夢七雑録

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12.3 小金の牧 道くさ(3)

2009-02-09 22:20:59 | 江戸近郊の旅・嘉陵紀行
 嘉稜は、小金の牧から元の道を戻り、松戸で昼食をとったあと、一筋の道を国分寺に向っている。国府台の裏手から、国分寺山の西南の坂を上がれば、下総国分寺である。むろん、再建されたもので、仁王門と本堂があり、傍らに聖武天皇時代の礎石を三つ重ねて毘沙門天像を置いていた。国分寺は国分僧寺(金光明四天王護国之寺、金光明寺)と国分尼寺(法華滅罪之寺、法華寺)からなるが、嘉稜が訪れたのは国分僧寺の方である。嘉稜は帰りがけに本堂の裏手で古瓦を二三個拾っているが、当時はまだ古瓦を拾う事が出来たらしい。なお、現在の下総国分寺(市川市国分3。写真)は国分山国分寺と称し真言宗豊山派の寺になっている。また、下総国分寺については発掘調査が行われ、中央に講堂、右手に金堂、左手に七重塔を配置する法隆寺様式だったことが判明している。

 嘉稜は国分寺を出て、弘法寺(市川市真間4)に向う。途中の山の上に太鼓塚という塚を見る。さらに行けば、弘法寺の堂の東側に出る。嘉稜は、文化四年三月七日にも弘法寺を訪れているが、二葉の紅葉と名付けられた楓の一本が枯れて、その傍らに若木を添えて居たのが、この日、行ってみると半分くらいの高さまで伸びていたと書いている。

 嘉稜は、寺の茶店で少し休んでから、午後4時頃に出発。利根の渡し(市川市)を渡り、逆井(江戸川区小松川2)を過ぎて、午後8時には家に帰りついている。歩いた距離は、引舟の区間を除いても60km近くにはなるだろう。
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