ゆるっと読書

気ままな読書感想文

【おいしいものでできている】読むと、お腹が空く1冊

2021-05-24 21:45:35 | Weblog

 

稲田俊輔さんの著書「おいしいものでできている」は、読むとお腹が空いてくる1冊だ。

目の前に、一皿、出されているように感じながら、読むことになる。

稲田さんの「こだわり」には、「美味しいものが好き」という気持ちが溢れている。

子どもの頃に、食べたもの。
学生時代に食べたもの。
大人になって、自分なりにこだわりを持って食べているもの。

人それぞれ、大なり小なり、食べ物へのこだわりはあると思う。

料理への「こだわり」を他人から聞くと、ちょっと、うんざりしてしまったり、 「この人と一緒に食べにいったら、めんどくさいだろうな」と思ってしまう場合があるが、稲田さんの「こだわり」の着眼点は面白かった。

本書の中に収められている「遠足のおやつ」の話を読んで、
そういうの、あったなーと似たような経験を思い出した。

クラスメイトたちが、どんなおやつを持ってきていたか。
お菓子の交換の背景に見える、子ども同士の人間関係。
本格的な料理として紹介されるのは、南インドのカレーだ。
稲田さんのお店のカレーが気になり、食べてみたくなった。

 

おいしいもので できている
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【マイノリティデザイン】「できない」「苦手」「弱さ」を生かす。捉え方を変えて、創造する。

2021-05-18 23:39:51 | Weblog

「見えない。そんだけ。」

2014年に開催されたIBSAブラインドサッカー世界選手権

ポスターに掲げられたこのキャッチコピーは、印象に残っていた。

 

 

この広告を手掛けたのが、『マイノリティデザイン 「弱さ」を活かせる社会をつくろう』の著者・澤田智洋さんだったということを、本書を読んで初めて知った。

 

澤田さんは、広告会社に勤務し、コピーライターとして活躍されていたが、

生後3か月の長男に視覚障害があることが分かったそうだ。

 

そのことをきっかけに、さまざまな「障害」のある人に会い、話を聞き始める。

日常生活をどのように過ごしているのか。

仕事はどうしているのか。

障害があるがゆえの、ちょっとした失敗などなど。

 

様々な障害者の話を聞く中で、著者は、「できない」「苦手」というものを「克服するもの」ではなく、「生かすもの」と捉えると、新たな価値を創造することにつながることに気がつく。

 

この気づきが、著者の広告関連の仕事の内容や着眼点に反映される。

できないこと、苦手なことを起点に、社会を良くすることを考える。

「マイノリティデザイン」のコンセプトが浮かびあがってくる。

 

本書では、著者自身の経験や実感、広告の実例を交えて、「マイノリティデザイン」の例が紹介される。

 

スポーツに関しては、

もともと運動音痴で苦手な著者が、視覚に障害がある息子と一緒に楽しめるスポーツはないのか。新しいスポーツをつくれないかと考え始め、「ゆるスポーツ」の考案につながる。

パラリンピックで実施される競技や種目とは違う点もあるが、着眼点が面白い。

 

コロナ禍で生活の仕方が変わったことにより、人それぞれ、これまで気が付かなかった「できない」「難しい」「苦手」な事柄、場面に気づいたのではないか。その気づきを、何か新しい発想や創造につなげることができるのかもしれないと、本書を読みながら考えている。

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【福島モノローグ】「自分ごと」と「他人ごと」の間に

2021-05-04 10:32:58 | Weblog

 

東日本大震災から10年が経過した。

3月11日に、自分がどこにいて、何をしていたか。それはまだ、思い出せる。

東京・千代田区、神保町の交差点に立ち、ちょうど信号が変わるのを待っていた。

徒歩で4時間かけて、当時住んでいた都内北区の自宅に戻り、テレビで見た津波の映像、原子力発電所の映像もぼんやり覚えている。

ただ、記憶は時が経つにつれて、しだいに薄れるものであることは経験している。

阪神淡路大震災の時、テレビの映像で見た光景を思い出せるか? と問われると、私は明確に答えられない。

自分の身に降りかかった出来事や、その時、どんなことを考えていたかは「自分ごと」だから記憶にも残り、似たような記憶を持つ人の話を聞いて、共感しやすい。

しかし、自分が経験したことのない出来事は「他人ごと」で、それを経験した人から、その出来事や、その時の気持ちを語られても、「自分ごと」と比べると「距離」がある。

「もしも、自分だったら」という想像をしてみても、それはやはり想像に過ぎない気がする。

「福島モノローグ」は、東日本大震災で被災した福島の人の語りをまとめた1冊だ。

本書に登場する人の中には、どこの、誰なのか。氏名が表されない人もいる。

ただ、あの時、どこに居て、どうしたか。住まいや、日々の暮らし、仕事、家族、周囲の人との関わりについて、ページをめくるにつれ、その人の語り「モノローグ」に、直接、耳を傾けているような気持ちになる。

「自分」と「他人」の間には、「自分の身近にいる人々」「自分に関わりがある人々」が居る。

語りを聞くということは、本書の登場人物たちを、自分と他人の間に位置付けることになる。

彼らが経験したことは、私にとって「自分ごと」ではないが、「他人ごと」でもなく、少し身近な人々のこととして、受けとめることができるような気がしてくる。

著者である、いとうせいこうは、本書ではその気配を消している。

語る人の前に居ることは間違いないのだが、本書の中で、著者は声を発しない。

被災地の人々、彼らを、読者に近い存在にしようとしている。彼らの声がよりリアルに読者に届くことを願ってつくられた1冊だと思う。

福島モノローグ

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