ゆるっと読書

気ままな読書感想文

【だいじょうぶ3組】人と本気で向き合うこと

2011-05-22 21:51:02 | Weblog
だいじょうぶ3組
クリエーター情報なし
講談社

 

著書「五体不満足」で有名になった乙武洋匡さんが、小学校を舞台にして書いた小説。

ただし、登場人物の主人公・赤尾先生は乙武さん自身がモデル。実体験をもとにして書かれた小説だと思います。

 

小学生5年生くらいからでも読めるように漢字にルビが振られていますが、大人に、特に子育てをしているお父さん、お母さんに読んでほしい本です。

 

「普通」とはどういうことか?

「ナンバーワン」と「オンリーワン」をどうとらえるか?

他人との「違い」をどう受けとめるか?

 

こうした問いを考え、自分の考えをもっておくことは、とても大事だと思うからです。

 

私が好きなエピソードは、電動車椅子で移動している赤尾先生と、5年3組の生徒たちが、学校行事になっている高尾山の登山の遠足をどうするか?という話。

 

赤尾先生は、学級で起こるさまざま出来事について、常に答えを持っているわけではありません。

時々、失敗したり、悩んだりします。

でも、一生懸命、全力で、生徒たちと向き合う姿があり、それに胸が熱くなります。

こんなふうに正直に、本気で人に向き合うと、気持ちが相手に届くのだろうなと感じさせる何かがあります。

 

この本とはまったく関係ない出来事から、私は、最近、人と向き合うことについて考えたことがありました。

 

相手に分かってもらえない。

相手に心を開いてもらえない。

そう感じたとき、それは、相手に問題があるのではなく、

自分が、相手のことを分かっていなかったり、

自分も、相手に心を開いていないということなのかもしれない。

 

そう考えて、自分の未熟さを実感しました。

 

でも、まあ、仕方ない。

自分が未熟だということを発見したのは、収穫だったね。

と、思います。

 

大人の人間関係は、小学校のクラスの人間関係とは異なるところもありますが、「だいじょうぶ3組」の赤尾先生のような姿勢で人と向き合うことを続けていたら、相手と理解しあえることがあるのかもしれない…。

 

そういう希望を感じさせられる本でした。

 

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【後世への最大遺物】後世へ何かを残したいという希望

2011-05-04 22:57:05 | Weblog
後世への最大遺物・デンマルク国の話 (岩波文庫)
クリエーター情報なし
岩波書店




本棚のお掃除をしていたら、奥のほうから岩波文庫の「後世への最大遺物 デンマルク国の話」(内村鑑三・著)が出てきました。

大変薄い本のため、普段なら見逃してしまいそうですが、「後世への最大遺物」というタイトルが、大震災を受けた後の今、とても気になってきて、読み直すことにしました。

「後世への最大遺物」は、明治27年の夏期学校での、内村鑑三氏の講演を収めたものです。

キリスト教信者(クリスチャン)の立場では、「この世の中に名を遺そう」という考え方は、ある意味では持ってはいけないものだが、しかし、ある意味からはそれほど悪い考え方ではないという指摘から始まり、内村氏は次のように話しています。

『しかしながら私にここに一つの希望がある。(中略)すなわち私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずに死んでしまいたくない、との希望が起こってくる。ドウゾ私は死んでからただに天国に往くばかりでなく、私はここに一つの何かを遺して往きたい。(中略)ただ、私がドレほどこの地球を愛し、ドレだけこの世界を愛し、ドレだけ私の同胞を思ったかという記念物をこの世に置いて往きたいのである。すなわち英語でいうMemento(メメント)を残したいのである。こういう考えは美しいのであります』

そして、「一体、後世に何を遺すか?」と問いについて、「お金」?「事業」?それとも「思想」?と講演が展開されています。

お金も事業も思想も価値あるものですが、最大の遺物は、これらではないというのが結論になっています。

「自分が生きている間に、何をするか?何を遺すか?」は、どんな人でも、人生のなかで一度や二度は考える問いだと思います。

答えを明確に出せるときもあれば、「なんだかよく分からないなぁ」と終わってしまうときもありそうです。

考えたときの年齢や、そのときの状況によって、答えが変わるかもしれません。

私が、この本をはじめて読んだのは20歳のとき。
この本は、大学の先輩が卒業されるときに、卒業お祝いのお返しのようなかたちで頂いたものでした。

当時は、「内村鑑三?って、日本史の授業で最後のほうにちらっと出てきた人…」という記憶しかなかった私。読んでも、その時は、先輩は、私に「志を持て」って言いたかったかなぁ…と考えた程度です。

今も、それほど深く理解しているわけではありませんが、「後世への最大遺物」を読むと、著者から投げられる「後世に何を遺すか?」という問いに、読者自身が自然に向き合うことになるので、人生の節目節目で読み直したい気がしています。

「後世への最大遺物」の講演の締めくくり。

『己の信ずることを実行するものが真面目な信者です。ただただ壮言大語することは誰にでもできます』

『われわれに後世に遺すものは何もなくとも、われわれに後世の人にこれぞというて覚えられるものはなにもなくとも、アノ人はこの世に活きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを後世の人に遺していきたいと思います』

私はこの箇所は、結構、好き。

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