ゆるっと読書

気ままな読書感想文

【日本を捨てた男たち】自己責任で、いいですか? #困窮邦人

2018-01-26 06:30:30 | Weblog




都心の最低気温がマイナス4度を記録した朝、ふと、路上で生活している人のことが気になりました。

自宅から最寄の駅まで10分ほどの道を歩くのでさえ、寒さで体が縮こまりそう。
深夜、路上で眠っている人たちは、どこへ行ったのでしょうか。
暖をとれる場所へ移動することができたでしょうか。

海外に渡航して困窮した日本人「困窮邦人」を取材したノンフィクション「日本を捨てた男たち」を読みました。

フィリピンに渡航した理由はさまざまで、
フィリピンクラブで働いていた女性を追いかけていってしまったり、借金やその取り立てから逃げるためだったり。
フィリピンをパラダイスのように思っていた人もいれば、日本に居るのが窮屈で、逃げ出したかった人もいます。
日本に帰りたいけど帰れない人もいるし、帰りたくない人もいます。

家族や、仕事や、環境や、個人の性格、さまざまなことが絡み合って、
困窮に陥ってしまい、そして抜け出せない現実。

困窮の原因について、その人に原因がないとは言えない。
でも、「困っている」という状況に対して、何もしないのか?
何かするなら、何を、どうすればいいのか。
私自身が、どうしたいのか。
正直なところ、よく分かりませんでした。
とても複雑で、簡単に答えを出せないのが、
「困窮」の問題なのでしょうか。

ただ、改めて思ったのは
「自己責任」という言葉は、やっぱり、好きになれないということ。

自分のことを振り返って、
「自分で決めてしたことだから、結果について愚痴を言わない」
「自分で選んだのだから、自己責任だよね」と胸の内で言ってみることはあります。

それは、自分の中にある「甘え」を戒めるために使う「自己責任」はあるけれど、
他人に「手を貸さない」ことを正当化するために「自己責任」という言葉を使ってしまうと、とても大切なものを切り捨てるような気がします。

だからといって、じゃあ、「困っている他人がいたら、誰にでも手を貸せるのか?」と問われたら、「はい」とは言い切れない。
見て見ぬふりをしてしまうことも、あります。

例えば、「いじめ」では、加害者と被害者の間に、多数の「見て見ぬふりをする者」がいます。自分が被害者になるのが怖いから、関わりたくないからなどの理由で、「見て見ぬふり」をする。でも、被害者にとっては「見て見ぬふりをする者」も加害者側に感じられます。
傍観者は、加害者と同じかもしれません。

「困窮」の問題も、「いじめ」と同じで、
見て見ぬふりをすることは、加害者側になることになるのではないか、と思います。

自分事として、考えてみる。

まずは、そこを忘れないようにしたいです。

#困窮邦人#自分事#日本を捨てた男たち#読書

日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」 (集英社文庫)



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【自分を問い直す 最初の質問】

2018-01-19 06:30:30 | Weblog




人生は思い通りにならないことが、大半である。

手に取った本の中に、そんな記載がありました。

なるほど~。たしかに、そうかもしれない。

でも、「思い通りにしたい」と考える時の「思い」が、どういう種類のものか。

また、その「思い」が、どれほど強いか。

それによって、思い通りにならない時の気持ちは、ずいぶん違う気がします。


新年にふさわしい詩を探していたら、長田弘さんの「最初の質問」という詩に

出会いました。その一部、詩の終わりのほうを下記に引用します。



  今あなたがいる場所で、耳を澄ますと、何が聞こえますか。



  沈黙はどんな音がしますか。



  じっと目をつぶる。すると何が見えてきますか。



  問いと答えと、今あなたにとって必要なのはどっちですか。



  これだけはしないと心に決めていることがありますか。



  いちばんしたいことは何ですか。



  人生の材料は何だと思いますか。



  あなたにとって、あるいはあなたの知らない人々にとって、



  幸福って何だと思いますか。

  

  時代は言葉をないがしろにしている。



  あなたは言葉を信じていますか



「時代は言葉をないがしろにしている」という一文以外、

すべての文が、「問い」になっています。

(逆にうえば、問いではない一文が際立ち、効いていますね)



どの問いも、いろいろ考えさせられます。

生きていくうえで、大事な問い。

だから、詩のタイトルに「最初の」と付けられたのかもしれません。



「最初の質問」は、新年にあたり、

自身を見つめ、大切にしていることを確認できる詩だと思いました。

最初の質問 (講談社の創作絵本)

#コーチング#自分掘り起し#人生は思い通りにならない#詩#長田弘
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チャンスは、どこに降りるのか #動的平衡#ユージン・スミス写真展

2018-01-15 06:30:29 | Weblog

報道写真家ユージン・スミスについて、
それほど詳しく知っていたわけではなく、
彼の写真を記憶にとどめていたわけでもありません。



東京都写真美術館で開催されている「生誕100年 ユージン・スミス写真展」のポスターに、幼い子ども2人が手を取り合って前方へ歩いていく様子を背後から捉えた写真が使われていて、印象に残っていました。

「なんか、良さそう」という勘は、当たりました。

ニューヨークの風景、ジャズミュージシャンの表情
田舎で働く医師の姿をとらえた「カントリー・ドクター」のシリーズ、
日本の水俣公害やその訴訟や日立の工場

被写体の居る領域にぐっと踏み込んでシャッターを切っているもの、
また、被写体からずっと離れて、ものすごく俯瞰して捉えているもの、
私が、もし、同じ被写体を前にして撮影するとしたら?と考えさせられる写真が多くありました。

「シャッター・チャンス」という言葉がある通り、
写真は、一瞬を切り取るもので、同じチャンスは二度とない。
人であれ、風景であれ、「今、ここ、これだ!」と思う瞬間に、被写体を捉え、自分が表現したい画として切り取るのだと思います。

撮りたい写真を撮るには、技術を磨いたうえで、
「今、ここ、これだ!」というチャンスを掴まなくてはいけないように思います。

チャンスは、いつ、どのように掴むことができるのか?

福島伸一博士は、「チャンスは準備された心にのみ降り立つ」と言っています。
科学の重要な発見ができた人と、できなかった人の差は、準備された心の有無。
専門知識をそなえた経験豊富な科学者でも、重要な発見を逃していたりする。
工芸学校に学び、商船会社に勤めた経験のある科学者が、抗生物質の発見者になっている。
つまり、工芸学校の手先を使った技巧や創作の経験が、発見を「準備する心」のバックグラウンドになったのではないかと、福島氏は指摘している。

写真も同じで、「今、ここ、これだ!」というものに偶然に出会えるわけではない。
シャッターを切るまでの過程に、さまざまな準備があると思う。
準備する心のバックグラウンドをつくることは、自分自身が様々な人と出会い、経験をし、そして一人で考えを深めることも含まれる気がする。

チャンスは、準備した心にのみ降りてくると信じて、
カメラマンはファインダーをのぞき、
ライターは、筆をとる。

#動的平衡#ユージン・スミス#写真

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心を鎮めてくれる問いとは? ハルキストの気持ちが分からないという悩みに

2018-01-12 06:06:06 | Weblog


大学生の頃、仲良くなった男の子たちに、作家・村上春樹さんの大ファン(ハルキストもしくはハルキニストと呼ぶそうです)がおりました。

私自身、当時、いくつかの作品は読んだのですが、強く魅かれることがなく、
ハルキストの気持ちが分からない。

それで、「どうして、そんなに村上春樹が好きなの?」と率直な質問を投げてみました。

私の身近にいたハルキストの多くは、
「作品の中の“僕”が、まるで自分のような気持ちになる」とのこと。
作品に登場する「僕」を読むと、まるで自分のことを書かれているような気持ちになるそうです。

そういう感覚を、私は感じたことがなく、
ハルキストの気持ちがやっぱり分からない。

村上春樹さんのエッセイは、心に響くので好きなのですが、
小説に対しては苦手意識を持ったままでした。

内田樹さんの著書「もういちど 村上晴樹にご用心」は、
ハルキストの気持ちが分からない私に、ぴったりな一冊。

なぜ、ハルキストの気持ちが分からなかったのか、
その分からなかった理由が、分かります。

■「心を鎮めてくれる問い」とは?


もう一つ、矯味深かったのは、内田さんが、
村上作品のなかで「30~40代の女性にお勧めの一冊」として
「神の子どもたちはみな踊る」を挙げた点です。

この作品は、阪神淡路大震災のあとに書かれた短編が収録されているそうですが、
内田先生は、この作品に絡めて、
巨大な出来事の後で、心を一番鎮めてくれた問いについて書かれています。

答えは、「何をして欲しいか?」ではなく、「自分に何ができるか?」という問いです。

「何をして欲しいか?」という問いは、どれくらい傷ついたか?、どれくらい失ったかを数え上げていかないといけない作業が発生する。

これに対し、「何ができるか?」は、「自分に何が遺されているか?」「自分にどんな才能があるか?」を数えていく作業になる。

つまり、心理的な健康のためには、自分に遺されているもの、自分が持っている能力を数えていくほうが健全だということです。

コーチングでも、時々、「失敗」や「上手くできない課題」をテーマにする方がありますが、
その時に、失敗の原因や課題の構造をできるだけ正確に突き止めることは、それほど重要ではありません。

過去を振り返ることは大事ですが、過去を掘り下げても、思考が前に進めない。
心が鎮まるのは、現状が変わらなくても、思考のベクトルが前へ向いた時なのだと改めて思いました。


もういちど村上春樹にご用心 (文春文庫)

#コーチング#村上春樹#ハルキニスト#内田樹

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