「空中ブランコ」
奥田英朗・著
うつ病は「心の風邪」と聞いたことがある。
誰でもかかる可能性のある病気で、また、風邪のように治すことができるという意味だろう。
実際のうつ病を風邪のように考えてよいかどうかは分からないが、人生の折々で出会った出来事につまずき、悩んだり、苦しんだり、それが原因で体の調子を崩したりする経験は、誰でも一度や二度はあることだと思う。
この本に盛り込まれた5つの短編小説の主人公たちは、みんな病気を患っている。物語は、それぞれの「病気」を起点に進行していく。
「空中ブランコ」は、空中ブランコで飛べなくなったサーカスの団員。
「ハリネズミ」は、尖ったもの(刃物など)が怖いヤクザ。
「義父のズラ」は、義父のカツラを取ったり、人前で突拍子もないことをしたくなってしまう医師。
「ホットコーナー」は、ボールやバットのコントロールが効かなくなってしまうプロ野球選手。
「女流作家」は、作品が書けなくなり、嘔吐症を患う女流作家。
それぞれの物語は独立しているが、主人公たちが、伊良部総合病院・神経科の医師・伊良部のもとを訪れるという点だけ共通している。
伊良部は、いわば「奇人」。
治療といえば、ビタミン注射を打つこと。それ以外は、病院を飛び出して、空中ブランコに挑戦したり、ヤクザ同士の抗争の現場に立ち会ったり、プロの野球選手とキャッチボールをしたり、主人公たちに絡んでくる。
しかし、伊良部の「はちゃめちゃな行動」は、主人公たちが自身の「まともさ」に目を向けるきっかけになっている。
伊良部に関わるうち、主人公たちは、自分自身の心にある「嫉妬」や「弱さ」に気づく。そして、その気づきの後、彼らの症状は回復の兆しをみせ始める。
病が起点となる物語は、医師・伊良部の登場によって転がり、主人公自身の気づきによって「結」(ラスト)に向かうのである。
誰でも抱える心の病。
しかし、現実には、医師・伊良部は存在せず、心の病は、そう簡単に治せるものばかりではない。それが分かっているからこそ、この小説に登場する主人公たちが自分自身の姿に気づき、回復の兆しが見えてくる瞬間は、実に爽快だ。
奥田英朗・著
うつ病は「心の風邪」と聞いたことがある。
誰でもかかる可能性のある病気で、また、風邪のように治すことができるという意味だろう。
実際のうつ病を風邪のように考えてよいかどうかは分からないが、人生の折々で出会った出来事につまずき、悩んだり、苦しんだり、それが原因で体の調子を崩したりする経験は、誰でも一度や二度はあることだと思う。
この本に盛り込まれた5つの短編小説の主人公たちは、みんな病気を患っている。物語は、それぞれの「病気」を起点に進行していく。
「空中ブランコ」は、空中ブランコで飛べなくなったサーカスの団員。
「ハリネズミ」は、尖ったもの(刃物など)が怖いヤクザ。
「義父のズラ」は、義父のカツラを取ったり、人前で突拍子もないことをしたくなってしまう医師。
「ホットコーナー」は、ボールやバットのコントロールが効かなくなってしまうプロ野球選手。
「女流作家」は、作品が書けなくなり、嘔吐症を患う女流作家。
それぞれの物語は独立しているが、主人公たちが、伊良部総合病院・神経科の医師・伊良部のもとを訪れるという点だけ共通している。
伊良部は、いわば「奇人」。
治療といえば、ビタミン注射を打つこと。それ以外は、病院を飛び出して、空中ブランコに挑戦したり、ヤクザ同士の抗争の現場に立ち会ったり、プロの野球選手とキャッチボールをしたり、主人公たちに絡んでくる。
しかし、伊良部の「はちゃめちゃな行動」は、主人公たちが自身の「まともさ」に目を向けるきっかけになっている。
伊良部に関わるうち、主人公たちは、自分自身の心にある「嫉妬」や「弱さ」に気づく。そして、その気づきの後、彼らの症状は回復の兆しをみせ始める。
病が起点となる物語は、医師・伊良部の登場によって転がり、主人公自身の気づきによって「結」(ラスト)に向かうのである。
誰でも抱える心の病。
しかし、現実には、医師・伊良部は存在せず、心の病は、そう簡単に治せるものばかりではない。それが分かっているからこそ、この小説に登場する主人公たちが自分自身の姿に気づき、回復の兆しが見えてくる瞬間は、実に爽快だ。