、日米行政協定、日米の「密約」の問題などが深く関わっており、米ソ冷戦時代の問題を引き継ぐ重大問題だと思うからです。北方領土問題を、アメリカの関わり抜きに語ってはならないと思うのです。
「ソ連は最初北方四島は諦めていた 知られざる北方領土秘史 四島返還の鍵はアメリカにあり」戸丸廣安(第一企画出版)の3章に、「クルクル変わる米国の北方領土政策」と題して、アメリカの北方領土問題に対する本音の部分を記述しています。
”アメリカは、ニ島返還を条件に、日本がソ連と平和条約を締結しようとした時、沖縄返還の問題を持ち出し、それを認めなかった。「ダレス の脅し」である。米国の極東政策上、日本は「反ソ」でなければならず、対ソ政策で「一人歩き」することを許されなかったのである”
とあるのです。
また、「東アジア近現代通史 【7】アジア諸戦争の時代」(岩波書店)にも同じような記述がありますが、さらに踏み込んで
”米国政府が日本の「四島返還」を支持したのは、それがソ連には受け入れ不可能と解っていたからであり、四島が千島列島ではないと考えたからではなかった”
とあります。
”日本は西側陣営に確保し、共産主義陣営との和解は阻止しなければならない”
との考えに基づいていたというわけです。
「北方領土 軌跡と返還への助走」木村汎(時事通信社)には、反対にソ連の北方領土に対する「本音」といえる部分が取り上げられています。
それは、クタコーフやスターリン、ミコヤン、フルシチョフなどの言葉に共通してみられる、北方領土の軍事戦略的価値重視の論調です。
”クリール列島は、カムチャッカの南端から、北海道に至る連続的な鎖として伸びることによって、オホーツク海に鍵をかける。それは、ロシアの極東沿岸への接近を遮断する。クリール列島の地理的位置は、極東沿岸の前哨地点として最も重要な意義を与える”(クタコーフ)
”南サハリンとクリール列島は…ソ連と大洋との直接の結びつきの手段、そして日本からのわが国への攻撃に対する防衛の基地として…”(スターリン)、
”エトロフやクナシリは、小さな島々ではあるが、カムチャッカへの門戸であり、放棄しえない、日米が軍事同盟を結んでいる現状では返還を考える余裕がない”(ミコヤン)
”これらの島々(=歯舞・色丹)は、われわれにとって経済的には大した意義はないが、戦略・国防的には重大な意味がある。われわれは、自己の安全保障を配慮するのだ”(フルシチョフ)
などです。
1960年の日米安保条約改定を機に出されたソ連の池田内閣宛「対日覚書」には、”歯舞・色丹の引き渡しに日本からの全外国軍隊の撤退”という新条件が加えられたということですが、それが国際法上問題であるとしても、北方領土に対するソ連の軍事戦略的価値を考えれば、簡単に否定できるものではないだろうと思います。
1990年秋の米ソ冷戦終結宣言以降、北方領土問題にかかわる情勢は変わってきてはいるでしょうが、米ロの本音には、それほど変化はないような気がします。
だから、ゼレンスキー大統領の北方領土問題に関する発言は、ロシアを悪とし、ウクライナ戦争におけるやや中途半端な日本の支持や支援を強化したいというアメリカの思惑が背景にあるような気がします。
でも、日米同盟を強化し、アメリカの主張に沿って北方領土の返還をもとめているようでは、北方領土の返還はおぼつかないと思います。
1956年(昭和31)年に、当時のソ連と日本は北方領土の問題の解決に向けて歩み寄っていき、「56年宣言」(日ソ共同宣言)に調印し、批准していたわけですが、産経ニュースによると、プーチン大統領が、”共同経済活動をどのように平和条約締結に結びつけていくのか”などと聞かれた際に、以下のように歴史的経緯を話したことを伝えています。
”この歴史的事実は皆さん知っていることですが、このとき、この地域に関心を持つ米国の当時のダレス国務長官が日本を脅迫したわけです。もし日本が米国の利益を損なうようなことをすれば、沖縄は完全に米国の一部となるという趣旨のことを言ったわけです”
そして、その上でプーチン大統領は
”私たちは地域内のすべての国家に対して敬意をもって接するべきであり、それは米国の利益に対しても同様です”
として、北方領土問題に対してアメリカの利益が絡んでいると主張。”一番大事なのは平和条約の締結”として、最終的に日本との平和条約の締結を目指す考えを示したというのです。でも、平和条約締結への動きは、その後も、北方領土問題がネックとなって、実現には至らなかったということです。
ロシアにとっては、今もなお、「在日米軍が基地を設けるなど、ロシアの安全保障にとって脅威とならないこと」は同じなのだと思いますが、日米安保条約や日米行政協定とともに存在する「密約」がある限り、日本は独自に交渉を進めることができないのだと思います。
そして、ウクライナ戦争に関わって、日本がロシアに制裁を課すに至り、事実上北方領土問題は消滅してしまったといえるような状況になっていると思います。
下記は「検証・法治国家崩壊 砂川裁判と日米密約交渉」吉田敏浩、新原昭治、末浪靖司(創元社)から「伊達判決の衝撃(3月30日)」と「藤山・マッカーサーの二度目の密談(4月1日)」を抜萃したものですが、アメリカと結託する自民党政権が続く限り、積極的な平和外交によって、軍縮や緊張緩和が進み、米軍基地のなくなる未来はないと思わざるを得ません。
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Part1 マッカーサー大使と田中最高裁長官
伊達判決の衝撃(3月30日)
「伊達判決」は日米両政府に大きな衝撃をあたえました。両政府とも予想していなかった内容だったからです。そして「米軍駐留は憲法違反」という判決が、当時全国各地でくりひろげられていた米軍基地反対闘争や、安保条約改定反対運動を勢いづけ、ちょうどそのころ日米間で進められていた安保条約改定交渉(協議)の障害になると考えられたからです。この違憲判決がくつがえされないままだと、新安保条約の国会提出も調印もできなくなってしまいます。
砂川事件の起きた砂川町では、1955年(昭和30年)5月に、日本政府が米軍立川基地の飛行場の滑走路拡張計画と、拡張予定地の接収を町当局に通告。先祖伝来の生活基盤である土地をとりあげられたくない地元農民を中心に、激しい反対運動が巻き起こり、町議会も満場一致で反対を決議しました。拡張計画の背後には、当時、日本の米軍基地強化と軍用機のジェット機化を進めていた米軍からの強い要求がありました。
政府は日米安保条約にもとづく駐留軍用地特措法による強制収容にのりだし、1955年の秋と翌56年の秋には、警官隊を大量に動員して予定地に踏み込み、測量を強行しました。それを阻止しようとスクラムを組む農民たちと、支援にかけつけた労働組合員らや学生らを、警官隊が棍棒でなぐって排除する流血の事件も起き、千数百人にのぼる負傷者が出ました。
この反対運動は「砂川闘争」と呼ばれ、大きな注目を浴びました。農民たちを中心とする闘いの合言葉、「土地に杭を打たれても、心に杭は打たれない」も広く知られてゆきました。
当時、砂川のほかにも、山形県の大高根射撃場の拡張、山梨県の北富士演習場の拡張、群馬県の妙義山での演習場設置、千葉県の木更津飛行場拡張、愛知県の小牧飛行場拡張、米軍占領下の沖縄での基地建設にともなう土地のとりあげなど、米軍基地の拡大に対する反対運動が全国各地で広がっていたのです。
そんななか、もしも「米軍駐留は合憲」という従来の日本政府の解釈が裁判所の判決によって否定されてしまえば、日米安保の根幹が揺らぎます。それは、日米安保体制を強めてきた両政府にとって、、絶対に容認できないことでした。
もちん在日米軍基地を使用している米軍にとっても容認できません。「だから、このあと何通もご紹介するアメリカ大使館から国務長官にあてた、砂川裁判をめぐる一連の秘密公電は、「同文情報提供」扱い(同じ内容の公電をそのまま他の関係部署に送ること)の指示がされて、在日米軍司令部とその上部組織である太平洋軍司令部にも転送されていました。米軍上層部もこの問題に、なみなみならぬ関心をよせていたと考えられます。
「伊達判決」が出された3月30日、ただちにアメリカ大使館から国務長官へ、次のような「部外秘」公電が送られていました。
「伊達秋雄裁判官を裁判長とする東京地方裁判所法廷は本日、日本が日本防衛の目的で米軍の日本駐留を許している行為は『憲法第9条第二項で禁じられている陸海空軍その他の戦力保持の範疇に入るもので、日米安保条約と日米行政協定の国際的妥当性がどうであれ、国内法のもとにおいては米軍の駐留は……憲法に違反している』と宣言した。(中略)
当地の夕刊各紙はこれを大きくとりあげており、当大使館はマスメディアからさまざまな性格の異なる報道に関して数多くの問い合わせを受けている。外務省当局者と協議のあと、これらの問合わせには『日本の法廷の判決や決定に関して当大使館がコメントするのは、きわめて不適切であろう。この問題にコメントする最適の立場にあるのは日本政府だと考える』旨答えている。在日米軍司令部もマスメディアの問い合わせに同様の回答をしている。
外務省当局者がわれわれに語ったところによれば、日本政府は地裁判決を上訴するつもりであり、今夜の参院予算委員会質疑で法務大臣がそれについて言明する予定である」(同前)
なお、日米行政協定とは日米安保条約の付属協定で、1952年に調印され、日本における米軍・米軍人・軍属・それらの家族の法的地位と特権などを定めたものです。60年の安保改定にともない日米地位協定と改称されました。
すでにのべたとおり、マッカーサー大使はこのあとすぐに行動を起こしました。3月31日、閣議を1時間後にひかえた早朝、藤山外務大臣と会い、「東京地裁判決を正すことの重要性」を強調して、すみやかに最高裁に直接上告するよう、うながしたのです。表むきは、「日本の法廷の判決や決定に関して当大使館がコメントするのは、きわめて不適切であろう」とマスメディアに答えておきながら、裏ではこのように非常にすばやく介入していたわけです。
地裁などの一審判決に対して、高裁への控訴という通常の手続きを踏まず、最高裁に直接上告することを「跳躍上告」といいます。一審判決で憲法違反と判断されたリ、地方自治体の条例や規則が法律違反と判断されたりしたケースにかぎって、できることになっていますが、これはきわめて珍しいもので、「伊達判決」に対する跳躍上告がなされる以前には、尊属傷害致死事件をめぐる福岡地裁飯塚支部判決(1950年)に対する一例があるだけでした。
跳躍上告すると、通常の手続きよりも早く、最高裁での判決が得られます。マッカーサー大使が異例の跳躍上告を求めた背後には、「米軍駐留は違憲」という内容の「伊達判決」を、一日でも早く、くつがえしたいアメリカ政府と米軍の意向があったのでしょう。
こうしたマッカーサー大使の申し入れに、藤山外務大臣は「全面的に同意する」と答え、直後の閣議で跳躍上告を「承認するよううながしたい」と応じました。外国の一大使が他国の政府中枢にまで、政治的工作の手を伸ばしているのです。重大「事件」と言ってもいいでしょう。
ところが、藤山外務大臣はさして気にする風もなく、打てば響くように「全面的に同意」しています。すぐに閣議で首相や閣僚と相談して、マッカーサー大使の望む方向で対処する意向を示しているのです。
その背景については、おいおい解き明かしてゆくことにして、もう一通、アメリカ大使館から国務長官へ3月31日に送られた「秘」公電を見てみましょう。マッカーサー大使が日本の外務省当局者と、どれだけ緊密な連絡をとりあっていたかがわかります。(国務省受信同日午前9時29分、日本時間同日午後10時29分)
「今夕、外務省当局者は、日本政府が東京地裁判決を最高裁に上告するか、それともまず東京高裁に控訴するかをめぐって、いまだ結論に到達していないと知らせてきた。どちらの選択肢をとることがより望ましいかで議論の余地があるらしく、目下、法務省で緊急に検討中である。外務省当局者は、いまの状況をなるべく早くすっきりと解決することが望ましいことは十分認識している」(同前)
藤山・マッカーサーの二度目の密談(4月1日)
翌4月1日、マッカーサー大使はふたたび藤山外務大臣と密談し、その後の経過を聞き、国務長官に「秘」公電で報告しています。 → 資料②
「藤山が本日、内密に会いたいと言ってきた。藤山は、これまでの数多くの判決によって支持されてきた〔政府の〕憲法解釈が、砂川事件の上訴審でも維持されるであろうということに、日本政府は完全な確信をもっていることを、アメリカ政府に知ってもらいたいとのべた。
法務省は目下、高裁を飛びこして最高裁に跳躍上告する方法を検討中である。最高裁には300件をこえる係争中の案件がかかっているが、最高裁は本事件に最優先権をあたえるであろうことを政府は信じている。
とはいえ、藤山がのべたところによると、現在の推測では、最高裁が優先的考慮を払ったとしても、最終判決を下すまでにはやはり3ヶ月ないし4ヶ月を要するであろうということである」(新原・布川訳)
マッカーサー大使の申し入れを受けて、政府内で跳躍上告に向けた動きが進みつつあるのがわかります。早く最高裁での審理にこぎつけ、「米軍駐留は合憲」との逆転判決を得たいという日米両政府の思惑が伝わってきます。「最高裁は本事件に優先権をあたえるであろう」と、最高裁での審理が他の案件よりも優先しておこなわれることを、日本政府は計算に入れている様子です。