ゆるっと読書

気ままな読書感想文

【エンブリオロジスト】この仕事を知っていますか?

2010-03-28 23:52:25 | Weblog
エンブリオロジスト-受精卵を育む人たち-
須藤 みか
小学館

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「エンブリオロジストを知っていますか?」
ある会に集まった参加者に、こう問いかけた人がいた。

私は、医療には近い分野で仕事をしているが、恥ずかしながら、この職業を知らなかった。
なんとなく聞いたことはあったかもしれないが、具体的にどのような立場で、何をする人なのかを知らなかった。

問いかけた人は、「エンブリオロジスト 受精卵を育む人たち」を紹介し、一読を勧めた。
翌日さっそく手に取り、読んで、驚いた。

エンブリオロジストとは、体外受精において卵子や精子を取り扱う仕事をする人たちだ。受精卵を母体内に戻す医療行為をおこなうのは医師だが、体外で卵子や精子を取り扱うのは医師とは限らない。

エンブリオロジストは、日本では現在1400人程度いるそうだ。
不妊治療を受けている患者さんと向き合うこともあり、また、卵子や精子を取り扱うことはとても大きな責任を負う。倫理観も問われる仕事だろう。
しかし、エンブリオロジストは国家資格ではない。もともと臨床検査技師の人もいるし、獣医学を学んできた人もいる。学会による認定はあるが、個人間の技術の差もかなりあるという。

こうした実態は、これまで、あまり明らかにされていなかったと思う。

エンブリオロジストについてその仕事に関わる人たちの思いを拾い、置かれている立場の曖昧さや、不妊治療の課題などを指摘した本書の意義は大きいだろう。

なによりも、この本の内容に厚みを持たせたのは、著者自身が不妊治療の経験者であったことだ。
「エンブリオロジストについて知りたい」という思いの強さが文章に出ている。
「知りたい」「伝えたい」という思いが、執筆の原動力になるということを感じさせられた。
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【ドキュメンタリーは嘘をつく】ドキュメンタリーを見る覚悟

2010-03-14 23:05:37 | Weblog
森達也さんのドキュメンタリー映画「A」、「A2」を、まだ見ていない。

公開された頃に、話題になっていたことは記憶にある。
ほかの多くのメディアとは異なる角度からオウム真理教の人たちを取り上げた映画だということも知っていた。

しかし、その当時の私は、自分の身の回りにあった事柄で心が塞がれていて、「ドキュメンタリー映画を見よう」という気力がなかった。だから「A2」を見る機会も逃した。

ドキュメンタリー映画を見るには、気持ちの余裕が必要だと思う。

社会的に問題となっているテーマを取り扱っている作品は、見終わったあとにすがすがしい気持ちになれないと予想がつく。
重いテーマを突きつけられ、訴えかけられ、考えさせられても大丈夫な心理的な余裕があり、そういう作業をすることに価値を感じなければ、「ドキュメンタリーを観に行こう」とは思えないものだ。

ところが、最近の私は、ドキュメンタリー映画に興味を持っている。

社会人としてある程度の年月が経ち、さまざまな事柄を受け止めることができるようになった。嫌なことや辛いことがあっても、流していける術のようなものも、ある程度見につけた。そして、ドキュメンタリーを見る余裕ができたのだろう。

森達也著の「ドキュメンタリーは嘘をつく」は、ドキュメンタリーとは何か?について、著者自身が考えながら書いている。

著者によると、ドキュメンタリーは、被写体のありのままの姿を映したものではない。

カメラに録画されるのは、作り手が被写体に干渉した結果である。
被写体にどのような干渉をして、どのような姿を引き出すかという過程には、作り手の作為も存在する。

公平中立な視点は存在しない。存在するのは作り手のエゴ。

ドキュメンタリー映像として被写体を衆人の目に晒すことで、被写体やその関係者を傷つけることもある。それでも公開する覚悟するのが、ドキュメンタリーだという。

こうした事を作り手が強く自覚してつくっている作品であれば、見る側が「見る覚悟」を求められるのが分かる。

作り手が被写体と生身のぶつかりあいをしているのだから、それを見る側にも気合が要るのは当然だ。
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