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気ままな読書感想文

【障害受容再考】「障害を受け入れる」に潜む罠

2009-08-31 18:40:34 | Weblog
障害受容再考―「障害受容」から「障害との自由」へ
田島 明子
三輪書店

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【障害受容再考】「障害を受け入れる」という考え方に潜む罠

もし、交通事故にあったり、脳卒中になったりして、これまで思いどおりに動かすことのできた身体に障害を持つことになったら、どんなことを考えるだろうか?

そんなことを想像してみることがある。

大きなショックや深い悲しみ、「どうしてこんなことになったのか?」という怒りを経て、それでも、生きている自分に向き合って、なんらかの価値や希望を見つけるように努力していかなければならない。

障害を受け入れて、障害を持っていても明るく生きていく道を見つけなくてはならないだろう。そんな想像をしていた。

『障害受容再考』は、「障害受容」という考え方について検討した本だ。リハビリテーションに携わる立場にいた著者・田島明子さんは、「障害受容」という言葉の使われ方に不快感や疑問を感じていた。それが、検討の出発点になっている。

「障害受容」とは、「障害を受け入れる」という考え方といえる。
本書によると「障害を持つ人が、障害を持つことが自分自身の価値を下げるものではないと考え、劣等感や恥辱感を克服して、積極的な生活態度に転ずること」とされている。(上田敏氏の定義)

一見すると、何も疑問を持たずに「なるほど」と思ってしまいそうな概念だ。
しかし、本書を読むと、この「障害受容」の考え方に潜んでいる価値観について考えさせられる。

「障害受容」に潜むのは、「できること」=良いこと、という価値観だ。
障害者は、健常者よりも「できない」人。障害者は、「できない」ことがある自分自身を自覚して、「できる」ことを増やしたり、「できる」方向に近づける努力をしていくような態度に転換することが大切だという価値観である。これは、障害者個人に努力を強いるものでもある。

障害=「できない」に関して否定的な価値を、障害者に押し付け、植えつけてしまう可能性もある。結局、障害者は、「障害というマイナスを抱えた自分」として、自分自身を位置づけなくてはならない。「障害はマイナスだが、それを受け入れて、卑屈にならず、前向きに生きていきなさい」といわれているようなものだ。

「できる」=良い、という価値観は、社会の中に根強くあるだろう。
しかし、この価値観でとらえていくと、「できない」ことがある障害者の存在価値はいつまでも下位に置かれる。障害者がその価値観を受け入れて生きていくことは、心地よいことではないだろう。

「障害受容」という考え方については、さまざまな批判もされており、臨床現場では使わない人も出てきているそうだ。

「できない」=障害、をどのように捉えるか。
社会の制度の基盤となっている価値観や、障害者をとりまく人々が持つ価値観について、改めて考えさせられた。

「できる」と比較して考えるのではなく、もうひとつ別の物差しが必要な気もしている。
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【食堂かたつむり】美味しい料理は、人を幸せにする

2009-08-21 21:56:29 | Weblog
食堂かたつむり
小川 糸
ポプラ社

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【食堂かたつむり】美味しい料理は、人を幸せにする

この本を読むと、たぶん、お腹がすいてくる。

何かを食べたくなるが、コンビニエンスやスーパーで購入したお弁当やおにぎりでは満足できないだろう。
手の込んだ料理でなくてもよいが、誰かが、心を込めて作ってくれたものが食べたいはずだ。

「食堂かたつむり」は、料理を媒介に、人と人との結びつきを確認したり、再生したりする物語である。

食べることは、生きることにつながっている。
生きるということは、ただ生命を維持しているということではない。
人は、人との繋がりの中で生きている。

主人公の倫子は、同棲していたインド人に突然去られたショックで言葉が出なくなった。
料理のイロハは、亡くなるまで一緒に住んでいた祖母から受け継いだものだ。祖母が遺した「ぬか床」だけが残り、それを抱えて、故郷へ帰る。
そして、疎遠だった母親のもとで、「食堂かたつむり」を開店する。料理は、食べる人のことを考えて、心を込めて作ったものだ。

「食堂かたつむり」にやって来て、料理を食べたお客には、次々と変化が起こる。ふさぎこんでいた人が元気になり、恋が実り、これまで伝えられなかった思いが伝わる。

倫子自身にも少しずつ変化が訪れる。これまで知らなかったことを知る。頑なに閉じていた心が開いてくる。

どんなに辛く、悲しいことがあっても、お腹は空いてくる。
そんなとき、何かを食べると、気持ちが少しホッとしてくる。
空腹が満たされると、辛さや悲しさまで少し和らいだ気がする。
そんな経験を思い出した。

その時は、「食べて気が済むなんて、単純だよなぁ」と思っていたが、改めて考えると、食べることはとても大切なことだ。

人は、他の動物や植物の生命を頂いている。
その点に敬意を示していることも、この物語に深みを感じた理由だろう。
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【希望 行動する人々】希望はどこにある?

2009-08-15 22:04:58 | Weblog
希望―行動する人々 (文春文庫)
スタッズ ターケル
文藝春秋

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【希望 行動する人々】希望はどこにある?

「希望 行動する人々」(文春文庫)は、ピューリッツア賞受賞したスタッズ・ターケル氏の「HOPE Dies Last」の翻訳書である。

タイトルを直訳すると「希望が死ぬのは最後」。「どんな状況でも、希望は最後まで死なない」という強いメッセージが伝わってくる。

この本は、ターケル氏が、米国でさまざまな活動をおこなっている人に会って、インタビューしたものをまとめている。例えば、ホームレスの支援者、上院議員、大学労働者の地位向上の活動家、米国に政治亡命した人、元アルコール依存症患者などなど。彼らは、自らの生い立ちや、活動を始めたきっかけ、活動の内容、そして希望について語る。

「希望とは、何か?」というターケル氏の問いに、それぞれが自身の考えを話している。

なかでも、私が興味をひかれたのは、食糧問題専門家のフランシス・ムーア・ラッペ氏の言葉だ。

『私たちが旅の途上で出会った人々は、世界中で最も希望に満ちた人々です。でも、それは、その人たちが「もちろん私たちは自分たちがこの闘争に勝利を収めることを確信している」と言うからではないのです。そうではなく、きわめて不利な状況に挑んで毎日行動を続けることで、彼らは希望を実感しているのです。彼ら自身が希望なのです。彼らは希望を探しているのではなく、希望はそこにあるのです。』

希望は、少し先の将来に存在して、人々がそこまでたどり着くまで待っていてくれるものではない。

希望は、問題や困難のある環境のなかで、それらを少しでも改善しようと動き出す人々がその手に持っているということだ。

「希望がない」などと言うのは、自分が行動を起こさないことを、第三者に責任転嫁したり、言い訳しているだけなのだろう。

さて、私自身は希望を持っているだろうか?と考えてみる。
大きな声でアピールするような事柄はしていないが、まったく何も行動していないというわけでもない。小さな事柄でも行動を積み重ねて、希望を膨らませていけるだろうか。
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