ゆるっと読書

気ままな読書感想文

【障害受容からの自由】 自分を問い直す言葉

2016-10-24 08:15:00 | Weblog



自分の考え方や価値観について、改めて問い直すきっかけとなる言葉があります。

私にとって、「障害受容」という言葉が、その一つです。

「障害受容」とは、文字どおりとらえるなら、「障害」を「受け容れる」ということになります。

作業療法士の田島明子さんは、障害のある人を支援する現場で、

支援者が、「Aさんが障害受容できていない」と発言したことに違和感を感じ、「障害受容」について考えることになったそうです。
前作「障害受容再考―「障害受容」から「障害との自由」へ」(三輪書店)も、とても興味深い一冊でした。
続編となる本書「障害受容からの自由」は、田島さんだけでなく、障害をもつ当事者、家族、支援者それぞれの立場から「障害受容」について書かれた本です。この本もまた、さまざまなことを考えさせられました。

「障害」を「受け容れる」ということについて考える時、
まずは、「障害」そのものについて、どうとらえるかということがあり、
その「障害」を「受け容れる」ことについて、どうとらえるかがあります。

肯定的か、否定的か。できるか、できないか。
できなくても、いいのか。そうではないのか。

頭で考えていることと、心で感じていることが、一致しないこともあり、
複雑な思いに駆られる可能性もあります。

「障害受容」は、「障害」について、改めて考える機会をつくる言葉であり、
「受け容れる」ことを、どうとらえるかを、自分自身に問い直す言葉だと思います。

改めて思うのは、人の感情や考え方は、揺らぐものであるということです。

「障害」も、「受容」も、それらのとらえ方は、
人の中で、しばしば揺らぎ、移ろい、迷うものかもしれないと感じました。

障害のない人は、自分に付随しているものではないからこそ、
「分からない」部分があるということを念頭においておく必要がある。
「障害」や「受容」について、「こうだ」と考えているものを
誰かに押しつけていないか。
常に、自分自身のとらえ方を問い続けることに意味がある気がします。

「障害受容」について、あなたは、どうとらえるのか?
改めて「問い」を突きつけられる一冊でした。

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【跳びはねる思考】「黙って、共感する」の「黙って」がなかなか難しい

2016-10-16 08:28:53 | Weblog



「黙って、共感する」
これは、できていないですね。いきなり反省です。
「話すよりも、聞く」
「アドバイスをせずに、相手の気持ちに寄り添う」
「共感」するにしても、「黙って」というところが難しい。

東田直樹さんの著書「飛びはねる思考」は、
自分自身の感覚や、世界のとらえ方、考え方や価値観について、
改めて考えさせてくれる本です。

東田さんは、会話のできない重度の自閉症で、文字盤をつかって言葉を発しています。

本書は、東田さん自身が、何をどのように感じているか、世界をどうとらえているか。

人とのコミュニケーションについて、どのような考えを持っているかについて書かれています。

「人の話を聞く」というテーマで、東田さんは、次のように書いています。

僕がつらかったのは、できないこと以上に、
できない気持ちを分かってもらえないことでした。

わかってもらって、何かをしてほしいわけではありません。

相手に共感する気持ちは、誰もが簡単にできるはずなのに、最も難しいものではないでしょうか。

人は、相手の思いを想像したあと、自分ならどうだろうと考えてしまいがちです。

その人の立場に立った時、困難にくじけてしまう自分を、描きたくはないでしょう。

だから、アドバイスだと言いながら、自分が主人公になった物語を創作してしまうのだと思うのです。

僕は、相手のためだという理由で、好き勝手な意見を伝えるよりは、

その人の悲しみや苦しみに、ただ寄り添うほうが、大切なこともあると感じています。

(引用、ここまで)

「相手のため」と言いながら、
実はよく考えると、「自分のため」のこと、よくあります。

「人の話を聞く」ことは、
相手の話を聞くことに徹してみると、
これまで、いかに自分の価値観や意見の押しつけをしていたかが見えてくるのかもしれません。

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【アフロ記者が記者として書いてきたこと。退職したからこそ書けたこと】 負けると分かっていても。

2016-10-13 08:00:00 | Weblog




元・朝日新聞社の論説委員、稲垣えみ子さんの著書、
「アフロ記者が記者として書いてきたこと。退職したからこそ書けたこと」
を読んでいて、私が、魅かれた言葉があります、

その一つは、「コミュニケーション」に関するもので、次のような言葉です。

“コミュニケーションとはそもそも心がザワザワするところから始まるものだ”
“ザワザワするから気になる”
“知りたいと思う”
“そうした過程を経て初めて人は認めあうことができる”

コミュニケーションの原点に触れていると思います。

文章を書くことも、コミュニケーションの一つの手段であり、
自分だけが読む日記のような文章は、自分自身との対話になり、
誰かに読んでもらう文章は、誰かに問いかけたり、答えを発したり
しているのだと思います。

私が文章を書く時は、ザワザワしていることが多いので、
とても共感できる言葉でした。

ザワザワするのって、居心地がいいわけではないけど、
それが、対話や、文章を書くときの原動力になっているので、大切な感覚です。
もう一つ、本書の中で魅かれたのは、次の言葉でした。

“人は負けることがわかっていても、懸命に努力するしかないし、
それは報われずとも何がしかの意味はある。
そう信じて、1日1日を生きるしかない”

どんなに頑張っても、努力をしても、希望が叶わないことがあります。

伝えても、伝えても、届かないと感じることもあります。

でも、振り返りながら、思うのです。

「何もしなかったら、どうなのか?」
「何もしなかったら、よかったのか?」

私の場合、何もしないままでは、いられない。

「報われずとも、何がしかの意味がある」と、
信じることに意味がある気がしています

アフロ記者が記者として書いてきたこと。退職したからこそ書けたこと。
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【14歳からの哲学】悩むな、考えろ 人生は思ったとおりになる

2016-10-05 08:00:00 | Weblog


悩むな、考えろ。

池田晶子さんの言葉をまとめた「幸福に死ぬための哲学」の帯に

こんなキャッチコピーが書かれていました。

冒頭に出てくるのは、

「思ったとおりの人生」というテーマで書かれた文章です。

人は、何でも「思う」ことができる。

これは本当に不思議なことだ。

これが自由の原点だ。

人生はつまらないものだと思えば、

人生はつまらないものになり、

人生は素晴らしいものだと思えば、

人生は素晴らしいものになる。

何もかも、思ったとおりになる。

人生は自分が思った通りの人生になっている。

人は、思うことで、人生の運命を自由に創造することができるんだ。

これは、なんて素晴らしく、かつ、なんて厳しいことだろう。


素晴らしさがあるのは、厳しいからこそ。

厳しいのは、素晴らしさがあるからこそ、なのだと思います。


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14歳からの哲学 考えるための教科書

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