ゆるっと読書

気ままな読書感想文

【セックスボランティア】性はやはりタブー?

2005-03-14 19:28:03 | Weblog
「セックスボランティア」
河合香織・著
新潮社

 「セックスボランティア」のテーマは、障害者の性である。
私がはじめて、障害者の性について書かれた本を読んだのは、今から10年ほど前のことだった。「障害者が愛と性を語りはじめた」(かもがわ出版)という本だったが、障害者にも性欲があり、海外には身体が不自由な人の性行為を介助する人がいることを知り、驚きを感じたことを覚えている。そして、その本を購入したときのちょっとした出来事も印象深く、記憶に残っている。

 大学生だった私は、大学生協の書店で、その本の注文書を販売員の中年女性に手渡した。書店といっても10畳ほどの狭い売り場で、注文して取り寄せた本は、売り場の奥の棚に積み上げられていた。注文した本の場合、販売員は、その奥の棚から取り出してきて会計するのが普通だった。
 販売員は、私が注文した本を探そうとして、別の販売員に声をかけた。
「ねえ、○○さん、障害者が愛と・・・」。
注文書を見ながら、本のタイトルを読みあげようとしたのだが、販売員は、途中で声をひそめてしまった。「性を語りはじめた」と読み上げることに躊躇したのだ。

それは、ちょうど女優の宮沢りえさんがヌード写真集を発売して話題になった頃の出来事だった。
「売れなくなった女優が裸で売る」のではなく、「若くてキレイなうちに裸も売る」と、時代の流れが変わったという人がいた。「カッコイイ」とか「キレイ」といってヌードを支持する女性も増えたといわれていた。そんなことが頭にあったせいか、私は、書店での出来事に「性というのは、やはりタブーなんだなぁ」と感じたことをよく覚えている。
 
 今、「セックスボランティア」を手にとった人は、何を感じているだろうか。書店の販売員は、この本のタイトルを堂々と読み上げているのだろうか。
障害者の性に対する認知は、10年前と比べて、それほど高くなってはいないだろう。
障害者の性というテーマが多くの人にとって目新しいものであるからこそ、この本が売れているのだと思う。しかし、この本をきっかけに、障害者の性について語る人が増えているなら、性はタブーとして隠蔽されるのではなく、当然のこととして受け入れられつつあるのかもしれない。
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【野ブタ。をプロデュース】 自分プロデュースは、難しい。

2005-03-09 23:37:40 | Weblog
「野ブタ。をプロデュース」
白岩玄
河出書房新社

可笑しくもないのに、笑っているフリをしたり。
興味がない話題でも、話しをあわせて、友達関係を維持したり。

そういう努力をして、人間関係を維持するのは、結構大変。
ストレスだと思う。

じゃあ、そんな努力なんて辞めてしまえばいいかというと、
そうもいかない。

大人になれば、仕事のお得意先とか、上司とか、力関係のある人
間関係を上手に維持しなくてはならないことも多い。

ただ、こういう努力が最も求められるのは、学生時代だ。
学校という空間では、付き合う人間の範囲が“学生”という狭い
範囲に限られる。

しかも、朝から晩まで長い時間拘束される。
さらには、授業や修学旅行の場面で、やりたくもない共同作業を
求められる。だから、教室の中で同級生たちと良好な人間関係を
築けない場合、そこでの生活はとても苦痛になってしまう。

登校拒否などで、友人関係を維持する努力を放棄する方法もある
けれど、大学進学を希望している場合には大検など別の努力が
必要になり、メリットが多い選択とはいえないだろう。

主人公は、当初、“良好な人間関係の中にいる俺(自分自身)”を
維持することに徹することができた。つまり、学校という世界の中で、
自分自身のプロデュースに成功していた。

しかし、転校生・野ブタ(信太)をプロデュースしているうち、自分
自身のプロデュースがおろそかになった。そして、ついに失敗する。

演技を放棄して、自分自身の生身の姿をさらけ出すこともできなかった。
小手先の演技はできても、本音をさらけ出す勇気は持てなかった。

主人公が最後に選択するのは、演じる世界を変えること、つまり転校。

この選択は、結局、自分自身のプロデュースを一からやり直そうとして
いるにすぎず、「本当の自分をさらけだすことがあってもよい」という
覚悟はない。

つまり、“逃げ”の選択でしかない。なんとも切ないラストである。

人は誰でも本音をすべてさらけ出して生きていけるわけではない。
どこかで自分を演じながら生きている。

しかし、演じている自分自身がすべてでもなく、どこかで自分自身の
生身の姿を他人に垣間見せているのだと思う。

要するに、演じることと、本音をさらけ出すことの、バランスだろう。
そして、これは、誰にとっても、一生の課題なのかもしれない。
自分プロデュースは、難しい。





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