東京の文化財のうち期間内に特別公開されるものは、来年まで待たなくてはならないが、通年公開の文化財については随時見て回ることが出来る。そこで、通年公開されている東京の文化財をめぐる散歩コースを、幾つか取り上げてみることにした。
国分寺駅から西国分寺駅まで、ひと駅散歩を兼ねて、通年公開の文化財めぐりをしてみた。最初に訪ねた文化財は、国分寺駅から近い「都立殿ケ谷戸庭園」である。殿ケ谷戸庭園はこれまで都指定の名勝であったが、今年から国指定の名勝になっている。この庭園には何度か来ているが、広さの割には変化があって、花も多く四季それぞれに楽しめる庭園である。入園料を払って中に入ると、さっそく紅葉亭に行ってみる。今の時期、紅葉亭付近から眺める紅葉がお勧めというわけである。庭園は国分寺崖線南縁の段丘崖の地形を生かした回遊式林泉庭園で、武蔵野台地の自然植生がよく保存されている。豊富な湧水が流れ込む園内の次郎弁天池は、野川の水源の一つになっているという。所在地は国分寺市南町2-16。年末年始は休園となる。
殿ケ谷戸庭園の西側の坂を下り不動橋に出る。下を流れるのは、日立中央研究所内の大池から流れ出る野川である。橋を渡って右に行き、お鷹の道に出る。お鷹の道も何度か来ているが、いつ来ても清々しい気分になれるのがいい。細い流れに沿ってしばらく進むと、真姿池への分岐に出る。ここを右に折れて水路に沿って進むと、農産物を売る農家があり、その先、左手に真姿の池がある。祭られているのは弁財天である。付近は名水百選にも選ばれた湧水地域で、都指定名勝の「真姿の池湧水群」として通年公開の文化財になっている。水路に沿って先に進み、坂を上がると武蔵国分寺公園に出られる。公園は南側と北側とからなる広い公園だが、以前にも行ったことがあるので今回はパスし、分岐点まで戻る。
分岐点からお鷹の道を先に進んで、おたかの道湧水園に行く。史跡の駅と称する、おたカフェでチケットを買って中に入る。入口の門は「旧本多家住宅長屋門」をそのまま利用したものである。また、門を入って左に見える倉は「旧本多家住宅倉」で、長屋門とともに国登録の有形文化財になっており、何れも通年公開の文化財である。
長屋門を入って右側には武蔵国分寺跡資料館があり、都指定有形文化財の「緑釉花文皿」「銅蓋」「観世音菩薩立像」を展示している。これらも通年公開の文化財になっている。資料館では来年1月29日までの予定で「武蔵国分寺跡と江戸文化人の出会い」という企画展を開催している。この園内にも湧水地があるというので近くまで行き、少しのあいだ眺めてから外に出る。
おたかの道湧水園から先に進むと、江戸時代に再興された、現在の国分寺の前に出る。その楼門を通って南に行くと武蔵国分僧寺跡に出る。「武蔵国分寺跡」は国指定史跡で、通年公開の文化財でもある。ここでは、現在も発掘調査が続けられており、武蔵国分僧寺の中枢部のうち、金堂、講堂、中門、東僧坊の遺構が確認されている。
今年は鐘楼跡の発掘がされていたという事で、その状況が公開されていたが、建物の範囲全体を掘り込んで地固めをし、低い基壇を設けている事が分かったのが収穫という。また、今回の調査で金堂と講堂の間が瓦と玉石敷きの通路であったことも分かったが、経蔵についてはまだ確認が出来ていないという事である。
金堂跡から南東の位置に七重塔跡がある。この塔の西側にも塔の跡が見つかっているが、七重塔は雷で焼失したあと再建されたと考えられているので、二つの塔の跡は、最初の塔の跡と再建後の塔の跡という事になるらしい。
今回は行かなかったが、金堂跡から西南に行ったところに国分尼寺跡がある。ここは、金堂、尼坊、中門などの跡が確認されており、市立歴史公園として整備されている。尼寺跡の北側の丘は中世の寺の跡という。また、その横を北に抜ける道は、鎌倉街道と伝えられ、そう言われればそうかなという雰囲気の道である。
現在の国分寺まで戻って、少し西に行くと国分寺薬師堂への参道がある。薬師堂は新田義貞の寄進により建てられたとされ、本尊の薬師如来像は重要文化財に指定されている。薬師堂の手前には、古代の建物とみられる跡が確認されているという。武蔵国分僧寺の伽藍の区画は、北は薬師堂付近や真姿池の上の台地から、南は七重塔跡や南門跡に至る、広い範囲であったらしい。
薬師堂の参道から先、道は上り坂となって右に曲がっていく。上がりきって、左側の福祉施設の横を入ると、東山道武蔵路跡に作られた市立歴史公園に出る。東山道は京都から中部、関東を経て東北に向かう古代の幹線道路で、武蔵路は上野国で東山道から分かれ、武蔵国の国府(現在の府中市)に至り、下野国に戻る古代の支道であったという。市立歴史公園のある場所は、武蔵国分寺跡のつけたりとして国の史跡に指定された「東山道武蔵路跡」の一つで、発掘調査のあと埋め戻されて公園として整備された場所である。ここも、通年公開の文化財になっている。公園の中央は草地になっているが、この部分が古代の道路面に相当する。この公園の南側に、この場所からの眺めを描いた想像図が展示されている。左に武蔵国分僧寺、右に尼寺を見下ろし、その間を南に向かって一直線に続く古代の武蔵路、そして、その先、遠くに武蔵国府の街並。この場所で古代人が眺めていたのは、このような風景であったのだろう。
交差点を渡り、西側の広い歩道を歩く。この場所も国指定の「東山道武蔵路跡」であり、その上に作られた広い歩道の途中に説明板が置かれている。東山道武蔵路が完成したのは7世紀後半と考えられている。その道幅は12m。側溝付き。しかも直線道路である。これほどの道路が古代に存在していたことには驚かされる。この道路は恋ヶ窪に向かって下りながら切通し状になっていくが、その様子を示す遺構の再生展示が右側の歩道の上にある。東山道武蔵路はこの先を下り、中央線北側の姿見の池付近を通過するが、池付近の遺構も国指定史跡の「東山道武蔵路跡」の一つになっている。再生展示のある場所の先を左へ折れ、府中街道を渡って、武蔵野線のガードをくぐると、西国分寺駅の南口に出る。
国分寺駅から西国分寺駅まで、ひと駅散歩を兼ねて、通年公開の文化財めぐりをしてみた。最初に訪ねた文化財は、国分寺駅から近い「都立殿ケ谷戸庭園」である。殿ケ谷戸庭園はこれまで都指定の名勝であったが、今年から国指定の名勝になっている。この庭園には何度か来ているが、広さの割には変化があって、花も多く四季それぞれに楽しめる庭園である。入園料を払って中に入ると、さっそく紅葉亭に行ってみる。今の時期、紅葉亭付近から眺める紅葉がお勧めというわけである。庭園は国分寺崖線南縁の段丘崖の地形を生かした回遊式林泉庭園で、武蔵野台地の自然植生がよく保存されている。豊富な湧水が流れ込む園内の次郎弁天池は、野川の水源の一つになっているという。所在地は国分寺市南町2-16。年末年始は休園となる。
殿ケ谷戸庭園の西側の坂を下り不動橋に出る。下を流れるのは、日立中央研究所内の大池から流れ出る野川である。橋を渡って右に行き、お鷹の道に出る。お鷹の道も何度か来ているが、いつ来ても清々しい気分になれるのがいい。細い流れに沿ってしばらく進むと、真姿池への分岐に出る。ここを右に折れて水路に沿って進むと、農産物を売る農家があり、その先、左手に真姿の池がある。祭られているのは弁財天である。付近は名水百選にも選ばれた湧水地域で、都指定名勝の「真姿の池湧水群」として通年公開の文化財になっている。水路に沿って先に進み、坂を上がると武蔵国分寺公園に出られる。公園は南側と北側とからなる広い公園だが、以前にも行ったことがあるので今回はパスし、分岐点まで戻る。
分岐点からお鷹の道を先に進んで、おたかの道湧水園に行く。史跡の駅と称する、おたカフェでチケットを買って中に入る。入口の門は「旧本多家住宅長屋門」をそのまま利用したものである。また、門を入って左に見える倉は「旧本多家住宅倉」で、長屋門とともに国登録の有形文化財になっており、何れも通年公開の文化財である。
長屋門を入って右側には武蔵国分寺跡資料館があり、都指定有形文化財の「緑釉花文皿」「銅蓋」「観世音菩薩立像」を展示している。これらも通年公開の文化財になっている。資料館では来年1月29日までの予定で「武蔵国分寺跡と江戸文化人の出会い」という企画展を開催している。この園内にも湧水地があるというので近くまで行き、少しのあいだ眺めてから外に出る。
おたかの道湧水園から先に進むと、江戸時代に再興された、現在の国分寺の前に出る。その楼門を通って南に行くと武蔵国分僧寺跡に出る。「武蔵国分寺跡」は国指定史跡で、通年公開の文化財でもある。ここでは、現在も発掘調査が続けられており、武蔵国分僧寺の中枢部のうち、金堂、講堂、中門、東僧坊の遺構が確認されている。
今年は鐘楼跡の発掘がされていたという事で、その状況が公開されていたが、建物の範囲全体を掘り込んで地固めをし、低い基壇を設けている事が分かったのが収穫という。また、今回の調査で金堂と講堂の間が瓦と玉石敷きの通路であったことも分かったが、経蔵についてはまだ確認が出来ていないという事である。
金堂跡から南東の位置に七重塔跡がある。この塔の西側にも塔の跡が見つかっているが、七重塔は雷で焼失したあと再建されたと考えられているので、二つの塔の跡は、最初の塔の跡と再建後の塔の跡という事になるらしい。
今回は行かなかったが、金堂跡から西南に行ったところに国分尼寺跡がある。ここは、金堂、尼坊、中門などの跡が確認されており、市立歴史公園として整備されている。尼寺跡の北側の丘は中世の寺の跡という。また、その横を北に抜ける道は、鎌倉街道と伝えられ、そう言われればそうかなという雰囲気の道である。
現在の国分寺まで戻って、少し西に行くと国分寺薬師堂への参道がある。薬師堂は新田義貞の寄進により建てられたとされ、本尊の薬師如来像は重要文化財に指定されている。薬師堂の手前には、古代の建物とみられる跡が確認されているという。武蔵国分僧寺の伽藍の区画は、北は薬師堂付近や真姿池の上の台地から、南は七重塔跡や南門跡に至る、広い範囲であったらしい。
薬師堂の参道から先、道は上り坂となって右に曲がっていく。上がりきって、左側の福祉施設の横を入ると、東山道武蔵路跡に作られた市立歴史公園に出る。東山道は京都から中部、関東を経て東北に向かう古代の幹線道路で、武蔵路は上野国で東山道から分かれ、武蔵国の国府(現在の府中市)に至り、下野国に戻る古代の支道であったという。市立歴史公園のある場所は、武蔵国分寺跡のつけたりとして国の史跡に指定された「東山道武蔵路跡」の一つで、発掘調査のあと埋め戻されて公園として整備された場所である。ここも、通年公開の文化財になっている。公園の中央は草地になっているが、この部分が古代の道路面に相当する。この公園の南側に、この場所からの眺めを描いた想像図が展示されている。左に武蔵国分僧寺、右に尼寺を見下ろし、その間を南に向かって一直線に続く古代の武蔵路、そして、その先、遠くに武蔵国府の街並。この場所で古代人が眺めていたのは、このような風景であったのだろう。
交差点を渡り、西側の広い歩道を歩く。この場所も国指定の「東山道武蔵路跡」であり、その上に作られた広い歩道の途中に説明板が置かれている。東山道武蔵路が完成したのは7世紀後半と考えられている。その道幅は12m。側溝付き。しかも直線道路である。これほどの道路が古代に存在していたことには驚かされる。この道路は恋ヶ窪に向かって下りながら切通し状になっていくが、その様子を示す遺構の再生展示が右側の歩道の上にある。東山道武蔵路はこの先を下り、中央線北側の姿見の池付近を通過するが、池付近の遺構も国指定史跡の「東山道武蔵路跡」の一つになっている。再生展示のある場所の先を左へ折れ、府中街道を渡って、武蔵野線のガードをくぐると、西国分寺駅の南口に出る。