ゆるっと読書

気ままな読書感想文

【大人の流儀】大人の男の仕事とは

2012-05-16 21:36:04 | Weblog
大人の流儀
クリエーター情報なし
講談社

「大人の仕事とは、なんぞや」

 

伊集院静さんの著書「大人の流儀」に収録されているエッセイに、こんなタイトルのものがありました。

 

作家は個人の仕事ですが、伊集院さんのお父様は事業をされていたとのこと。

お父様から言われた事も交えて、仕事について、次のように書かれています。

 

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企業は十年、二十年の単位で計るものではない。

五十年でようやくといっても過言ではなかろう。

それほど大きな集合体だ。

 

ただ金を儲ける目的なら企業とは呼べない。

 

企業の素晴らしい点はそこで働く人々の人生をも背負っていることだ。

当然、人々には家族があり、そこには未来が(子供たちのことと考えてもらっていい)かがやいている。

 

それらのものをすべて抱え、なおかつ企業は社会を豊かにし、人々に何らかの貢献をしていかなくてはならない。

 

若い人たちは給与で企業を判断するが、己の判断を預け、そこで懸命に働くことが人間形成につながるかということこそが肝心なのだ。

 

私の父は、私が後半生を作家として生きたいと話すと、

―― つまらぬことを、独り仕事が…。

と嘆いた。

 

父は事業をやり遂げ、社員とともに働き、成長することが大人の男の仕事であると信じていた。

 

この頃、つくづく父の考えが正しいと思える。

 

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最近の若い人は、「やりがい」を求めて就職を探しているとも聞きますので、

「給与で企業を判断する」というのは、当てはまらないかもしれません。

 

大きな組織でなくても、同僚や仲間と「ともに働き」、「成長していく」ことって、とてもいいなぁ。と思います。

 

少しずつでも実現できたら、素敵ですね。

 

「ともに働き」「成長していく」ことに、先頭に立って取り組めるのが、

「リーダー」とか「経営者」とか呼ばれる人になるのかな?。

 

伊集院センセイは、「男の仕事」といわれていますが、

女性も頑張っていますよね。

 

私も、ほそぼそとですが、頑張っています(^_-)-☆。

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【壁を破る言葉】自分と向き合うチャンス

2012-05-09 20:40:10 | Weblog
壁を破る言葉
クリエーター情報なし
イースト・プレス

自分を見つめる。

このことについて、芸術家・岡本太郎さんが遺している言葉がありました。

 

自分の姿をありのまま直視する。

それは強さだ。

 

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すらすらといくらでも溢れ出てきて、

無限につくれるような気がするときもある。

壁にとじこめられて、ニッチもサッチもいかない、

悩めば悩むほどいきづまってしまう、絶望の季節もある。

 

そういうとき、どうするか。

 

焦らない。自分と向きあうチャンスだ、と思って

じっくり腰をすえて、自分は本当に何がしたいのか、

見極めることだね。

 

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「自分をありのまま直視する」のは、実は、なかなか難しい。

 

都合のよい部分だけ見ていたり、

余裕がなくて見ていなかったり、

見逃していたり・・・。

なんてことが多そうです。

 

でも、迷ったり、いきづまったりした時こそ、

自分を直視することが必要になるもので、大変なときこそ、難しいことをしなければならないのかもしれません。

 

そこで、岡本さんからは、

「焦らない」

「自分と向き合うチャンスだと思う」

「じっくり腰をすえて、何をしたいのか見極める」

というアドバイス。

 

なるほど(*^_^*)ですね。

 

上記の2つの言葉は、「壁を破る言葉」(岡本太郎・著、イースト・プレス)に書かれてあったものです。

 

「芸術は爆発だ!」で有名な方ですが、ストレートで心に響きました。

 

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【世界への道 義足のハイジャンパー鈴木徹の生き様】プロとはどういうこと?

2012-05-02 21:28:02 | Weblog

「プロフェッショナル」=プロとは?

 

しばらく前まで、「プロ」とは、「その分野で、お金を稼げること」だと思っていました。例えば、プロのカメラマンは、写真を撮影することでお金を稼ぐ。みたいな感じです。

 

でも、今は、それは少し違うかな。

と思っています。

 

お金を稼ぐことはプロの一つの要素かもしれませんが、

それだけでは「プロ」とはいえない。

と思うからです。

 

「世界への道 義足のハイジャンパー 鈴木徹の生き様」(久保弘毅・著)で、鈴木徹選手のコメントとして、下記のような記載がありました。北京パラリンピックの頃に出版された本なのですが、私が注目した2カ所を、引用させていただきます。

 

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「障害者スポーツがリハビリやボランティアとしか見られないのは当然ですかね。

まだ、本当のアスリートが少ないから。

 

でも周りがどう見るかよりもやっている当人がプロフェッショナル的な考えとか行動を示していけばいいいのかな。

 

はじめのうちはなかなか浸透しないでしょうけど、ちょっとずつ、周りが認めてくれるようになったら変わっていくのかな。

 

障害者スポーツには、元々、そういったプロの基盤がないんで、自分たちでこれから作っていかないといけない」

 

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飛躍のきっかけを、鈴木はこう語る。

「今思えば、自分にベースがなかったんですよ。何も土台がない所に、毎日、新しい物を乗せようとするから、結局、何も残らなかった。

 

義足をいろいろと変えたのもそうです。何か新しい力を入れれば、結果が出るんじゃないかという単なる願望にすぎなかったんです。

 

普通の練習にしても跳躍練習や筋トレといった派手な練習に気を取られて、見せかけの充実感に惑わされていました。

 

でも、福間先生にベースを教わってからは、考え方が変わりました。

新しい物に目移りするのではなく、地道な練習の重要性に気づきました。

地味な練習を繰り返す中での自分なりの試行錯誤、これがベースになってくるんです。

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この本を読みながら、「プロ」って何だろう?

と改めて考えました。

 

その分野において、「プロ」であるためには、

お金を頂けるようなパフォーマンスをすることは大事だと思います。

 

でも、お金を頂けるだけでは、本当の「プロ」とはいえず、

プロの入り口に入ったところなのかもしれません。

 

本当の「プロ」とは、その分野でさらにステップアップしていくために、

地道な努力を重ねることができる人。

 

その分野を極めていくうえで、自分の足りないところに気がつくことが多いため、謙虚である人。

といえるのかもしれません。

 

世界への道―“義足のハイジャンパー”鈴木徹の生き様
久保 弘毅
スポーツイベント
コメント (1)
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