ゆるっと読書

気ままな読書感想文

「やりたいことが見つからない」と悩む理由

2019-08-26 06:40:41 | Weblog



「苦しかったときの話をしようか」(著・森岡毅、ダイヤモンド社)は、
ビジネスマンの父が子どものために書きためた「働くことの本質」を伝える本だ。

進学や就職、転職に悩んでいる人には、自分の悩みを整理するヒントがたくさん詰まっている。この本を読めば悩みの答えが分かるのではなく、答えを見つけるために、どうすればよいかが分かる本だろう。

例えば、進学や就職にあたり、自分自身の「やりたいことが見つからない」という悩みは、よく挙げられる。
私自身も、特に「これをやりたい」というものは明確になっていなかった。
「なんとなく、好きか、嫌いか」くらいの判断で、文系か理系か、就職先の業種を選んでいたと思う。

著者によると、この問題の本質は、「やりたいことが見つからない」という問題の本質は、世間のことをまだよく知らないからではなく、本人が自分自身のことを良く知らないこと。つまり、問題の本質は、外ではなく、自分自身の内側にある。
自分の中に基準となる「軸」がなければ、やりたいことが生まれるはずも、選べるはずもないという。
本書の中では、この「軸」のつくり方が示されている。
これが、進学や就職に悩んでいる人が答えを見つけるために、どうすればよいかを自分で考えていくための手がかりになる。

「若い世代のための本か」と思ってしまう方もいるかもしれないが、私がもっとも面白かったのは「第5章 苦しかった時の話をしようか」で触れられている、著者自身の失敗、苦しかった経験の告白だ。

実際の経験から出てきた言葉は重いし、その経験から得た気づきは、深い。

アドバイスの一つは、自分自身の成長にフォーカスする考え方だ。
これは、世代に関係なく、何歳の方でも、男女問わず、
人生100年時代を前向きに生きていくために役に立つ考え方になると思う。

著者は、次のように書いている。
「今日の自分は、何を、どう学んで昨日よりも賢くなったのか」
その1点を問える自分であればいい。
「できない自分」ではなく、「成長する自分」として自分だけは自分自身を大いに認めてあげてほしい。そうすれば苦しくても、心が壊れる前にきっと相応の実力は追いついてくるだろう。

仕事のキャリアを積むには、時間が必要な部分もあり、若い時から「軸」をつくり、方向性を見定めて努力していくことが有利な面もあると思う。

ただ、ある程度、年齢を重ねている人が、これから努力することについて、遅すぎるということはないと思う。人生をより前向きに生きるために、昨日よりも今日、今日より明日へ向けて、自分を成長させていく。そういう志を持てる自分自身でありたいと思う。


苦しかったときの話をしようか ビジネスマンの父が我が子のために書きためた「働くことの本質」





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【むらさきのスカートの女】気になる女の存在、誰にでもある心理かもしれない。

2019-08-20 06:47:00 | Weblog



気になる女。
そういう存在の人が、誰にでも、一人か、二人いた経験があるのではないでしょうか。

美人ではなく、着飾っているわけではなく、特別目立つ振る舞いがあるわけでもない。
だけど、何だか気になって、つい注目してしまう。
あの人は、いつも、こんな感じの洋服を着て、こんな顏をしている。
あの時刻には、たいてい、このあたりにいる。
どのお店で、こんなものを購入している。
気になる女の情報を、無意識に集めてストックしていたりする。

主人公が気になるのは「むらさきのスカートの女」だ。

物語が進むにつれて、「むらさきのスカートの女」がどのような女性かが明かされていく。
どんな場面で、どんな行動をとる人なのか、エピソードが積み重ねられる。
彼女を見守っている主人公が、「むらさきのスカートの女」の言動に何を感じているのかも示されていく。

そして、ある事件が起こり、「むらさきのスカートの女」が、姿を消す。
その途端、彼女が何者だったのか、再び、分からなくなる。
主人公と「むらさきのスカートの女」が重なってしまったかのような感覚も覚える。
それまで構築されていたはずの世界が、クライマックスを境に、ぐにゃっと曲げられるような気もする。

気になる人物、気になる女は、誰にでもいるだろう。
著者は、誰にでもある「気になる」心理を巧みに突いているのかもしれない。


【第161回 芥川賞受賞作】むらさきのスカートの女

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【昨夜のカレー、朝のパン】くすっと笑って、ほろりと泣ける一冊

2019-08-14 06:41:27 | Weblog



猛暑に疲れてしまったら、短編の小説がお勧め。

「昨夜のカレー、明日のパン」(河出文庫)は、9つの短編が連なって、一つの物語になっている。
主な登場人物は、テツコさんと、テツコさんの夫の父親(義父=ギフ)の2人で、この2人を取り巻く人物が一つひとつの短編に登場する。

この作品は読んでいるうちに、ぼぉーとしていた頭の中に、爽やかで、温かく、どこか懐かしい生活の感じが浮かんでくる。

2人の生活に漂よっている空気感が伝わってくる。

暮らすって、こういうことなんだと感じる。

物語が進むにつれて、その暮らしの基盤にあるもの、背景にあるものが見えてきて、
生きていくとはこういうことだと腑に落ちる。

夫の一樹を病で亡くした後、ギフと2人で暮らしているテツコさんの心の動きが細やかに描かれていて、時折、涙してしまう。

私は、汗を拭うふりをして、ハンカチで涙を抑えた。

自分の生活を振り返って、テツコさんのように丁寧に暮らしているかなぁと考えた。
他人とどう向き合っているかなぁ、と考えてみた。
さらりと読めるけれど、結構、深いテーマを描いている作品だと思う。


昨夜のカレー、明日のパン (河出文庫)



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【悲しみの秘儀】人生の道標になりそうな一冊

2019-08-08 06:33:49 | Weblog




「悲しみ」について、私は、できるだけ少ないほうが良いと思っていた。
「悲しみ」につながる出来事や経験は、できれば出会いたくないと思う。

しかし、若松英輔さんの著書「悲しみの秘儀」を読むと、「悲しみ」の価値が分かる。
「悲しみ」を知るからこそ、「喜び」が分かるということだ。

「悲しみ」につながる経験を、積極的にしようということではない。
人生の中で、予期せぬ出来事は、少なからず起こる。
耐え難い気持ちになったり、心に傷がついて、それがトラウマのように残ることもある。

「悲しみ」を転換して、「喜び」に変えることはできないだろう。
「悲しみ」は「悲しみ」として存在し、その存在があるからこそ、別の感情をよりいっそう強く感じとれるということだと思う。

本書の中で、若松さんは、恩師の井上洋治神父の遺稿を紹介している。

『宗教は考えて理解するものではなく、行為として生きて体得するものです。たとえてみれば、山の頂上にむかって歩んでいく道であるといえましょう。人は二つの道を同時に考えることはできても、同時に歩むことは決してできません』

この遺稿では、「宗教」について言及しているが、「宗教」を「生きることの意味」と言い換えてもよいだろう。

若松さんは、恩師の遺稿を受けて、
『人生の意味は、生きてみなくては分からない』と書いている。

人生において、自分が歩くことができるのは、たった一つの道である。
頭の中では、「あんな人生」「こんな人生」と複数の道を描くことができるが、
実際の人生は、たった一つだ。

どんな人生なのか。自分で生きてみるしかない。



若松英輔エッセイ集 悲しみの秘義




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【あひる】たいていの人が持っている「残酷さ」を描く

2019-08-01 06:00:00 | Weblog

人は、残酷な生き物だ。

残酷な部分を知っていても、見ないようにする。

見ていても、見なかったことにする。

知らないふりをする。

ふりをするまでもなく、忘れる。

特定の人のことではなく、たいていの人が、そういう残酷な面を持っている。

 

今村夏子さんの短編小説「あひる」

ある日、あひるを飼うことになり、家族に変化が生まれます。

ほんわか、温かい、純朴な子供たちも登場する話かと思ったら、見事に裏切られる。

何を「幸せ」と位置づけるか。

それを位置づけた途端、裏側に入れて、見えないようにする側面ができる。

その部分に焦点を当てている作品で、読み終わってから、じわじわ怖さが沸いてきます。

「おばあちゃんの家」と「森の兄弟」は繋がっている作品ですが、「森の兄弟」の終わり方は衝撃がありましたが、結構、好きです。

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