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気ままな読書感想文

【水の中の哲学者たち】大人になるにつれて、世界がだんだん狭くなる

2022-12-25 20:58:30 | Weblog

子育てをしている友達から、「子どもの一言に、はっとさせられることがある」と聞くことは、よくある。

子どもの発言が、物事の核心をついているように感じたり、

大人が言葉にすることができずにいたことを

子どもにバッと言葉にされて、「それだ!」と気が付かされたりするようだ。

子どもは、自分が知っている言葉、多くの人にとって分かりやすい言葉で発言するから、

それが、大人の心にストレートに響くのかもしれない。

私自身は子育てをしていないので、そうした体験することは少ないが、

母親となっている友達や知人の話を聞いて、幼い子どもとの会話は、大人にとって「哲学」することになるのかもしれないと思う。

哲学の研究者・永井玲衣さんは、学校や企業などで「哲学対話」を行っている。

「哲学」というと、なんだかとても難しそうな印象がするが、

集まった人たち(生徒や社員、一般の人々)が、共通の問いについて、自分の考えを話し、他人の考えを聞くものだ。

考えを闘わせる「ディベート」とは異なり、他人の考えを聞いて、自分の考えを深めていく、時には、恐れずに自分の考えを

変えていくものだという。

著書「水の中の哲学者たち」には、著者が実践した「哲学対話」のエピソードが収められている。

本書の中で、哲学対話の参加者が考える「問い」について、次のようなことが書かれてあった。

 

ある小学校で哲学の授業をしたとき、子どもたちに、考えてみたい問いを紙に書いてもらった。

全国どこでも相変わらず小学生に人気なのは「なぜ、ひとは生きているのか?」「死んだらどうなるのか?」

「人間とは何か?」で、年齢が上がっていくと「本当の友だちとは何か」「なぜ目上の人は敬わないとならないのか」など、

人間関係の問いに入っていくのが面白い。

高校生や大学生になると「責任とは何か」「平等であることは可能か」など社会正義の問題に集中し、

社会人になれば「なぜ人間関係はつらいのか」など、人生に対する疲労が見え隠れする。

 

私自身の人生を振り返って、子どもの時、学生の時、社会に出たばかりの頃、その時々でどんなことを考えていたか?

を考えてみると、まさに上記のような問いを考えていたように思う。

歳を重ねるにつれて、問いは、より現実的な内容になっている。

幼いときのほうが、広い視野で物事を見ていて、自分を取り巻く世界をずっと大きく捉えられていた気がする。

冒頭にあげた、大人(親)が子どもの言葉にハッとさせられる経験は、

「哲学対話」の一端に近いものかもしれない。

「哲学対話」は「正解」のない「問い」を考えることだ。

そういう時間を持つ、そういう時間をつくることが、

点数やお金には代えられない価値があるように思う。

コメント
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