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真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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中村大尉事件(リットン報告書の記述)

2020年09月19日 | 国際・政治

 中村大尉事件は、万宝山事件(「吉林総領事と万宝山事件」他参照)とともに、「満洲事変」の引き金になったとされる事件です。中村震太郎大尉は、軍命により”僻遠なる一地方”満洲北部興安嶺方面で任務遂行中、下記抜粋文にあるように、屯懇軍第三団(団長関玉衡)に捕まり、部下らとともに銃殺され、遺体を焼棄されたということです。
 中村大尉は”農業技師を装いスパイ活動をしていた”とか、”軍部の威信を中外に顕揚し、満蒙問題の根本的解決の端緒たらしむる”計画的挑発行為で犠牲になったという話もあるようですが、中村大尉事件に関するリットン報告書の記述は、日本側と支那側の両方の主張をそのまま取り上げており、特に調査団としての結論は下していません。そこに、リットン調査団の謙虚で公平な姿勢が読み取れるのではないかと思います。
 それだけに、 第四章における、日本側の「匪賊を使嗾(シソウ)」に関する記述や、 第六章の日本側の調査妨害に関わるような記述は見逃すことができません。

 下記は、「リットン報告書 日支紛争に関する国際連盟調査委員会の報告」国際聯瑛協会編・外務省仮訳(角川学芸出版)の「第三章 日支両国間の満州に関する諸問題」から「七 中村大尉事件」、「第四章 1931年九月十八日当日及満洲に於て発生せる事件の概要」から「事件突発直前の事態」の一部、 「第六章 満州国」から「第三節 満州居住民の意見」の一部を抜粋しました。(旧字体は新字体に、漢数字の一部は算用数字に変更しました)
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          第三章 日支両国間の満州に関する諸問題

七 中村大尉事件
 中村大尉事件は日本側の見解によれば満州に於ける日本の権益に対し支那側が全然之を無視せる幾多の事件が遂に其の極点に達せるものなり。中村大尉は1931年盛夏の候満州の僻遠なる一地方に於て支那兵に殺害せられたり。
 中村震太郎大尉は日本現役陸軍将校にして日本政府の認めたるが如く日本陸軍の命令に依る使命を有したり。哈爾濱通過の際支那官憲は同大尉の護照(旅券)を検査せるが同大尉は農業技師と自称せり。其の際大尉は其の旅行地域は匪賊横行地域なる旨警告せられ右事実は同大尉の護照に記載せられたり。同大尉は武器を携帯し且売薬を所持し居たるが支那側に拠れば売薬中には薬用に非ざる麻薬ありたり。六月九日大尉は三名の通訳者及助手を伴ひ東支鉄道西部の伊勤克特駅を出発せり。同大尉が洮南の方向において奥地へ相当の距離にある一地点に到達せる際一行は屯懇軍第三団長関玉衡の指揮する支那兵に監禁せられたり。数日後六月二十七日頃同大尉及一行は支那兵の為に射殺せられ死体は右行為の証跡湮滅の為焼棄せられたり。
 日本側は中村大尉及其の一行の殺害は不正にして日本軍隊及国民に対する侮辱なりと主張し又在満支那官憲は事件の公式調査を遷延し事件の責任を回避し且支那官憲は事件の真相を確むる為あらゆる努力を為しつつありと称するも何等誠意なかりしと主張せり。
 支那側は当初中村大尉及一行は慣習上内地旅行の際外国人が所持すべき許可証を検査する期間中監禁せられたること、同大尉一行は厚遇せられたること及中村大尉は逃走を企てつつある際一歩哨に射殺せられたることを主張せり。支那側に拠れば中村大尉は身辺に日本軍事地図一葉及日記帳二冊を含む書類を携帯せることを発見せられたるが右は同大尉が軍事偵察若しくは特別の軍事的使命を帯びたる将校なりしことを証するものなりと云ふなり。

 七月十七日中村大尉死去の報が在齊々哈爾日本総領事の許に到達せるが同月末在奉天日本官憲は支那地方官憲に対し中村大尉が支那兵に依り殺害せられたる確実なる証拠を有する旨を通告せり。八月十七日在奉天日本軍当局は中村大尉死去の最初の報道を公表せり(1931年八月十七日「マンチュリア・デーリー・ニュース」参照)。同日林総領事及事件調査の為東京日本陸軍参謀本部より満州へ派遣せられたる森陸軍少佐は遼寧省主席臧式毅と会見せるが臧主席は即時同事件を調査す可きことを約せり。
 臧式毅主席は其の後直ちに北平の一病院に病臥中なる張学良元帥及在南京外交部長に之を通告し又二名の支那人調査員を任命し直ちに所謂殺害の現場へ赴きたり。右二名の調査員は九月三日、又日本陸軍参謀本部の為独立に調査を為しつつありし森少佐は九月四日奉天に帰還せり。同日林総領事は支那参謀長栄臻将軍を訪問し同将軍より支那調査員の判定は不確実且不満足なりしを以て再度調査の必要ある可き旨の通告に接せり。栄臻将軍は満州事態の新たなる進展に関し張学良元帥と協議の為、九月四日奉天に帰還せり。

 張学良元帥は満州に於ける事態の重大なるを知り、臧式毅主席及栄臻将軍に対し遅滞なく中村事件の現地再調査を訓令せり。張学良元帥は本事件に対し日本陸軍が多大なる関心を有することを其の日本人軍事顧問より知りたるを以て事件を有効的に解決せんと欲する意思を明らかならしむる為柴山少佐を東京に派遣せり。柴山少佐は九月十二日東京に到着したるが其の後の新聞報道に拠れば張学良元帥は中村事件の速急且公平なる結末を得んことを切望し居る旨述べたり。其の間張元帥は満州に関する諸種の日支係争問題解決のため両国に取り何等共通点ありやを確めしむる目的を以て高級官吏湯爾和を外務大臣幣原男爵と商議せしむる為特別の使命の下に東京に派遣せり。湯爾和氏は幣原男爵、南大将及他の陸軍高級武官と会談せり。九月十六日張学良元帥は新聞記者と会見せるが新聞は張学良元帥が中村事件は日本側の希望に基づき臧式毅主席及満州官憲に依り処理せられ南京政府は與からざる可き旨述べたりと報道せり。

 第二回支那調査団は中村大尉殺害の現場を視察せる後九月十六日朝帰奉せり。十八日午後日本領事は栄臻将軍を訪問せるが其の際同将軍は関玉衡団長は九月十六日中村大尉殺害の責により奉天に召還せられ即時軍法会議において裁判せらる可き旨述べたり。日本側は奉天占領後関団長が支那側により陸軍監獄に監禁せられ居る旨発表せり。在奉天林総領事は九月十二日及十三日日本外務省に対し「調査員の奉天帰還後恐らく友好的解決を見る可きこと」殊に栄臻将軍は遂に支那兵が中村大尉殺害に対し責任あることを認めたることを報告せる旨報道せられたり。日本電報通信社奉天通信員は「支那屯墾軍団の兵隊に依る日本陸軍参謀本部中村震太郎大尉の所謂殺害事件の有効的解決は近きにあり」と九月十二日電報せり。然れども幾多の日本陸軍将校、殊に土肥原大佐は中村大尉の死去に対し責任ありと称さるる関団長は奉天において監禁せられ其の軍法会議の日取りが一週間以内なる可きものとして発表せられたる事実に鑑み、中村事件の満足なる解決を図らむとする支那側努力の誠意如何に付引続き疑惑を表明せり。支那官憲は九月十八日午後開催せられたる正式会議において、在奉天日本領事官憲に対し支那兵は中村大尉の死に対し責任あることを認め又速やかに事件が外交的に解決せらる可き希望を表示せるにより中村事件解決の為の外交交渉は九月十八日夜迄は好都合に進展しつつありしが如し。

 中村事件は他の如何なる事件よりも一層日本人を憤慨せしめ遂に満州に関する日支懸案解決の為実力行使を可とするの激論を聞くに至れり。本事件自体の重大性は当時萬寶山事件、朝鮮に於ける排支暴動、日本陸軍の満州国境圖們江渡河演習並に青島に於ける日本愛国団体の活動に対し行われたる支那人の暴行等に依り日支関係が緊張し居たる際なるを以て一層増大せられたり。
 中村大尉は現役陸軍将校なりしが此の事実は強硬迅速なる軍事行動の理由として日本側により指摘せられ斯る軍事行動に好都合なる国民的感情を純化する為満州及日本国において国民大会行はれたり。九月最初の二週間中日本新聞は陸軍において問題解決の為他に方法無きを以て武力に訴えるべきことに決定せりと繰り返し述べたり。
 支那側は事件の重大性は甚だしく誇張され居る旨並に右は満州の軍事占領に対する口実とせられたる旨主張し支那側に於て事件処理上不誠意または遅延ありたりとの日本側主張を否認せり。
 斯くて1931年八月末頃迄に満州に関する日支関係は本章に記述せるが如き幾多の紛議及事件の結果著しく緊張し来れり。両国間に三百の懸案あり且此等事件を処理すべき平和的手段が当事国の一方に依り利用し尽くされたりとの主張については充分なる実証あり得ず。此等所謂「懸案」は根本的に調和し得ざる政策に基づく一層広汎なる問題より派生せる事態なりき。両国は各他方が日支協定の規定を侵害し一方的に解釈し又は無視せりと責むるも両者何れも他方に対し正当なる言分を有したり。

 両国間の此等紛争解決の為一方又は他方に依り為されたる努力に付與えられたる説明に依れば外交交渉及平和的手段の正当なる手続きに依り処理する為多少の努力が為されたることを立証せられ居るも而も右手続は未だ十分用い尽くされざりき。然るに長期に亘る支那側の調査遅延は日本側をして之を隠忍し得ざる事態に立至らしめたり。特に軍部は中村事件の即時解決を主張し十分なる賠償金を要求せり。就中帝国在郷軍人会は世論喚起に與て力ありたり。
 九月中支那問題に関する一般的感情は中村事件を焦点として頗る強大となり満州に於て幾多問題を未解決のまま放置するの政策は支那官憲をして日本を軽視せしむるに至らしめたりとの意見屡々表示せられたり。あらゆる係争問題の解決が実力に依るを必要とする場合には実力に訴ふ可しとの決議は民衆の標語となれり。右目的を以てする計画討議の為の陸軍省、参謀本部及他の官憲間の会議、必要の場合に右計画を実行せしむ可き関東軍司令官に対する確定的訓令及九月上旬東京に招致され且必要なる場合には実力に依り成る可く速やかに有らゆる懸案を解決す可しとする主張者として新聞に引用せられたる奉天駐在武官土肥原陸軍大佐等に関する記事が新聞紙上に遠慮なく掲げられたり。此等及他の団体に依り述べられたる所感に付ての新聞報道は漸増しつつありし時局の危険なる緊張を支持せり。
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    第四章 1931年九月十八日当日及満洲に於て発生せる事件の概要
 
 事件突発直前の事態
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 支那に於けると同様満洲に於ても匪賊は常に存在したりき。職業的匪賊は政府の強弱に応じ其数或は大となり或は小となりて東三省の凡ゆる地域に存し、政治的目的の為め各党派に依り用ゐられたり。支那政府は調査団に対し最近二十年又は三十年の間に日本側の手先が其の政治的目的を遂ぐる為め非常に匪賊を使嗾(シソウ)せる旨述べたる書類を提出せり。右書類には南満州鉄道出版の「1930年に於ける満洲開発に関する第二回報告」の一節引用せられあるが右に依れば附属地内に於てすら匪賊の数は1906年の九件より1929年の368件に増加したる由なり。上述支那側書類に依れば匪賊は大連及関東州よりの大規模の武器密輸入に依り奨励せられたる由。例へば有名なる馬賊頭目凌印情は昨年十一月所謂独立自衛軍組織の為武器弾薬其他供給せられたる旨述べてあり。右自衛軍は三人の日本側手先の助力に依り組織せられ且錦州攻撃を目的とせるものなり。右企が失敗せる後他の匪賊頭目が同様の目的の為日本側助力を得たるが日本製の材料と共に支那軍の手に捕はれたり。

 勿論日本官憲は満州匪賊に関し別種の見方をし居れり。日本官憲に依れば匪賊の存在は全然支那政府の無能に基くものなり。日本官憲は又張作霖は或程度迄其領土内に匪賊の存在するを支持したりと称す。何となれば作霖は非常時には匪賊は容易に兵卒に改編せられ得べしと思考したればなり。日本官憲は張学良政府及其の軍の完全なる打倒が大に満州匪賊数を増加せしめたる事実を肯定する一方日本軍が満州に在る結果二、三年間に主要匪賊は掃蕩得せら得べき旨主張す。日本官憲は満州国警察及各に於ける自衛団の組織が匪賊を消滅せしむるに役立つべきことを望み居れり。現在の匪賊の多くは元来良民にして其の財産を凡て失ひたる為め現在の職業に投ずるに至れるものと信ぜられ居れり。農工の業を再び営む機会あらば之等匪賊は従前の平和的生活に復帰すべきこと望まれ居れり。
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               第六章 「満州国」

             第三節 満州居住民の意見

 満州居住民の新「国家」に対する態度を確かむることは本委員会の目的の一なりき。然れども調査を行ひたる現地の状況に依り証拠を蒐集することに若干の困難に遭遇せり。匪賊、朝鮮人共産主義者及支那側参与員の新政権批評の為同人の同伴を憤慨すべき新「政府」の擁護者等よりの本委員会に対する実際の又は予想せられたる危険は、委員会保護の為の例外的手段を執ることとなりたる一理由と成れり。同地方の動揺せる状態に於ては確かに実際の危険が屡々存せり。而して吾人は吾人の旅行中与へられたる効果的なる保護に対して感謝するものなり。然れども斯くて執られたる警察的手段の結果は証人を近づかしめざりしことなり。而して多数の支那人は吾人の部員と会見することすら卒直に恐怖し居たり。吾人は或場所に於て、何人と雖も官の許可なくして本委員会と会見するを許されざる旨吾人の到着前に通達されたることを聞きたり。依て会見は常に甚しき困難と且秘密裡に準備せられたり。然も斯る方法に依てすら吾人と会見することは彼等にとり餘りに危険なりしを吾人に知らせたる人多かりき。
 斯る困難にも拘らず吾人は「満州国」の役人及日本国の領事館陸軍将校との公の会見の外実業家、銀行家、教育家、医師、警察官、商人及其の他との私的会見を行ふことを得たり。吾人は又千五百通以上の書面を接受したるが、其の中若干は手交せられ大多数は各宛先に郵送せられたり。斯くして得たる情報は之を中立的方面に依り出来得る限り真偽を照会せり。
 公の団体又は協会を代表する多数の代表団を接受せるが彼等は通例吾人に陳述書を提出せり。代表団の多くは日本国又は「満州国」の官憲に依り紹介せられたり。而して吾人は彼等が吾人に手交せる陳述書が予め日本側の同意を得たるものなりと信ずべき強き理由を有せり。実際若干の場合に於ては陳述書を手交したる人々が後に至り右陳述書は日本人に依り書かれ又は甚しく修正せられたるものにして彼等の真の感情を表はせるものと看做されざるべきものなることを吾人に告げたり。此等の陳述書の顕著なる特質は「満州国」政権の樹立又は維持に対する日本の参加に対しては有利にも又反対にも批評することを故意に避けたる点なり。大体に於て此等の陳述書は従前の支那政権に対する不平の叙述に関するものにして且新「国家」の将来に対する希望と信頼を表明せる文句を包含せり。

 接受したる信書は農民、小商人、都市労働者級学生より発せられたるものにして、筆者の感情及体験を述べ居れり。本委員会が六月北平に帰還せる後、此の手紙の山は特に其の為に選任したる専門委員をして翻訳、分析及配列をなさしめたり。此等千五百通の手紙は二通を除き他は凡て新「満州国政府」及日本人に対し痛烈なる敵意を示せり。此等は真摯且自発的に意見を表明したるものの如く思はれたり。
 「満州国政府」の支那人の高級官吏は種々の理由の為其の地位に在るなり。彼等の多数は曾て旧政権の官吏たりしが誘惑又は種々の脅迫に依り引留められたるものなり。彼等の或者は脅迫に依り其の地位に留まることを強制せられたること、一切の権力は日本人の手中にあること、彼等は支那に忠誠なること及彼等が日本人立会いの下に行はれたる本委員会との会見に於て述べたることは必らずしも信を置くべきものに非ざること等の趣旨の通報を吾人に為したり。若干の官吏は彼等の財産の没収を禦ぐため其の地位に留まりたり。而して斯る没収は支那本部に遁入せる官吏中の若干人の場合に事実として起りたり。他の評判良き人々は、彼等が行政を改善する権力を有するに至るべしとの希望と、彼等が自由行動権を有すべしとの日本人の約束との下に参加したり。若干の満州人は満州人種に属する人々の為に利益を得るの希望の下に参加したり。彼等の或者は失望し且真の権力が彼等に与へられざることを訴へたり。尚少数の者は旧政権に対し個人的不平を有せし爲或は利得せんが爲其の地位に在るなり。
 ・・・
 吾人は支那人の大多数が「満州国」に対し敵意あるか然らざれば無関心なることを発見すると同時に新「政府」は満州に於ける少数民族団体─蒙古人、朝鮮人、白系露人及満洲人の如き─より或支援を受け居れり。彼等は程度は異れるも孰れも旧政権の為圧迫を受け又は過去数十年間に於ける多数の
支那移民の為経済的に不利益を蒙りたり而して何れの部族も新政権に全く傾倒せるものと云ひ能わざるも新政権より従来に優れる待遇を受くべきことを予期し新政権亦此等少数民族を支援す。
 


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