ゆるっと読書

気ままな読書感想文

「あいつは絶対許さない」と思う相手を許す意味

2023-08-21 07:37:21 | Weblog

「あいつは、絶対に許せない」と思う相手がいたら、どうするか?
私なら、そんな相手には「関わらない」「距離を置く」だろう。
何らかの理由で関わらなくてはならないとしたら、どうか?
恨みを晴らすために何かするかもしれない。相手に対して何かをすることはなくても、心の中で軽蔑し続けるかもしれない。
だが、ネガティブな感情を持ち続けることは、気持ちの良いことではないし、疲れてしまいそうだ。
 
「絶望図書館」(頭木弘樹・編、ちくま文庫)に入っている「虫の話」(李清俊:イ・チョンジュン・著、斎藤真理子・訳)は、「許す」ということの意味について考えさせる短編だ。
 
薬局を営む夫婦の1人息子が誘拐され、惨殺され、死体で発見される。犯人はすぐに捕まり、夫婦の知り合いだった。
この物語は、この夫婦の夫の視点で語られる。
不幸な出来事を前にした妻の様子が語られていく。
息子の死後、生きる気力を失っていた妻は、知人の勧誘により、キリスト教を信仰しはじめる。
亡くなってしまった息子のために祈り始めるのだが、熱心に信仰するにつれて、獄中にいる犯人を「許す(赦す)」ことについて考え始めることになる。
「神」は、すべての人をお許し(赦し)になっている。
妻は、信仰に基づいて、犯人を許そうと考える。そして、ついに犯人との面会が実現する。
 
クライマックスは、犯人との面会が実現した後のことだ。
彼女が犯人と会い、話をした後、どうなったのか。
結末まで、ぜひ、読んでほしい。
読者の多くは、妻の選択を知った後、自分自身にとって「許す」ことはどのような意味を持つか考えることになる。
結局、「許す」ということは、相手のためではなく、自分自身のためのものだということになるだろう。「許す」ということは、恨みや憎しみから自分自身を解放するものだと思う。「許す」ことで救われるのは、自分自身だ。
どんな人でも、大なり小なり「許す」「許される」経験をしたことがあるだろう。この物語は、読者自身が自らの経験を振り返り、「許す」ことの意味を考える機会を与えてくれる。
 
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勝つために、坊主頭は必要か?

2023-08-13 13:12:28 | Weblog

 

夏の甲子園、全国高等学校野球選手権大会で、「坊主頭でないチーム」が注目を集めている。 強豪校がひしめく神奈川県の代表となった慶應義塾高校で、チームを率いる監督は「髪型自由」「長時間練習なし」という方針だという。

甲子園に出場する選手たちの多くの髪型は、坊主頭。 強豪校では、部員に坊主頭を強制しているところもあるそうだ。 強制はしていなくても、髪型に関する同調圧力があり、部員それぞれが髪型を自由に選べない環境があるのだろう。

野球の試合で勝つために、必要なものは何か?

選手それぞれの力を高め、一つのチームとしてまとめるために、必要なものは何か?

坊主頭が必要なのか?

「坊主でないチーム」の甲子園出場が注目されていることは、野球部内の「慣習」「規則」について、「何のためにあるのか?」を考え直すきっかけとなるに違いない。

「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」(鈴木忠平・著、文芸春秋)は、プロ野球の中日の監督を2004年から2011年まで務め、リーグ優勝4回や日本一1回の成績を残した落合監督について書かれたノンフィクションだ。

川崎憲次郎、森野将彦、福留孝介など、当時、中日に所属していた選手を取り上げ、落合が選手それぞれとどのような距離感で、どのような関わりがあったかを書いている。著者自身が落合に接したり、交わした言葉から感じていたことなども交えて書いている。 メディアを通して伝えられる落合の言動は、見聞きした人を惹きつけるよりは、見聞きした人から嫌われることが多いように思う。

しかし、この本を読むと、チームを優勝に導くという監督の役割、仕事を追求した結果が「嫌われる」ことだったのかもしれないと思えてくる。 野球部の上下関係に嫌気がさして練習にいかなかったことなど、プロ野球選手になるまでのエピソードを知ると、落合は納得いかないことには徹底的に反発する強い意思の持ち主だといえる。

その強い意思があったからこそ、もともと持っていた自分の才能を開花させることができたのかもしれないし、 落合の才能に気が付き、その性格を知って、彼の才能を発揮できる場をつくってくれた人がいたのだと思う。そういう人と出会えた運もあっただろう。

監督としての落合はただ、それまで自分のやり方を貫いただけで、 「勝つために必要なこと」を追求した結果、チームは強くなり、落合個人は「嫌われた」といえるのかもしれない。

「好かれる」ために何かすることは、「勝つために必要ではない」という考えだったのかもしれない。

Amazon 「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」

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