私は、日本が近隣諸国の信頼を得て、よりよい日中関係や日韓関係を築くためには、過去の歴史に真摯に向き合う必要があると思っています。そして、自分自身の歴史認識をより客観的で確かなものにするために、敢えて、その主張が受け入れられないと思われる人の著作も手に取るように心がけています。
今回は、「新しい歴史教科書をつくる会」創設者として知られる、西尾幹二氏と藤岡信勝氏の「国民の油断 歴史教科書が危ない」(PHP文庫)を読みました。予想通りとても違和感を感じました。
だから、昨年も”あいちトリエンナーレ『平和の少女像』展示”で大きな問題となった、いわゆる「従軍慰安婦」の問題に焦点を当て、藤岡信勝氏があげた五つの問題点を一つ一つ抜萃し、自分の考えをまとめておきたいと思いました。
同書の”第六章 歴史的事実が確定していないことを書く「雰囲気」史観”の中に、”慰安婦を日本や日本軍糾弾の材料に──藤岡”と題して五つの問題点があげられています。その第一には、下記のようにあります。
”第一に、「従軍慰安婦」と言うけれども、そんな言葉は一体あったのかどうかという問題です。「従軍」という言葉は、戦前の軍の正式の用語として規定があって、これは軍属であることを示す用語でした。軍の正規の組織の一部なのです。だから「従軍看護婦」もいるし、「従軍記者」もいるいし、「従軍僧侶」もいました。「従軍」という言葉はそういう明確な定義のある公的な用語です。そして「従軍慰安婦」というのは当時、存在していません。
そういう事実を無視して、千田夏光という作家が『従軍慰安婦』『従軍慰安婦慶子』という本を書きました。私は後者の本で「従軍慰安婦」という言葉に最初に接したのですが、作家がつくった通俗的な言葉をあたかもそういう制度があったかのように教科書に載せるのは問題だというのが、まず第一点です。
ただし、「従軍慰安婦」という言葉をそのまま使っているのは七社中三社で、他の四社は「慰安婦」としてとか、あるいは「慰安婦として従軍させた」となっています。内容的にはほとんど同じですが、厳格に「従軍慰安婦」という言葉ではありません。世上、「従軍慰安婦」という言葉が当たり前のように使われているのが、まず根本的に問題といえましょう。”
「従軍慰安婦」という言葉には、確かにいろいろな意味で問題があると思います。でも、それは藤岡氏のいう意味においてではありません。
藤岡氏は、戦地に売春婦はいたし、娼婦はいたけれど、「従軍慰安婦」などいなかったという意味で、「従軍慰安婦」という言葉が存在しなかったことを主張されているのではないかと思いますが、いわゆる戦地の「従軍慰安婦」は、一般的に「売春婦」や「娼婦」と呼ばれる女性とは明らかに異なる存在でした。日中戦争が長引くと、軍の方針によって戦地のあちこちに「慰安所」つくられるようになりました。そして、「従軍慰安婦」という言葉の存在など関係なく、軍が管理する慰安所で、意思に反して毎日のように多数の日本の軍人に性交渉を強制された女性が存在したのです。そうした女性を「慰安所」に拘束するような状況に置いて「慰安婦」と呼び、時には軍とともに移動させたので、千田夏光氏が「従軍慰安婦」という言葉を使ったのだと思います。「従軍慰安婦」という言葉が、日本人にはもっともわかりやすく、実態を踏まえた言葉だったからではないかと思います。
でも、当然のことながら軍や政府は、戦地の「慰安所」や「慰安婦」の実態が知れ渡ることを恐れ、極秘裏に事を進めていたので、「従軍慰安婦」というような言葉は存在しなかったのではないかと思います。
「従軍慰安婦」という言葉の問題について考えなければならないのは、「従軍慰安婦」と呼ばれる女性の多くが「軍」に「従う」ことを強制されたのであり、意思に反するものであったということと、「慰安婦」という言葉は、軍人側にとっての勝手な言葉であったということです。一部の「慰安婦」が、日本兵の「慰安」という意識を持って性交渉に応じていたことは否定できませんが、大部分の女性は、その証言から強制されたことが明らかなのです。だから「慰安婦」という言葉は、性交渉を強制した側の勝手な呼び方だということです。
国連人権委員会より任命された「女性に対する暴力に関する特別報告者」のラディカ・クマラスワミ氏の報告書は、「戦時における軍事的性奴隷問題に関する朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国および日本への訪問調査に基づく報告書」と題されています。「慰安婦」ではなく「性奴隷」という言葉が使われているのです。
また、1998年8月、国連人権委員会差別防止・少数者保護小委員会で採択された「戦時性奴隷制特別報告者」ゲイ・マクドゥーガルの「武力紛争下の組織的強姦・性奴隷制および奴隷制類似慣行に関する最終報告書」の「附属文書」 には”1932年から第2次大戦終結までに、日本政府と日本帝国軍隊は、20万人を越える女性たちを強制的に、アジア全域にわたる強かん所(レイプ・センター)で性奴隷にした。これらの強かん所はふつう、「慰安所」と呼ばれた。許し難い婉曲表現である。”とあります。「慰安所」を「強かん所」であるというのです。日本人は、噛み締める必要があるのではないかと思います。
下記は、そうした慰安所の実態の一端を示す、フィリピンのイロイロ島における「慰安所使用規定」です。「従軍慰安婦資料集」吉見義明編(大月書店)に取り上げられているものです。
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比島軍政監部ビサヤ支部イロイロ出張所 慰安所(亜細亜会館 第1慰安所)規定
一、本規定ハ比島軍政監部ビサヤ支部イロイロ出張所管理地区内ニ於ケル慰安所実施ニ関スル事項ヲ規定ス
二、慰安所ノ監督指導ハ軍政監部之ヲ管掌ス
三、警備隊医官ハ衛生ニ関スル監督指導ヲ担任スルモノトス接客婦ノ検黴ハ毎週火曜日拾五時ヨリ行フ
四、本慰安所ヲ利用シ得ベキモノハ制服ヲ着用ノ軍人軍属ニ限ル
五、慰安所経管(営?)者ハ左記事項ヲ厳守スベシ
1、家屋寝具ノ清潔並日光消毒
2、洗浄消毒施設ノ完備
3、「サック」使用セサル者ノ遊興巨止
4、患婦接客禁止
5、慰安婦外出ヲ厳重取締
6、毎日入浴ノ実施
7、規定外ノ遊興拒止
8、営業者ハ毎日営業状態ヲ軍政監部ニ報告ノ事
六、慰安所ヲ利用セントスル者ハ左記事項ヲ厳守スヘシ
1、防諜ノ絶対厳守
2、慰安婦及楼主ニ対シ暴行脅迫行為ナキ事
3、料金ハ軍票トシテ前払トス
4、「サック」ヲ使用シ且洗浄ヲ確実ニ実行シ性病予防ニ万全ヲ期スコト
5、比島軍政監部ビサヤ支部イロイロ出張所長ノ許可ナクシテ慰安婦ノ連出シハ堅ク禁ズ
七、慰安婦散歩ハ毎日午前八時ヨリ午前10時マデトシ其ノ他ニアリテハ比島軍
政監部ビサヤ支部イロイロ出張所長ノ許可ヲ受クベシ尚散歩区内ハ別表1ニ依ル
八、慰安所使用ハ外出許可証(亦ハ之ニ代ベキ証明書)携帯者ニ限ル
九、営業時間及料金ハ別紙2ニ依ル
別表1 公園ヲ中心トスル赤区界ノ範囲内トス (地図略)
別表2
区分 営業時間 遊興時間 料金 第1慰安所 亜細亜会館
兵 自 9:00 至16:00 30分 1,00 1,50
下士官・軍属 自16:00 至19:00 30分 1,50 2,50
見習士官 自19:00 至24:00 1時間 3,00 6,00
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