国家間の紛争の火種、争ってまで守ろうとする「宗教」というものって何なのか?
強く信じる宗教がないので、宗教の理解ができていません。
それで、最近、自分なりに考えるためにいくつか本を読んでいます。
若桑みどり氏の「クワトロ・ラガッツイ 天正少年使節と世界帝国」を読み終えたので、中学生の終わりが高校生だった頃に読んだ遠藤周作氏の「沈黙」を読んでみました。
学校で夏休みに読書感想文の宿題があって読んだ本ですが、ぜんぜん消化ができなくて面白さを感じなかった記憶があります。
日本のキリシタン禁制を描いた代表的な小説として、いつもこの本が上がってくるので、いまだったらどう感じるだろうかとずっと思っていたのですが、やっと読むことができました。
結果、やはり違和感が残りました。
登場する人物たちが過酷な運命を生き抜かねばならなかった時代を詳しく書いた「クワトロ・ラガッツイ」を読んだ後だったからかもしれませんが、キリシタン禁制の時代の日本にあえて入国し、捉えられ、棄教をするポルトガル司祭ロドリコの心理がはっきりとは理解できませんでした。
キリスト教の知識が足りず、『神の沈黙』の意味が分からないせいかもしれないですが。
教義を学んで理解ができたと思っても精神的な理解が必要なものは、結局個々人が頭の中で考えていることですから、それぞれの個人がどれだけその宗教について想いを持っているかなのでしょうか。
神を信じるとは自分の中にどれだけ強いものを持っているか、教義を極めた人は別として、普通の人はどれだけ錯覚しているかなのかななんて不謹慎なことを考えたりしています。
もう少しキリスト教を理解してからじゃないと私には本質が読めない本のようです。
強く信じる宗教がないので、宗教の理解ができていません。
それで、最近、自分なりに考えるためにいくつか本を読んでいます。
若桑みどり氏の「クワトロ・ラガッツイ 天正少年使節と世界帝国」を読み終えたので、中学生の終わりが高校生だった頃に読んだ遠藤周作氏の「沈黙」を読んでみました。
学校で夏休みに読書感想文の宿題があって読んだ本ですが、ぜんぜん消化ができなくて面白さを感じなかった記憶があります。
日本のキリシタン禁制を描いた代表的な小説として、いつもこの本が上がってくるので、いまだったらどう感じるだろうかとずっと思っていたのですが、やっと読むことができました。
結果、やはり違和感が残りました。
登場する人物たちが過酷な運命を生き抜かねばならなかった時代を詳しく書いた「クワトロ・ラガッツイ」を読んだ後だったからかもしれませんが、キリシタン禁制の時代の日本にあえて入国し、捉えられ、棄教をするポルトガル司祭ロドリコの心理がはっきりとは理解できませんでした。
キリスト教の知識が足りず、『神の沈黙』の意味が分からないせいかもしれないですが。
教義を学んで理解ができたと思っても精神的な理解が必要なものは、結局個々人が頭の中で考えていることですから、それぞれの個人がどれだけその宗教について想いを持っているかなのでしょうか。
神を信じるとは自分の中にどれだけ強いものを持っているか、教義を極めた人は別として、普通の人はどれだけ錯覚しているかなのかななんて不謹慎なことを考えたりしています。
もう少しキリスト教を理解してからじゃないと私には本質が読めない本のようです。