ゆるっと読書

気ままな読書感想文

【時が滲む朝】故郷への思いは消えない

2009-03-21 09:41:50 | Weblog
時が滲む朝
楊 逸
文藝春秋

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中国、天安門に集まり、民主化を訴えた人々の集団に戦車が突っ込んでいった光景を、テレビ画面でおぼろげながら見た記憶がある。

「中国って、自由がないんだな」。
そんなことを思った気がする。

その後、中国に関する話題は、経済の急速な発展、農村と都市部の格差、北京オリンピックなどで占められ、天安門のデモに参加していた学生たちがその後、どうなったのかということを想像することはなかった。

「時が滲む朝」は、中国の農村部から大学に進学した青年が、天安門事件をきっかけに、思い描いていた将来を大きく変更せざるを得なくなる物語である。

中国の農村部の生活風景。
向学心や向上心の強さ。
青年たちの「国」への熱い思い。
「民主化」を唱える人びとを押さえ込む政府の力。
いったん、「反政府」のレッテルを押されると、抗いようがない社会。

この小説では、それらが、柔らかい文体で、描かれている。
純真な思いを抱いていた青年たちが、天安門事件をきっかけに、翻弄されてしまう姿は、なんとも哀しい。

日本人の私は、「国」について深く考える機会は少ないと思う。
しかし、オリンピックでは日本チームを応援していたり、海外旅行に出かけるとその国と日本を比べて、日本の良さを感じたりする。そんな時、やはり、「自分が生まれ育った国が好きなのだ」と実感する。

この小説に登場した青年たちは、天安門事件の後、苦境の中で、それぞれの人生を生きている。時が経っても、変わらないのは「国」に対する熱い思いだ。

学生時代にデモに参加した経験のある「団塊世代」の読者には、少し懐かしい気持ちがよみがえるかもしれない。

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【鴨川ホルモー】ホルモンじゃなくてホルモーが青春だ

2009-03-13 22:13:14 | Weblog
鴨川ホルモー
万城目 学
産業編集センター

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「ホルモン」ではなく、「ホルモー」。
この小説を手に取ったら、たぶん、頭の中で確認してしまうだろう。

この「ホルモー」という響き。何のことだろう?と興味をひかれる。
「ホルモー」とは、「オニ」を使って戦う競技のことだ。

舞台は、京都。
京都大学に入学したばかりの俺、「安倍」が主人公。
いきなり、怪しげなサークルに勧誘され、「オニ」の使い方を伝授されていく。
そして、京都にある大学対抗競技「ホルモー」に参戦することになる。

「ホルモー」は団体競技。大学、サークル、団体競技とくれば、メンバー同士の人間関係、恋愛がミソになる。

「オニ」の使い方を伝授されていく過程は、「オニ」の存在が浮いている感じがして、「マンガみたいだなぁ」という印象が強かった。

しかし、サークルのメンバー同士の人間関係、恋愛模様が色濃く描かれだす後半部分は、「オニ」について、「まあ、こういう存在があってもいいかぁ」と思えてきた。

青春の思い出となるような出会い、出来事。誰にでも似たような経験があるだろう。
そこに「オニ」を使った「ホルモー」を、スパイスに使っている。

大学卒業から時間が経っている人は、読み終わった後に、懐かしく、爽やかな気持ちになれる。


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【変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから】豊かさの価値観

2009-03-10 22:56:12 | Weblog
変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから
清水 義晴,小山 直
太郎次郎社

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著者は、「まちづくり」のコーディネーターである清水義晴さん。

本書は、清水さんが関わった「まちづくり」の事例や、清水さん自身の人生の一端が紹介されている。清水さんに影響を与えた人々も登場する。

「まちづくり」の紹介事例は、どれも、とても興味深い。
各事例に取り組んだ関係者、キーパーソンの人柄はユニークで、彼らの熱い思いには刺激を受ける。

ただし、本書は、少々ごった煮の印象があり、「まちづくり」の各事例も概要を紹介するだけで終わってしまっているのが残念だ。各事例について、もっと深く知りたいと思った。

「まちづくり」とは縁がない人でも、本書を読むと、自分の生き方や価値観と照らし合わせて考えさせられる点がでてくるだろう。

ポイントは、『「競争することを選ばない」という価値観をどう考えるか?』である。

清水さんは、次のように書いている。

商売というのは放っておくと、自然と競争に巻き込まれてしまいます。この競争には終わりがありません。たとえ一度は「勝った」としても、勝ち続けるためには、企業も人も気が遠くなるほどのエネルギーを必要とします。しかし、いったい私たちは、なんのために勝ちつづけなければいけないのでしょう。勝つことの目的とは、なんなのでしょうか。一度このことを、立ち止まって考えてみることも必要ではないかと思います。

清水さんは、金銭至上主義とは異なる価値観を示し、その「豊かさ」を伝えようとしている。もうひとつの価値観は、清水さんが、社会が切り離そうとしてきた人たち(例えば、精神障害者)から学んだものだ。

「弱いところ」「小さいところ」「遠いところ」は、「競争」においてはマイナス要素だが、もうひとつの価値観から見ると「豊か」に生きるための要素になる。

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【フェルマーの最終定理】エレガントという言葉が似合う学問

2009-03-04 21:59:16 | Weblog
フェルマーの最終定理 (新潮文庫)
サイモン シン
新潮社

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高校の授業で習う数学、数式に対して、「こんなの覚えて、将来、何の役に立つの?」「こんなの分からなくたって、生きていける」などと、愚痴をこぼした人は少なくないだろう。

しかし、サイモン・シン著「フェルマーの最終定理」を読むと、数学が面白そうだと思えてくる。

数学者たちは「エレガント」という表現を使うが、数式が成り立つ時の「筋が通った感じ」は「エレガント」という形容がふさわしいと思う。

「フェルマーの最終定理」は、約350年前に、数学者フェルマーによって示された数式である。フェルマー自身はこれを証明したと書き残したが、証明の具体的な方法は不明となった。

この定理は、一見、簡単に証明されそうに見える。
しかし、そうではなかった。
さまざまな数学者が、証明に挑戦したが、失敗に終わっていたのだ。

サイモン・シン著「フェルマーの最終定理」は、フェルマーの最終定理を解くことに挑戦した数学者たち、そして、ついに証明に成功した数学者アンドリュー・ワイルズを追っている。

数式の細かい部分は理解できないが、数学者たちがそれぞれどのようなアイデアを使って証明に挑戦したかは分かる。

ワイルズによる証明も、一筋縄ではいかなかった。
「フェルマーの最終定理を証明した」と公表し、メディアが報じたのち、欠陥を発見するのだ。その欠陥を補わなければ、過去の挑戦者たちと同じように、ワイルズも失敗に終わるかもしれなかった。

しかし、ワイルズは、欠陥を補い、証明を完成させる。
その過程には緊迫したドラマがある。

「フェルマーの最終定理」に人生をかけた数学者たちは、多くの人は失敗に終わったわけだが、それでも幸せだったにちがいない。

ワイルズは、最終定理を証明した後、「フェルマーのように、私をしっかりと捉えて離さない問題にはもう出会うことはないと思うのです」と言っている。
それほどまでに情熱を注いだものだった。

人生をかけるほど夢中になれるもの。
それに出会えたことが素晴らしい。

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映画【マンマ・ミーア】女は歳を重ねても元気だ

2009-03-01 23:24:10 | Weblog
映画【マンマミーア】

女性は歳を重ねても元気だなぁ。。と感じさせるミュージカル作品。

結婚を控える娘が、古い母の日記を読み、父親と思われる3人の男性に母の名前で手紙を書く。

父親が誰であるかを知り、結婚式に臨みたいというわけだ。

ストーリーは、特に起伏があるわけではないが、歌と踊りで魅せていく。

なんといっても、母親とその友人2人の「中年女性3人組」のパワフルさ。
突き抜け感が元気をくれる。

男性よりも女性のほうが、なにかと元気で、たくましいのは、万国共通なのかも
しれません。
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