ゆるっと読書

気ままな読書感想文

【自分を愛する力】自分自身を「愛する」には、誰かから「愛される」こと、誰かを「愛する」ことが必要

2013-04-24 20:10:42 | Weblog
自分を愛する力 (講談社現代新書)
クリエーター情報なし

講談社

 

「失敗は、成功の素(もと)」。

失敗した時、励ましや気持ちの切り替えに使える言葉です。

 

でも、「成功」と「失敗」は表裏一体で、

「成功」=ゴール、「失敗」=ステップ、ではないのかもしれません。

 

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人生における「成功」ってなんだろう?

 

突きつめて考えてみると、どんなにお金持ちになろうが、偉い学者になろうが、

人間は誰しも必ず死ぬわけです。

 

そう考えたとき、人生を生きることの意味というのは、成功するということではなく、

どれだけいろいろなことを味わうか、「経験」できるかということだと思うんです。

 

「成功」も大事な経験なんだけれども、

実は「失敗」のほうがはるかに多くのことを学ばせてくれる。

 

いろんなことを考えたり、

自分を変えるきっかけになります。

 

だから、「失敗」はとても豊かな経験なんです。

「失敗」と考えているものが、本当に失敗なのか?ということですね。

 

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乙武洋匡さんの新書「自分を愛する力」の中に、

乙武さんと精神科医の泉谷閑示さんの対談「自分を愛せない人への処方箋」が収められていました。

上記は、泉谷さんの言葉です。

 

たくさんのことを学べる経験だと考えると、

「失敗」はマイナスではなく、むしろプラス。

 

「失敗」そのものに価値がある。

そういうことかもしれません。

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本書には、乙武さんが、どんなふうに育てられてきたか、

また、教師として、どんなふうに生徒たちを見つめていたか

さらに父親となって、自分の子育てどんなふうに考えているか

などがつづられています。

自分自身を「愛する」には、他者から「愛される」ことが必要であること。

そして、さらに、自分が誰かを「愛する」ことも、必要だといわれているように思いました。

 

 

 

 

 

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【旅するクジラ】マザーテレサの言葉 愛の反対は憎しみではなく、無関心

2013-04-19 09:01:47 | Weblog
旅するクジラ
クリエーター情報なし

木楽舎

 

「愛の反対は、憎しみではなく無関心です」

有名なマザー・テレサの言葉です。

 

私が、この言葉から考えるのは、2つのこと。

 

1つは、

「関心を持つことがスタートライン」ということです。

 

例えば、障がい者を取り巻く問題について

自分ができることは、わずかなことにすぎない。たいしたことはできない。

などと感じることがあります。

 

そんな時、

「無関心」よりは、まず、「関心」を持つこと。

そして、「何もしない」よりは、わずかなことでも「何かする」こと

そうすることで何かが見えてくるし、きっと、未来が開けてくる。

 

そう考えるようにしています。

 

もう1つは、

「社会の中で起きている問題について、敏感でありたい」ということです。

 

例えば、

震災で大きな被害を受けた東北の方のこと、

日本で生活している難民の方のこと、

 

心に留めているつもりでも、

距離があったり、時間が経過するにつれて、

「無関心」に近い状態に流されてしまいそうな気がすることがあります。

 

愛の反対は、「無関心」。

自分への戒めの言葉でもあります。

マザーテレサの言葉は、

「旅するクジラ」という絵本の冒頭、帯に書かれていた言葉。

 

この絵本は、東日本大震災の被災地支援をされている華道家が、つくられたものです。

 

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【疲れすぎて眠れぬ夜のために】愛情とは、試すものではなく、育てるもの

2013-04-11 21:23:01 | Weblog
疲れすぎて眠れぬ夜のために (角川文庫)
クリエーター情報なし

角川書店

 

愛情は「試す」ものではありません。

「育てる」ものです。

 

愛情をずいぶん乱暴に使う人がいます。

相手が自分のことをどれほど愛しているのかを知ろうとして、

愛情を「試す」人がいます。

 

無理難題をふきかけたり、

傷つけたり、

裏切ったり、

               

さまざまな「試練」を愛情に与えて、それを生き延びたら、

それが「ほんとうの愛情だ」、というようなことを考える。

 

でも、これは間違っています。

 

愛情を最大化するには、愛情にも「命」があることを知る必要があります。

 

人間は、強いけれど、弱い。

がんばれるけど、がんばれば、その分疲れる。

無理して先払いしたエネルギーは、必ず後で帳尻を合わせるために回収される。

 

「一ランク上の自分」に取り憑かれた人は、

身体や精神が悲鳴をあげるまで痛んでも、なかなか休みません。

疲れて立ちどまると、そういう自分を責めます。

 

向上心は、確かにあるほうがいい。

でも、あり過ぎてはいけない。

 

自分の可能性を最大化するためには、

 

自分の可能性には限界があるということを知って

 

自分の可能性を「たいせつにする」ことが必要です。

 

 

ぼくたちの可能性を殺すものがいるとすれば、

それは他の誰でもありません。

 

その可能性にあまりにも多くの期待を寄せる

ぼくたち自身なのです。

 

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内田樹さんの「疲れ過ぎて眠れぬ夜のために」という本の中にあった、

「ワンランク下の自分に」というテーマで書かれたものです。(一部改変)

 

「ワンランク下」ではなく、「ワンランク上」を目指すことを促される

ような世の中ですが、

 

頑張ることは、良いこと。

でも、頑張りすぎないことも大切。

 

私自身、

自分の生活を振り返って、

時々、こう言い聞かせるようにしています。

 

「ほどほど」という言葉がありますが、

これが、なかなか難しいですね。

 

愛情も、

可能性も、

「育てる」という気持ちが、

鍵なのかもしれません。

 

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【人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか】「悩む」ことは、財産

2013-04-03 20:48:28 | Weblog
人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか (新潮新書)
クリエーター情報なし
新潮社

「悩む」ことは、

苦しいときもあるけれど、

一つの財産になるような気がしています。

 

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「人間関係が上手くいかない」と悩んでいる人は、

それだけでもう、

人間関係というものを見つめられる能力を持っている証拠である。

 

そういうものに悩まない人の方が鈍感で、

また周囲からは困った人だと思われている場合が多い。

 

悩む人は優しいし、割り切れる人は冷たい、という傾向もあるはずだ。

 

思う存分、悩めば良いと思う。

 

悩ましいものを自分で見つけたことが、その人の能力であり、

その発見にまず一番の価値がある。

 

悩める問題を抱えていることは悪い状態ではなく、

それを放棄して、ぱっと忘れてしまう方が

「馬鹿になるための方法」で、好ましくない方向性に見える。

 

もちろん、馬鹿になることが絶対に悪いとも断言できない。

たとえば、あまりに悩んでしまって自殺するよりは、

馬鹿なふりをして、少し生き続けてチャンスを待つ方が多少は良いように思う

(これも断言する自信はないが)。

 

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森博嗣さんの著書、

「人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか」(新潮新書)に

上記の記載がありました。

 

森さんは、物事を「具体的」にではなく、「抽象的」に考えることを勧めています。

人間関係についても、「抽象的」に考えることを提案されています。

 

例えば、

互いに理解を深めようとする人間関係には、相手の立場になって考えてみるなど、「抽象的」な思考があります。

 

一方で、損得のような具体的な何かをやりとりする関係は、上辺だけの関係にすぎないです。

 

仲たがいをするのは、相手の言葉とか行動とか、解釈の違いとか、タイミングのずれとか、

そういう「具体的」なものが引き金になります。

でも、「その人が、自分にとって本当に必要かどうか」という基本(抽象的な思考)に立ち返ると、冷静になり、細かいことはどうだってよくなるかもしれない、と言います。

 

勉強でも、ビジネスでも、ゴールを明確にして、

そこへ向かうための方策や計画も、より具体化していくことを求められる傾向があるように思います。

 

それは、より効率的な考え方かもしれません。

 

でも、「具体的」な思考ばかりではなく、

「曖昧さ」や「抽象的」な思考も、持っていたほうが、

心豊かに過ごせるような気がしています。

コメント (1)
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