ゆるっと読書

気ままな読書感想文

【メディアをつくる】「ない」なら「つくる」

2012-04-27 23:09:40 | Weblog
メディアをつくる――「小さな声」を伝えるために (岩波ブックレット)
白石 草
岩波書店

「ない」なら、「つくる」。

この考え方が、とても好きです。

 

これが「ない」。

あれが「ない」。

と嘆いてみても、はじまらない。

 

上手くいか「ない」ことを

誰かのせいにしたり、

環境のせいにしていては、何も生まれない。

 

「ない」なら、自分が「つくる」。

今、あるものに満足できないのなら、自分が「変える」。

 

この考え方に従って行動していくと、壁にぶつかったり、他人から批判されても、ちゃんと突破口が見えてくる気がします。

 

時々は、やはり凹んだり、愚痴も出ちゃうこともありますが、

「つくる」「変える」の基本に立ち返れば、大丈夫。と思います。

 

私も活動に参加しているNPO法人OurPlanetTV(アワー・プラネットTV)代表・白石草さんが書いた著書「メディアをつくる」(岩波ブックレット)に、次のような一節がありました。

 

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ジャーナリズムの語源は、「日々書く日記」だと言われる。

 

個人個人が尊重される、より公正で平等な社会を目指すには、国益を優先しがちなマスメディアに頼るのではなく、社会を構成する個人が自ら情報の担い手となり、情報の多様性を確保するしかない。

 

映像のみならず、まさに「日記」であるブログを含め、多くの人が日々を記録し発信することこそ、権力から距離を置いた新たな「ジャーナリズム」が実現できることを理解したのである。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ブログであれ、SNSであれ、自分の意見や感想を投稿することは日々の記録であり、情報発信であり、「ジャーナリズム」ですね(*^_^*)。

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【働きながら社会を変える】 辛い過去も、いつか、いい仕事の核となる

2012-04-26 21:12:57 | Weblog
働きながら、社会を変える。――ビジネスパーソン「子どもの貧困」に挑む
慎 泰俊

英治出版

 

過去を変えることはできない。

それは時間の流れの彼方に鎮座しつづける。

僕たちが過去に対してできることは、意義を付与することだけだ。

 

なんらかの苦しい思い出からつくられてしまった心の傷だって、

やり方によっては、よい方向に導くことができるかもしれない。

 

嫌な自分を変えようという思いが、何らかの善行に人を駆りたて、その行動が成功体験につながる可能性がある。

もちろん、「他人からよく思われたい」という動機だけで何らかの行いを続けるのには限界がある。

が、入口としてそういった気持ちを抱くことは、否定しなくてもよいと思う。

 

それに、心に傷を持っている人は、同じような境遇にある人の苦しみを理解することができる。

 

人間は、自分の経験の延長線上でしか、他人のことを理解できないのかもしれない。

 

(中略)

 

児童養護施設にいる子どもたちは、他人の心の痛みをよりよく理解できると思う。

そして、それがいつか、かけがえのない財産となる日がくるかもしれない。

 

茨木のり子さんの詩「汲む」を思いだす。

 

あらゆる仕事

すべてのいい仕事の核には

震える弱い「アンテナ」が隠されている

きっと・・・。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

慎泰俊さんの著書

『働きながら社会を変える ビジネスパーソン 「子どもの貧困」に挑む』(英治出版)を読みました。

 

この本は、著者の慎さんが、本業とは別に、児童養護施設の子どもたちを支援する活動を始めることになった経緯、児童養護施設の子どもたちが抱えていること、施設を取り巻く環境や課題などをまとめています。

 

私の心にとまったのは、上記の箇所でしたが、

 

茨木のり子さんの「汲む」という詩は、いいですね(*^_^*)

 

震える弱い『アンテナ』

とは、何でしょう?

 

心の弱さ、心の中にある痛み、心に負った傷

それらを感じとる能力 かな・・・。

 

心に痛みを感じること

心に傷を負うこと

 それらは辛い経験ですが、

その後の人生において「いい仕事」の「核」となる可能性もある。

そう信じたい。と思います。

 

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【感覚と幽い風景】「つながる」と「キレる」

2012-04-13 23:45:48 | Weblog
感覚の幽(くら)い風景 (中公文庫)
鷲田 清一
中央公論新社

「これって、ちょっと不思議な光景かもしれない」

帰宅の電車に乗ったとき、ふと、こんなことを考えました。

 

車内はそこそこ混みあっているのですが、シーンと静か。

座席に座っている人、吊革につかまっている人、ドアのすぐそばに立っている人、

乗客を見渡すと、それぞれの視線は、手元に注がれています。

多くが、携帯電話かゲーム機の画面を見ていたのです。

 

車内で隣にいる人とは、特に言葉を交わさない。

一方で、携帯電話では、どこか別の場所にいる人に、メールやコメントで言葉を交わしている。

 

車内は静かですが、電波を介してやりとりされている言葉を声にしたら、

とても騒がしいのかもしれない。

そんなことを考えました。

 

鷲田清一さんの「感覚の幽い風景」という本の中に、次のように書かれていました。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

電車のなかで半数以上のひとが、だれに眼を向けるでもなく、うつむいて携帯電話をチェックし、指を器用に動かしてメールを打つシーンに、もう誰も驚かなくなった。

 

誰かと「つながっていたい」と痛いくらいに思う人たちが、たがいに別の世界の住人であるかのように無関心で隣り合っている光景が、わたしたちの前には広がっている。

 

いつの頃からか、十代のひとたちが「キレる」という言葉を口にしはじめた。

「腹がたつ」ではもちろんなく、

「アタマにくる」でも「むかつく」でもなく、「キレる」。

(中略)

このように、「つながっていたい」という想いが一方であり、「キレる」という行動が他方にある。

 

誰かとつながっていたいというのは、自分がその人に思いをはせるだけでなく、その人もまた今の自分のことを思ってくれているという、そういう関係の中に浸されていたいということだ。

「寂しいから」と人はいう。

 寂しいのは、自分がここにいるという感覚が、自分がここにいるという事実の確認だけでは足りないからである。

 

(中略)

近代の都市生活とは、個人にとっては、社会的なもののリアリティがますます親密なものの圏内に縮められていく、そういう過程でもある。

 

現代の都市生活の存在感情の底にあまねく静かに浸透してきているように思われる「寂しさ」。それが、いま、誰かと「つながっていたい」というひりひりした疼きとなって現象しているのではないだろうか。

 

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「つながる」と「キレる(切れる)」

 

社会の中にある出来事・現象が、ちょうど相反する表現であらわされているのは

興味深いですね。(^_-)-☆

 

私自身、メールやFB、ツイッターを使っていますが、

「誰かに読んでもらえているといいな」とか、

 

「私はこれが好きなんだけど、他にも同じものが好きな人いるかな?」

「私と同じようなこと考えている人いるかな?」

「こんな疑問を持っているんだけど、他の人はどうなんだろう?」

などと、思っているから。

 

だと思います。

 

たしかに「つながっていたい」という気持ちも、どこかにあるのかもしれません(*^_^*)。

 

「つながろう」とする行為の裏に、「寂しさ」があるとしても、それは、それで、いいんじゃないかな?

 

人は、一人ではいきていけないし。

つながるため手段が、今は、いろいろ選択できる世の中になっているのだと思います。

 

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【内田樹さんのブログより】天職とは

2012-04-11 23:28:51 | Weblog

仕事というのは自分で選ぶものではなく、仕事の方から呼ばれるもの。

 

「天職」のことを英語では「コーリング(calling)」とか「ヴォケーション(vocation)」と言います。

 

どちらも原義は「呼ばれること」。

私たちは、自分にどんな適性や潜在能力があるかを知りません。

でも、「この仕事をやってください」と頼まれることがあります。

あなたが頼まれた仕事が、あなたを呼んでいる仕事。


仕事の能力については自己評価よりも外部評価の方がだいたい正確です。

 

頼まれたということは外部から「できる」と判断されたということであり、その判断の方が自己評価よりも当てになります。

「キャリアのドアにはドアノブがついていない」。

 

キャリアのドアは自分で開けるものではありません。

向こうから開くのを待つものです。

 

そして、ドアが開いたら、ためらわずそこに踏み込むのです。

 

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内田樹さんのブログより

「仕事力」(一部改変)です。

http://blog.tatsuru.com/2012/04/02_1306.php

 

私の場合、大学を卒業する頃は、いわゆる「超氷河期」でした。

しかも、「へんてこりん(変わった人)」なので、

大学生の時は、就職活動をまったくせず…(;一_一)

卒業してしばらく経ってから、「出版関係のお仕事をしたい」と思いはじめ、

いくつかの段階を経て、現在の会社に就職しています。

それから10年近く、経とうとしています。

 

今の仕事をしているなかで、いろいろ思うことはありますし、

現在の職場で働き続けるかどうかは分かりません。

でも、内田先生が指摘されている「Calling」を受けとめていくと、

どんな仕事でも、それなりにできるようになりそうです。

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