夢七雑録

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東京文化財散歩・王子

2011-12-17 19:51:06 | 東京の文化財

 王子で下車して音無親水公園を歩き、それから王子神社への石段を上がる。上がりきったところにイチョウの巨樹がある。都の天然記念物で、通年公開の文化財でもある。幹周は5m。高さは24mあり、高台にあるので遠くからも見ることができる。東京都指定の天然記念物は60件ぐらいあるそうだが、そのうち、通年公開の文化財の対象は39件ある。ほかに、国指定の天然記念物や、特別天然記念物の中から選ばれているものもあり、動物園で飼われている動物の中にも、通年公開の文化財に該当するものがあるようだ。

 王子神社から飛鳥山公園に行く。公園内にある飛鳥山碑は、都の有形文化財で通年公開の文化財にもなっている。この石碑は八代将軍吉宗が飛鳥山を整備し庶民に開放したことを記念して、王子権現社別当の金輪寺住職が1737年に建てたものだが、文化財としては古文書の扱いになっている。碑文の内容は、飛鳥山の由来と八代将軍吉宗の事績を記したものだが、江戸時代から難解なことで知られていた。

 飛鳥山公園には、飛鳥山博物館、紙の博物館、渋沢史料館の三つの博物館があるが、そのうち、飛鳥山博物館では、都指定の有形文化財で、田端不動坂遺跡から出土した古墳時代の遺物を常設展示している。この遺物は、通年公開の文化財でもある。遺物は4世紀末頃のものと見られ、集落を台地上から台地下に移すにあたって、集落を廃止する際の祭祀具として用いられたと考えられている。

 渋沢家飛鳥山邸は、渋沢栄一が明治12年に別荘として、明治34年からは本邸として使用していた邸宅で、曖依村荘と呼ばれていた。空襲により本館の日本館と西洋館をはじめ多くの建物が焼失したが、晩香廬と青淵文庫は消失を免れ、現在は重要文化財に指定されている。晩香廬は大正6年の竣工で暖炉を据えた談話室のある小亭、青淵文庫は大正14年の竣工で1階の閲覧室と2階の書庫からなる小図書館である。渋沢史料館がオープンする以前、ここに来たことがあるが、確か、青淵文庫が展示室として利用されていたと記憶している。渋沢家飛鳥山邸の庭園は無料で通年公開され、晩香廬と青淵文庫の内部は土曜日のみ有料で公開されている。ただし、文化財ウイーク中の特定日は無料になっている。

 渋沢家飛鳥山邸を出て本郷通りを歩いて行くと西ヶ原一里塚が見えてくる。日光御成街道(岩槻街道)では本郷追分の次の一里塚で、左右両方の一里塚が残っているのは、都内では、西ケ原と板橋区の志村だけだという。一里塚から先に行くと、左手に滝野川公園がある。武蔵国豊島郡の古代の役所、郡衙があった場所という。その先で横断歩道を渡って旧古河氏庭園に行く。

 旧古河氏庭園は国指定の名勝で、通年公開の文化財でもある。台地の上はコンドルが設計した洋館と西洋庭園、台地の下は小川治兵衛の作庭による日本庭園になっている。文化財ウイーク中には洋館の見学会があるが、他の日でも予約すれば見学が可能だという。西洋庭園のバラを眺めながら少し休憩し、庭園を後にする。最寄駅は南北線西ヶ原だが、少しだけ余裕があるので、今回は駒込駅を目指して歩く。

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