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気ままな読書感想文

【あの戦争から遠く離れて】日本と中国の家族を見つめる旅

2009-07-31 21:17:26 | Weblog
あの戦争から遠く離れて―私につながる歴史をたどる旅
城戸久枝
情報センター出版局

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【あの戦争から遠く離れて】日本と中国の家族を見つめる旅

団塊ジュニアといわれる世代、日本人として日本で育った私にとって、戦争といえば、「第二次世界大戦」「広島・長崎の原爆」のこと。

しかし、社会科の教科書に掲載されていた白黒の写真や、アニメ映画「ほたるの墓」から得たイメージしかない。
その時代を生きた祖父母から話を聞いても、どこか遠い昔話を聞いているような気がしていた。

戦争について書かれた本はたくさんあるが、手に取る前に、悲惨さ、暗さ、重さを感じ取ってしまって、積極的に「読もう」という意欲が沸くものではなかった。

大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した「あの戦争から遠く離れて」についても、最初は、そうした「戦争もの」という先入観をもっていた。

しかし、読み始めると、ページをめくる手が止まらなくなった。
この本の軸にあるのは「家族」だからだ。

この本は、著者の城戸久枝さんが、中国残留孤児である父親・城戸幹さんの半生をたどったルポである。

父親の過去についてだけではなく、久枝さん自身が2年間の中国留学生活で体験したこと、幹さんを育てた養母やその親族との交流から感じたことも綴っている。

久枝さんが1976年生まれだと知り、また、本書に目を通す中で、私自身と同じ世代だという意識が強くなった。そのため、幹さんを私自身の父親と重ねて想像することも多かった。

幹さんの中国と日本の家族に対する思いや、久枝さんの父に対する思いを感じて、胸が熱くなった。

本書では、戦争や戦後の中国で残留孤児が体験した苦労についても触れているが、戦争の悲惨さよりも、人と人のつながりの価値や、人の「縁」が人生に大きな影響を与えるものであるということを感じる。

幹さんの娘である久枝さんだからこそ、中国に対して一定の距離感を保ちつつ、しかし、一方で、「他人事ではない」という親近感も持ちながら、あの戦争から現在につながる1人の孤児の半生を記述できたのではないだろうか。

この本を書くことは、父親の半生を掘り起こして記録することであるとともに、久枝さんにとっては自身のルーツをたどる取り組みだったのだろう。

「あの戦争」は、遠い過去のものになりつつある。しかし、それは決してなくなるものではなく、あの戦争があった時代を生き抜いた人がいたからこそ、今の自分があるのだということを再認識させられる。
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【精神病とモザイク】「タブー」を撮る監督の心情

2009-07-18 22:32:13 | Weblog
精神病とモザイク タブーの世界にカメラを向ける (シリーズCura)
想田和弘
中央法規出版

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【精神病とモザイク】「タブー」を撮る監督の心情

観察映画「精神」を観た後で、監督の想田和弘さんが書いた「精神病とモザイク」を読むことをお勧めする。この本には、映画「精神」を撮る際に監督が抱えていた悩み、恐れ、覚悟が記されている。

テレビ番組などでは、精神病患者に個人が分からないようにする「モザイク」をかけることが多い。

想田さんによると、これは、当事者を守るためではなく、制作する側を守るためのもので、物事を伝えることに対する責任を放棄させるという。

見る側に立っている私自身、「モザイク」は幾度となく目にする機会があり、当たり前のように受け止めていた。疑いもなく「プライバシーの保護」だと考えていた。

しかし、改めて考えてみると、「モザイク」は、人間を非人間的にするものだと感じる。
隠すことが、より差別を助長する側面もあるということも理解できる。

映画「精神」で、想田監督はモザイクを使用しないと決めていた。
ナレーションも音楽も使っていない。映画では、精神病の人たちが、自らの言葉で語る。
精神病患者に対する余計な意味づけをはずす努力をして、対象に迫った作品だ。

映画に登場し、完成した映画を観た患者さんたちの感想は、興味深い。

また、この本の最も良いところは、映画「精神」で描ききれなかった部分に触れている点だろう。

映画「精神」は「入り口」「予告編」のようなものだと位置づけられる。
精神病患者に対して、この「入り口」から、どこまで深く迫れるのだろう?。
相当の覚悟と「良い加減さ」を持つことが求められる仕事だと思う。

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【ルーマニア・マンホール生活者たちの記録】地下で暮らす子どもたち

2009-07-12 21:24:54 | Weblog
ルーマニア・マンホール生活者たちの記録 (中公文庫)
早坂 隆
中央公論新社

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【ルーマニア・マンホール生活者たちの記録】地下で暮らす子どもたち

「ルーマニア」といわれても、知っていることは、ほとんどない。
東欧の国、チャウシェスクによる独裁があった国、たしか、吸血鬼ドラキュラの国。
その程度しか浮かばない。

著者の早坂隆氏は、2001年から約2年間、ルーマニアに滞在し、現地の言葉を習得しつつ、マンホールの下に暮らす住人たちを取材した。

マンホールの下を住居にしていたのは、チャウシェスク政権が崩壊した後、街中に現れたストリートチルドレンたちだ。

親に捨てられた孤児。
捨てられてはいないが生活苦のため家族を離れて暮らし始めた子ども。
人種差別や虐待を理由に、孤児院から逃走した子ども。

彼らは、物乞いや、廃品回収、ときには万引き、スリ、引ったくりなどで、生計を立てている。シンナーやタバコが嗜好品になっている。

日本に日本人として生まれ、育った人間と、ルーマニアの貧困層に生まれて育った人間との間には、どうにも埋められない溝のようなものがある。

しかし、この本を読むと、早坂氏がその距離を埋めようと努めたことが分かる。
日本人とルーマニア人との間に距離はあるが、早坂氏は彼らと「同じ人間」として心を通わすことができた瞬間があったのではないかと感じる。

マンホール生活の模様は、丁寧に記載され、臨場感があふれる。
子どもたちがマンホール生活を始めた経緯や、彼らの家族のことを細かく聞き出している。
相手が子どもでも、正面から、厳しい質問をすることもある。
子どもたち、それぞれの言動から感じたことも、正直に書いている。

私にとって、とても遠かったルーマニアだが、この本で少し近くなった気がする。



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【ベーシック・インカム入門】本当に必要なお金をどうする?

2009-07-05 19:51:25 | Weblog
ベーシック・インカム入門 (光文社新書)
山森亮
光文社

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【ベーシック・インカム入門】本当に必要なお金をどうする?

「ベーシック・インカム」とは、すべての個人に対して、等しく、無条件で給付される所得(お金)のこと。毎月、すべての人の口座に一定額が振り込まれるイメージで、これは課税されず、生きていくために必要な所得として、公的に与えられるものだという。

ベーシック・インカムには、いくつかの利点がある。
・ 生活保護は、給付対象を限定しており、給付のために所得調査を必要とするが、ベーシック・インカムはすべての個人に等しく支払われるため、給付に必要な調査が必要ではなく、経費が節減される。

・ 生活保護のような制度では、本当に給付が必要な人が給付を受けられていない事態が発生する。公的機関に相談にいっても対応してもらえなかったりすれば、給付が受けられない。住む家がなく住所がなければ申請できない。すべての人に等しく給付されれば、このような問題は起こらない。

・ 「生活保護を受けるのは恥」というように、受給に恥辱感を持たなくてよい。

・ 子育てや介護は家庭内労働であるといえるが、これらに携わる人も一定の所得を得ることができる。などなど。

一方で、ベーシック・インカムは、労働の意欲を減退させてしまうのではないか?という問いや、ベーシック・インカムとして給付するお金の財源問題などがあり、実現が簡単なわけではないようだ。

ベーシック・インカムの制度があったら、労働に対する考え方や、生活の仕方、生き方は、大きく変わるような気がする。

また、ベーシック・インカムは公的な給付だが、つい、会社員の給与制度につなげて考えてしまう。

私の場合、会社員として、毎月、支払われる基本給がある。そのほかに、賞与があり、そこに個人に対する評価が絡んでくる。

年収=基本給+賞与だが、賞与は、社員が等しく貰える一定額と、各個人の評価に伴う業績評価額で構成されている。一定額と評価による額の割合をどの程度に設定されるかによって、モチベーションは変わってくる。

業績評価の方法についても、どのような指標で評価されるかが問題になっている。
正直なところ、業績評価の評価は曖昧で、評価が上がっても下がっても釈然としない気持ちを抱えることが多い。

ベーシック・インカムの制度が導入された場合、個人の所得は、ベーシック・インカム+自分が労働して得た所得となる。
ベーシック・インカムは課税されないが、労働により稼いだ金額には課税される。

ベーシック・インカムとして給付されるお金は、税金から工面されるため、ベーシック・インカムをどの程度の金額とするのかは大きな問題だ。ベーシック・インカムを多額にすると、労働しなくても十分暮らせると考える人が増え、労働意欲が下がると税収も減り、制度そのものが維持できなくなる可能性も抱えてしまう。

ベーシック・インカムの考え方そのものは、ずいぶん前からあるもので、日本にも90年くらい前に紹介されているという。

改めて注目されているのは、「派遣村」に来た人々や、孤独死する高齢者の存在など、既存の制度が十分に機能していない事態が目立っているからだろう。

本書は、ベーシック・インカムの考え方について、諸外国における社会運動などと絡めて紹介している。

私には少し難しかったが、ベーシック・インカムは、自分自身の所得や生活設計とあわせて考える中で、とても興味深い考え方だった。
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