ゆるっと読書

気ままな読書感想文

【最後の瞬間のすごく大きな変化】キッチンテーブルライターに惹かれて

2009-04-27 22:57:55 | Weblog
最後の瞬間のすごく大きな変化 (文春文庫)
グレイス・ペイリー
文藝春秋

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『私ふうに言うなら「キッチンテーブルライター」のひとりである。』
朝日新聞(09年3月21日付)に、作家の落合惠子さんが、アメリカの女性作家グレイスペイリーのことを、こんなふうに書いていた。

それまで、グレイスペイリーという作家の名前すら知らなかった。
「キッチンテーブルライター」という表現から、まず、私が想像したのは、料理研究家の栗原はるみさんのような女性だ。

季節の野菜や果物を使って、ちょっと工夫し、味も見栄えも素敵な料理を作ってしまうような女性。「家族のために美味しいものを」と考える心温かい母親をイメージした。「キッチンテーブル」が「料理」を連想させたのだ。

しかし、グレイスペイリー著の短編集「最後の瞬間のすごく大きな変化」を読んで、最初のイメージは外れていたことが分かった。

短編1つひとつに描かれているのは、「明るい家庭」ではなく、自身や家族に問題を抱えている人びとだ。登場人物の女性は、おそらく、グレイスペイリー自身でもある。

夫婦、親子、近所の人びととの関係、日常生活で起きた出来事などが描かれているが、その背景には「人種問題」「貧困」「犯罪」「麻薬」「殺人」などが透けて見える。
そして、いくつかの物語は、救いようもない悲惨な結末で終わってしまう。

全体的に暗く、重い空気が流れているのだ。それでも、読んだ後、不思議なことに、それほど沈んだ気持ちにはならない。グレイスペイリーの視線が、どんな悲惨な出来事に対しても、サバサバしているからだろう。

グレイスペイリーは、人生の中で多くの辛さや悲しさを通り過ぎて、強さや、たくましさを身に着けた女性という印象を受けた。

人生の大先輩から、励まされているような気持ちがしてきた。

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【私を離さないで】重いテーマを不思議な世界観で包む

2009-04-20 23:35:14 | Weblog
わたしを離さないで
カズオ イシグロ
早川書房

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カズオ・イシグロ著の「私を離さないで」は、物語の根底に「生命」を取り巻く問題を据えている。ところが、後半に入るまで、そのテーマに気づかされずに読まされてしまう。

主人公が子ども(生徒)であり、子どもの視点で語られる思い出話のため、懐かしさや郷愁を感じているうちに、すっかり騙されてしまうのだろう。

主人公のキャシーは、「ヘールシャム」という場所にある施設にいる生徒。
友人たちのこと、先生のこと、施設でのルールなどなどを語っていく。
「何か特別なことが隠されている」ということは滲ませるが、「謎」は、なかなか明らかにされない。正直なところ、私自身は「少し前置きが長いな」とさえ感じてしまった。

しかし、ある章が始まると、意外なほどあっさりと「謎」が明らかにされる。
目の前に掛かっていたベールが上がり、登場人物たちの世界がはっきりするのだが、そこが結末ではない。登場人物たちも知らないもう1つの「謎」が、最後の最後まで隠されているからだ。

すべてが明らかにされたとき、読者は、改めて、「生命とは?」「生きることとは?」「運命とは?」など、重いテーマと向き合わなくてはならない。
読者自身が、人生の過程で少しは考えたことがあるかもしれない哲学的なテーマだ。

物語は終わっても、主人公のキャシーの「その後」を想像させ、読者に考えさせる。
その余韻の残し方は、かなり渋い。


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【インタビュー術】「する人」と「される人」の距離

2009-04-05 12:12:36 | Weblog
インタビュー術! (講談社現代新書)
永江 朗
講談社

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永江朗著の「インタビュー術」は、タイトルどおり、「インタビューの準備」「インタビューする際の注意点」「インタビューのまとめ方」などをまとめている。
インタビューの「術」=手法を紹介した本だ。

メディアで仕事をしている人にとっては、「手法」の部分は、取り立てて注目するような内容は盛り込まれていないと思う。
どんな仕事にも当てはまるかもしれないが、基本的なことをいかに実践するかが、良い成果をだすための前提だろう。

考えさせられたのは、この本の根底に置かれている「インタビューとは何か?」という問いだ。これは、「インタビューする人(インタビュアー)」と「インタビューされる人(インタビュイー)」の距離の問題につながる。

本書では、「インタビューとは何か?」を考える際の参考として、テレビのインタビューの事例が挙げられている。永江氏は、とりあえずの大別として、テレビのインタビューを「田原総一郎」型と「黒柳徹子」型に分けて、その特長を説明する。

田原総一郎は、「斬り込み型」。

討論番組を仕切ることが多いが、「郵政民営化」などのテーマについて、何がテーマなのか、どういう状況になっているかを説明し、ゲストの位置(賛成派、反対派)を明確にする。そして、「あなたこういいましたね」「こうしましたね」「あなたの言っていることに、こんなことを言っている人がいますよ」などと畳み掛け、相手に切り込んでいく。

黒柳徹子は、「引き出し型」

「徹子の部屋」の場合、事前にゲストのことを細かく調べているが、黒柳は「なんでも、あなたは、○○なんですってね」などと、きっかけをつくっていく、ゲストはそれを受けて、「そうなんですよ。実は・・・」と話を引き出される格好になる。

単純な分類だが、インタビュアーの役割が分かりやすい。

ただし、紙媒体の場合は、実際のインタビューでのやりとりから、内容が取捨選択され、再構成して、掲載される。実際のインタビューで「インタビューする人」「される人」の距離をどうするかというポイントに加えて、掲載用の原稿としてインタビューをまとめる際にも「する人」「される人」の距離感がポイントになるだろう。

永江氏は「インタビューは虚構だ」と指摘するが、「その虚構をどうつくるか?」で読み応えが決まる。そして、それには、インタビューする人の「距離感」の捉え方が関わっていると思う。

最近、「これは、よく聞き出したなぁ」「面白いなぁ」と感動するようなインタビューに出会っていない。ただ「旬な人だから」の1点でつくったインタビューでは、つまらない。

インタビューする人が、自分自身の立ち位置や、相手との距離感を考えることなく、「ただ仕事だから、こなしている」という姿勢が滲み出ている気がする。

インタビューする人、される人の間に、良い緊張感が生まれているようなインタビューが読みたい。
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