![]() | 障害受容再考―「障害受容」から「障害との自由」へ田島 明子三輪書店このアイテムの詳細を見る |
【障害受容再考】「障害を受け入れる」という考え方に潜む罠
もし、交通事故にあったり、脳卒中になったりして、これまで思いどおりに動かすことのできた身体に障害を持つことになったら、どんなことを考えるだろうか?
そんなことを想像してみることがある。
大きなショックや深い悲しみ、「どうしてこんなことになったのか?」という怒りを経て、それでも、生きている自分に向き合って、なんらかの価値や希望を見つけるように努力していかなければならない。
障害を受け入れて、障害を持っていても明るく生きていく道を見つけなくてはならないだろう。そんな想像をしていた。
『障害受容再考』は、「障害受容」という考え方について検討した本だ。リハビリテーションに携わる立場にいた著者・田島明子さんは、「障害受容」という言葉の使われ方に不快感や疑問を感じていた。それが、検討の出発点になっている。
「障害受容」とは、「障害を受け入れる」という考え方といえる。
本書によると「障害を持つ人が、障害を持つことが自分自身の価値を下げるものではないと考え、劣等感や恥辱感を克服して、積極的な生活態度に転ずること」とされている。(上田敏氏の定義)
一見すると、何も疑問を持たずに「なるほど」と思ってしまいそうな概念だ。
しかし、本書を読むと、この「障害受容」の考え方に潜んでいる価値観について考えさせられる。
「障害受容」に潜むのは、「できること」=良いこと、という価値観だ。
障害者は、健常者よりも「できない」人。障害者は、「できない」ことがある自分自身を自覚して、「できる」ことを増やしたり、「できる」方向に近づける努力をしていくような態度に転換することが大切だという価値観である。これは、障害者個人に努力を強いるものでもある。
障害=「できない」に関して否定的な価値を、障害者に押し付け、植えつけてしまう可能性もある。結局、障害者は、「障害というマイナスを抱えた自分」として、自分自身を位置づけなくてはならない。「障害はマイナスだが、それを受け入れて、卑屈にならず、前向きに生きていきなさい」といわれているようなものだ。
「できる」=良い、という価値観は、社会の中に根強くあるだろう。
しかし、この価値観でとらえていくと、「できない」ことがある障害者の存在価値はいつまでも下位に置かれる。障害者がその価値観を受け入れて生きていくことは、心地よいことではないだろう。
「障害受容」という考え方については、さまざまな批判もされており、臨床現場では使わない人も出てきているそうだ。
「できない」=障害、をどのように捉えるか。
社会の制度の基盤となっている価値観や、障害者をとりまく人々が持つ価値観について、改めて考えさせられた。
「できる」と比較して考えるのではなく、もうひとつ別の物差しが必要な気もしている。